野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

朝丘雪路が亡くなったニュースとともに、出てきた津川雅彦老いていたと言う話を聞いて、

ああもう南田洋子長門裕之のことさえ忘れてしまっていたと遠いような気持ちになった。

叔母である沢村貞子やその夫の大橋氏の死などあまりに昔にことのように感じる。

夫妻との交流を沢村の本のあとがきに書いた山田太一も昨年倒れた。

 

そんなきら星のごとくと言った人たちでさえそうだから、

凡人の死など振り返られることもないだろう。

 

老人の思い出話を聞くのが好きだが、もう自分が老人に近づいてきた。

何もしなかった人生だった気がする。

めす犬が高齢になって不調になったら

飼い犬がメス犬で、高齢になるとともに老化だけではなく、何らかの変化を感じたら、

ホルモンの検査をしてあげてください。

腎臓のわきにあるという副腎の異変から次のような病変の可能性もあります。

wanchan.jp

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うちの犬は最後に多尿からの水の多飲や、多食などがありました。

その他、夜だけ息が荒く苦しくなったり、足の筋肉が急に委縮したり。

お腹がふくれたり、尿道や膀胱の炎症によっておしっこから強い匂いを発したり。

お気を付けください。

愛犬が死んだ。

 

朝起きて、おむつの具合を見ようと思って近づくと、

まるできれいなバンビみたいな寝姿に見惚れた。

こんなに歳をとったのに、なんてきれいな顔と体つきだろう。

行儀のよい寝方もかわいい。

 

しかし触ると動かなかった。

あまりに健やかな寝顔は、死んでいるとは思えなかった。

眠るように逝ったのだろうか。

 

家族と泣いて悲しんだ。

 

昨日はエコー検査のために少し遠い動物病院に行った。

そこでの結果から、もうすこし頑張れるね、と話したばかりだった。

治療の仕方がまだありそうだった。

 

もう少し、この犬の面倒を見れることに幸せを感じていたのに。

 

検査から帰って疲れた様子もなく、元気だった。

ただ夕食時、いつもよりこちらに近づきたい様子だった。

皆のそばにいたかったのかもしれない。

 

いつも通り、夜中に起きて欲しがる水を飲ませて寝付かせた。

腹ばいだと息苦しいようなので、

横にしてポンポンと体をさするとすっと静かにおとなしくなった。

少し寒いように思えたのでタオルをかけた。

それが最後だった。

 

もう人間なら90代くらい。

いわば寿命、老衰と思いたい。

 

*

 

さいごまでわがままを言わず、静かに耐えて一人で旅立っていった。

無駄吠えもなく、だれとでも仲良くできて、賢くきれいでお茶目な最高の犬だった。

双子の妹はブリーダーに残され、コンクールの入賞犬になったという。

 

焼き場に運び、かわいがってくれた近所のおばさんと共に、お別れした。

棺に好物とさくら草をいっぱい入れてあげた。 

 

*

 

犬を飼っていて、年を経て、

脚も立たず、目も耳も鼻もダメで、おむつをするなんていう状態になったら、

もう絶望だろう、と思っていた。

 

しかしそうではないよ、と思い始めていたところだった。

そういう状態でも愛犬はかわいいし、抱き上げると昔に戻ったような顔をした。

抱えて、外の排水溝におしっこをさせるのも、骨折りどころか楽しみだった。

上手にできればこちらもうれしいし、犬も気分よさそうだった。時折は笑顔になった。

 

こういう状態にならないのが一番良いのだけれど、

こういう状態でも幸せだと思えはじめていた。

 

生きてるだけでかわいい。

生きてるだけでいい。

このままずっと続くといい。

もっと面倒を見てあげたい。もっともっと面倒を見たい。

 

だからペットを飼っていて、老化や介護が怖いと感じる人も

そう心配しなくていいよ、それでもずっとかわいいよ、と伝えたい。

 

それをあの犬が教えてくれた。

絶望のようで、そうでもない。

それでもなんとなく幸せな日常は続いていくのだ。

 

*

 

ペットを飼えば、幸せになれる。

確かにかわいいから、その通り。

 

でも世話はあるし、なにせ亡くなると悲しい。

 

しかしそれは仕方がないこと。

幸せの外注というか、ドーピングをしたのだから、反動やツケの払いは巡ってくる。

 

だけどいいのだ。

それに耐えられれば。

だから耐えないといけない。

 

この苦しさは、それだけあの子がかわいかったということ。

それだけ僕らは幸せだったということ。

だからこそ逃げずに、一旦受け止めなきゃいけない。

静かに戻っていけばいい。

つまらないことを受け入れる

ポリコレ的な話で、あまりやりすぎるとつまらない世の中になる、という。

確かにそうだと思う。

笑いは逸脱してた方が刺激的だ。

攻撃的なブラックユーモアというのも人間の中にはある。

 

でももう成熟すべき時が来たということだと思う。

だれかをからかったり傷つけたりすることが、刺激的なコンテンツだった時代は終わりだ。

 

70年代から、建前より本音の時代へ移行してきて、80年代以降極まった。

が、また建前の時代にもどるのだ。

それは大人の世界だ。

 

大人の世界はつまらない。

つまらないけど重要なことだ。

それを受け入れるのが成熟だ。

 

 

出会いがあれば、つらい別れもある。

 

だから出会いが多ければ、つらい別れも多い。

 

最近、知人が急逝し、代えがたい人であったこともあり茫然の数日だった。

 

愛犬も老いて病を得たようで、治しようがないかもしれない。

 

つらい別れを減らすには、出会わなければよいのだが、

出会っていなければ、そのこと自体に気づけないかったのか。

昨年からちょっと面白いアイデアだなという思いつきをスケッチして、説明文をつけたりして遊んでいた。

 

仮に権利が取れたらお金になるのだろうかとウキウキで調べたら、そんな簡単なものじゃないらしい。

 

特許だと申請するだけで何だかんだ20万円近くかかるようで、登録まで行けばさらに10万。しかし審査は大変厳しく素人申請ではほぼ無理。ということで弁理士さんに頼むと申請で十万、登録まで行けば十万が最低ライン。さらに審査が一度で通る事は滅多になく、再審査にかければ、回数かけること審査料数万円。

 

ザッと50〜60万以上はかかる。登録まで行かなければ、それまでの費用も努力も全てパー。登録されれば、年間登録維持費が年数万円。しかも商品化されずに、登録費用の回収もできずに終わる特許は沢山あるという(というかそれがほとんどみたい)。それでは個人じゃまず無理な世界。一か八かのギャンブル性も高いし。

 

大きな企業のハイテク新案と違って個人が考えるようなローテク新案は、審査内容もシンプルだと思うので審査料もう少しやすくしてほしいなぁ。

 

確かに審査はすごく大変そうだから費用はかかると思う。しかし費用と厳しさでふるいにかける面もありそう。

 

でもそうすると、ハードルの高さから権利化を諦めた個人発の小さなアイデアが溢れないか。それがいつの間にか国内外の大きなところに、権利を持って行かれたりしないのだろうか。

 

もう少し手軽な実用新案は取得にあまり旨味がないらしい。いい塩梅で上手いこと権利化できる仕組みはできないだろうか。

 

こういうスキマが上手く埋まって、素人でも楽しいアイデア生活ができると面白いと思うのだけど。

 

 

アメリカの高校生による銃規制強化の訴えが強くなっていると報道されていた。

とても良いことだと思う。

 

 

今回の加害者も、いじめの被害者だったという。

アメリカでの校内発砲事件の加害者の多くはいじめ被害者だという見解もあるらしい。

その反発、復讐なのだろうか。

 

銃規制も大切だけど、加害者を出さないことも大切だ。

加害者も最初は被害者だったのだ。

 

外から銃を規制するのも大事だし、

内から加害者を出さないことも大事だと思う。

 

校内でできることもあるということを示したらすごいなと思う。

足の立たない老犬の食事用の台

愛犬が歳をとり、足が立たなくなったので、食事の際、伏せたままになりました。

見ていても切ないが、本人は食欲旺盛。

ぜひとも楽に食べてほしい。

 

床にうつ伏せのままの食事は、食器がのどに食い込むし、首を振って食べると食器が遠くに逃げて行ってしまうので、簡易に食事用の台を作りました。

これは犬自身が乗っかるための物。

首を下すと自然と食べられるようにしました。

 

 

35*50㎝の発泡スチロールの箱のふたとクリアファイルと布ガムテープで作ってみた。

クリアファイルは見えにくいけど帯状に切って、食器が逃げないようになっています。

けっこう使い勝手は悪くない様子。

 

上の写真が使っている状態。

下の写真はさらに少し改良した。

手の置き場所がつらそうなので、斜めにカット。

 

後ろに当たる部分をカットしてあるのは、おしりを拭きやすくするため。

毎日拭いてあげている。

 

*

 

そしてお風呂ももう無理。

もう身体が濡れても、ブルブル振るわせることが自身でできないため、

シャンプー出来ません。

よって時折消毒アルコールのスプレーで体毛を濡らして手で馴染ませてやり、

しばらくして拭き取ります。

こうすると匂いもとれます。

正しいやり方なのかわからないので、やりすぎないようにしています。

負けがこむと一発逆転をしたくなる大いなる幻想

何かで負けが続くと、大きく勝ちを取りに行きたくなる

ギャンブルはやらないし、ゲームやスポーツなどの勝負ごともしないけど、

そういうものだろうと予測がつく。

 

日常でも不運や失敗が続けば、取り返そうと思い切った行動をとったり、

ちょっと大きめの気分転換がしたくなる。

旅行に行ったり、散財したり、髪型を変えたり。

人それぞれだろうけど。

 

長い人生ではどうだろう。

 

負け続けたら、何か大きなことをしたくなるだろうか。

 

*

 

自分の実人生は、ダメダメだとしても

何か大きなものに寄り添ったりする事で穴埋めをしようとするのは、

一発逆転とは違うけど、行動原理の根っこは一緒だと思う。

 

それは宗教だったり、イデオロギーだったり。

 

実生活でコツコツと小さなプラスを積み重ねる事に希望を持てなくなると、

逆転行為を計ったり、大樹の陰に身を寄せたりして、

何か「大きな物」を引き寄せる幻想を見るのではないか。

 

 

*

 

一発逆転や自己拡大の妄想は無駄な事だ。

やがてツケを払う日が来る。

 

 

 

 

 

老犬日記

柴犬のメスの老犬を飼っている。16歳になった。

内臓が強いらしく、食欲も排泄も若い時とさほど変わらない。

しかしもうおむつを離せず、後ろ脚もなかなか立たず、床ずれも少しできている。

 

耳も眼も鼻も効かないらしく、何で知覚しているのかわからない。

ボケもあり、もうほとんど情緒も見せず、飼い主もわからないのかもしれない。

 

ぼんやりとした光の中で、音は遠く、頼りの鼻もおぼつかない。

なにを思っているのか、もう思っていないのか。

 

おむつから粗相することもあり、かつての可愛らしく俊敏で賢かったころを想い、家族で寂しさと途方に暮れる毎日。

 

それでいて昨日不調だった部分がなぜか今日軽快していたり、諦めと光明のないまぜになった不思議と静かな気持ちもある。

 

時折、心ここにあらずという風情するのだが、顔つきだけは昔とあまり変わりなく、こちらからするとうれしくもあり、却って痛ましくもあり。まだまだこのままでいてほしい。

 

犬から教わることは多い。

動物は口がきけない分、神様に近いのかなとふと思ったりする。

 

*

 

犬の看取りがここまでとは思わなかった。

 

今飼い犬が元気な人も、これから飼う人も頭に入れておいた方がよいです。

大きな犬になれば、それだけ物理的負担は増えます。

犬が老いるころ、自分は何歳だろう、仕事をしてるか、家族は手伝ってくれるか、表で排泄する場所があるか、などなど。

考えた方がいい項目は多い。

「己がゆがんでいては相手を正しく愛せない」のでは

知人の高齢女性は、家族に尽くすのが好き。

過剰なほど尽くす。

 

酒の飲めない大食漢の旦那のために、毎日好物を山のようにつくり、病気にしてしまう。

 

息子とその子供を過剰に甘やかし、嫁から煙たがられ疎遠になる。

 

娘とは一卵性親子になり、共依存

 

飼い犬には欲しがる人間の食べ物を多量に与え続け、数年で病死させてしまう。

 

尽くしているのか破壊しているのかよくわからない。

 

*

 

外に出ると、家庭の壊れた部分を美化して、針の飛ぶレコードのように家族自慢を延々と続けるので周りに敬遠されてしまう。

 

要は自己愛が強すぎる。それを家族に押し付けてしまう。与えるという行為に自分が依存してしまっている。家族愛のようでいて、自己愛なのだ。主体が歪んでいる分、与える行為も歪んでしまう。自分の歪みを相手に押し付け、相手もゆがめてしまう。自分の都合の良い形に。共依存の出来上がりとなる。

 

*

 

良く世間では「自分を愛せない人間は、他人を愛せない」という。これは正しくは「満たされていない人は、正しく他人と関われない」ということだと思う。歪んでいては、「正しく愛せない」のだ。歪んだ愛を与えてしまうということだ。

 

歪んでいることに自覚症状があれば、まだ対処ができるが、自覚症状がない、もしくは認めない人は小さな公害となってしまう。