野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

マイナンバーカード/e-taxで納税ツライ&納税デキナイ

マイナンバーカードは最大パスワード四つ必要だけど、

e-taxで納税しようとすると利用者識別番号を作ってさらにパスワードが必要になる。

こんなに番号だらけじゃ、普及するわけないよ。

 

UIも分かりやすいわけでもないので、頭に?マークが浮いたり消えたりします。

 

それでも頑張ろうと何度も行きつ戻りつ、やり直しながら

(やり直しはブラウザの”戻る”でスムーズにできる)

何とか申請を完了させて、いざ支払おうとすると、

自分が使っているネット銀行の名前がない。

 

e-taxの問い合わせ番号に電話すると長い時間をかけての回答は、

振込用の画面はイーガブというセンターのホームページにすでに遷移しているので、

そちらに問い合わせて欲しいという。

 

イーガブの問い合わせに電話してこれまでの話をすると

その銀行は取り扱っていないという。

どうしたらよいかと聞くと、e-taxに聴いてほしいという。

 

再度e-taxに電話すると、やはりその銀行は取り扱っていないので、

税務署に行って払ってくれという。

 

これじゃe-taxの意味ないですよ、というと、そうですねー、という。

コンビニ支払いに変更してほしいというと、あーそれもありますよね…と

5分ほど調べてくれて、e-taxとはまた別の国税庁のホームページから手続きしてほしい…ということになった。

イマココ。

 

その申込ページもだいぶ時間がかかりそうなので、

明日税務署に直接払いに行こうと思う。

悲しい。

 

さよならノンフライ麺

カップラーメンはノンフライ麺が好きだ。

かつてのノンフライめんはつるつるプリプリしこしこであった。

しかし最近のノンフライ麺はよくあるタイプの油揚げ麺とさして違いがない。

 

あの透明感のある、キリっとしたノンフライ麺。

たしかに吸水が悪く、なかなか柔らかくほぐれない。

でもあれを鍋で煮るとふっくらして、プリプリのおいしい麺になったのだ。

カップラーメンの意味がないけど。

 

エースコックのわかめラーメンも、いつのまにか油揚げ麺になっていた。

出会いは幼少のころのコーンラーメンだった。

さっぱりしたノンフライ麺は、塩味のスープによくあった。

もう会うことはないだろうか。

 

自分は競争社会の負け犬なの。

ちょっと前の言い方だと負け組ね。

最近だとキモ金ね。

 

この競争社会って、女性から見た男社会とほぼ同義だと思う。

 

男にも権力持った上級男性と下級がいる。

男社会を牛耳ってるのは上の方なの。

下の方は、何にも無いの。

 

でもなんか怒られんのは俺たちなの。

好き勝手してる上の方は責められもせず、

むしろチヤホヤされたりしてんの。

 

これなら10年先も変わらんだろね。

怒りは上に届いてないよ。

それでも良いなら続けようよ。

面白い人

目の前に起こる具体的な出来事、モノ、人について話をすることは誰でもできる。

 

でもそこから何かしらの意味を取り出し、普遍化できる人は少なくなると思う。

 

抽象思考できる人は頭がいいし、話を聞いていても面白い。

カネにならない風習は忘れられる。ヒイラギといわしの頭

関東ではほとんど知られていなかったはずの恵方巻がやたらと広まったのは商業ベースだからだと思う。

 

その反面、いわしの頭を柊の葉にさして玄関に飾るというのは、商売になりにくいので廃れてしまった。

 

 

マイナンバーカードが広がらない理由

の一つは、パスワードじゃないだろうか。

 

*

 

確定申告の必要性から、高齢の近親者のマイナンバーカードを申請している。

そしたらなんとパスワードが最低二種類以上必要だという。

しかも片方は英数混合で6文字以上。

もう一つは四桁の数字。

 

高齢者が覚えられるわけねーだろ。

 

 

 

 

これまで生きてきて、ポールサイモンを好きだという人とリアルで出会ったことがない。

12歳からずうっと好きだけど。35年間。

 

このまま死ぬのだろうか。

 

いやポールサイモンを好きな人はたくさんいるけど、皆、表に出さないタイプなのだろう。

 

そこが良い。

 

そしてよく考えると仮に好きだという人と出会っても、特に会話は弾まなそうだ。

 

そこが良い。

キャロル・キングの自伝を読んでいる

図書館に行ったらキャロル・キングの自伝があった。

分厚いけどなんとなく借りてきた。

おもしろい。

 

*

 

キャロル・キングの特にファンというわけではない。

ライブ・アルバムを持っていて、つづれ織りという有名なアルバムは友達に借りて聴いた。どちらも大好きというほどでもなく、いい曲もあるねくらいだった。

 

*

 

なんとなく読んでいると、実に面白い本だ。すらすら入ってくる。

文章がうまいのか、翻訳が上手なのか、両方か。

もしかして補佐のライターでもいたのかなんて失礼なことを思うほど。

 

冒頭の現在のコンサート開始前の内幕の面白さに惹きつけられ、

時代をさかのぼり産まれてからの話になる。

特にファンではないせいか、初めて知った話ばかり。

以下ネタバレ多し。

 

*

 

父親は消防士。母親も働いていた。

ポーランド系移民の二代目で元演劇指向だった両親の下で育つが

障害のある弟とは離れて暮らす。

両親はくっついたり離れたり、少し複雑な境遇。

 

年上の同級生たちの中で

飛び級したらしいが、アメリカの学制の話がよく分からない)

少し孤独を感じながら過ごした学生時代。

R&RとR&Bが沢山かかるアラン・フリードのラジオが大好きだった。

 

本人も演劇を目指したが挫折。

こちらも大好きだった音楽で芽を出す。

 

*

 

15歳で音楽出版社に持ち込みを開始。

二軒目でレコード化に成功。

 

大学に進むが、ジェリー・ゴフィンと出会い、意気投合。

10代で結婚、二人の子持ちとなり職業作曲家兼主婦となる。

 

以降も若いのにすごいことばかりが起きて、ジェットコースターのような人生。

これ以上は本を読んでください。

音楽を知ら無くても、アメリカの青春小説のような趣もあり、

60年代を舞台にした才能ある少女の冒険譚のようでもある。

いい加減なものも多いミュージシャンのこの手の本としては名作なのではないか。

 

*

 

キャロル・キングはなんとなく大人向けのウェルメイドミュージックという印象だったけど、本人もそもそも表に立つシンガーになろうという気持ちは微塵もなかったらしいくらい、穏やかで謙虚な人柄のよう。

 

どちらかというと、主婦であり、母親でありたいという当時の一般的な女性像に近いと思う。

 

夫のジェリーが、60年代のフラワームーブメントに浮つき始めても、まずは家庭人であろうとした彼女(20歳そこそこなのに!)は、ディランやビートルズの音楽性には関心を持っても、「精神の解放」のような大仰なスローガンには無関心だった。大人ですね。それでいて職人気質の職業人でもあるという真面目な両面性もまた魅力だ。

 

そしてさらになぜかスーパースターの方向に転がって行ってしまうキャロル。

 

ヒッピーブームがすこし落ち着いた70年代に、この人の個人に光が当たり始めるというのも象徴的な話。

 

読んだのはまだここまで。

 

*

 

キャロルの歌で一番好きな曲はこれ イベンチュアリー

 

 

昔買ったライブアルバムはこれだった。1971カーネギーホール

 

*

 

他人の人生を読むというのは面白い。

お気に入りのブログを読むのもどこか似ている。

 

どれだけそれについて沢山考えたかという価値

中学生のころ学校の方針で「家庭学習帳」というノートで、帰宅後の勉強をした。

普段は全くしないけど、テスト前になると勉強した。

 

沢山ノートを使うと、沢山勉強したということで、

先生がそういう生徒をなんとなくほめたりした。

逆にあんまりノートを使わない勉強は、あまりやらなくなった。

 

つまりじっくり教科書を読むという基礎中の基礎は、

どれだけやってもノートに残らない。

だからそれはやらなくなりがちだ。

 

でも勉強においてじっくり元の本を読むというのは、一番重要なことだ。

それを抜きにするとやっぱり伸び悩んだりする。

 

*

 

生きている中で、沢山何かについて考えるということは素晴らしいことだと思う。

 

しかしそれはいいねもつかず、ノートも増えず、誰からも見えず、己すら忘れている。

 

それぐらい一見無意味なことではあるが、それが人の肚を練熟させると思う。

 

沢山考えたんだろうな、という人は信用できると思う。

映画ボヘミアンラプソディでシングルカットを拒んだ重役は、かつてウェインズワールドの「ボラプ」でヘッドバンギングをしていたあの人

十二月にクイーンの思い出を書いたのだけど、

丁度一月後に劇場で見ました。

 

前半はちょっとご都合演出という感じもあったけど、

ライブシーンは最高にかっこいい。

とくに最後のウェンブリーのライブエイドは最高。

 やっぱり音楽の力が強かったのだろうと再確認。

 

クイーンというのは、フレディのキャラクターがちょっとマンガ的でもあるので、

なんとなくコミカルに見えなくもない。

それでも、圧倒的な音楽で最後は感動してしまうという二重構造があって、

それで感動もより深く、存在感も強かったのだと思う。

 

 ***

 

そして調べていて後から気づいたのだけど、ボヘミアンラプソディーをシングルカットすることに大反対したEMIの重役レイ・フォスター役をやっているのは、コメディアンのマイク・マイヤーズ

 

この人は90年代半ばに「ウェインズ・ワールド」というロック系コメディ映画を脚本・主演で大ヒットさせた人。実はこの映画で挿入歌としてボヘミアンラプソディが使われており、フレディ亡き後にあの曲のリバイバルにひと役買った人。それが今回の映画では「ボラプ(劇中でロジャーが発音)」の邪魔をするという逆展開。洒落た配役ですね!

 

(↓の映像の黒いシャツとキャップの人)

www.youtube.com

 

ちなみにウェインズワールドは地下でケーブルテレビの音楽番組を製作放送していた二人組が、大手テレビ局に引き抜かれるという、昔のyoutuber夢物語的なお話でした。

パット・ディニジオ

80年代の終わりくらいに、クロスビートという音楽雑誌が創刊されて、好きで読んでた。

 

その雑誌にはCMJチャートという、アメリカの大学でのラジオの人気曲をチャート化したと物が載っていた。

 

カレッジチャートとも呼ばれていて、ビルボードの売れ線チャートとは違って、

各地の地元インディーバンドや、シンプルで普段着のロックバンドがよく受けていた。

 

カレッジロックとも言われた。

メインストリームの音楽と違う傍流の音楽。

後のオルタナティブロックの走りだと思う。

 

たとえばREMなんかはカレッジチャートから生まれたスターだったし、

他にもリプレイスメンツやグリーン・オン・レッドなどが代表的なバンドだった。ペイズリーアンダーグラウンドというのも、その中の一派だったように覚えてる。

 

CMJをにぎわせたグループのひとつがザ・スミザリーンズで、自分も結構気に入っていた。

親しみやすいメロディでビートルズ系のシンプルなアレンジ。

パワーポップの原型みたいなバンドだった。

 

ルックスは完全なオジサン四人組で、

ボーカルはでかくて禿げててひげ面だった。

みんなライダースの革ジャンを着ていてなんか面白かった。

カリスマ性はないけど、実力派というイメージ。

 

「グリーン・ソウツ」「イレブン」というアルバム辺りはちょっと注目されたけど、

ブレイクしきれずトーンダウン。

でもずっとバンドを続けていた。

初期のアルバムはニルバナカート・コバーンも気に入っていたらしい。

 

しかし昨年の今頃、ボーカルでメインソングライターの

パット・ディニジオが亡くなっていたという。

近年の写真では、かなり身体が膨れていて病的にも見えていた。

しばらくずっとけがで右手が動かず、ツアーもキャンセルされていた。

 

variety.com

 

同じニュージャージー出身のジョン・ボン・ジョヴィは彼の死を

「悲劇的」と悼んだ。

 

誰も思い出さないかもしれないけど、才人だったと思う。

知的で頼もしい雰囲気のある人に見えた。

なんだか寂しい。

 

今年の四月、彼のふるさとのニュージャージー・スコットプレインズの通りの一つが、

彼をしのんで「パット・ディニジオ通り」と名づけられた。

地元で愛されていたのかなと思う。

 

今聴いても楽しい曲をいくつかどうぞ。

 

        

 

与党も野党も緊縮財政では、実体経済が上向くことはないでしょう。

 

特に日本のリベラルは「稼げるリベラル」と目指すべきだと思う。

もっと言うと「もっと稼いで、もっと分配するリベラル」。

 

どんどん景気を回復させる手段を訴えて、

その再分配を公正にどんどん行う。

そういうのが現代が求めるリベラルではないか。

いやいやこれは本来与党のやるべき本来の自然経済か。

 

よくわからなくなってしまうけど、

与党の政策がなぜか悪い社会主義みたいになってきているのだから

ひっくり返って野党は、上記のようなポピュリズムでやってみたらよいのにと思う。

 

もう右・左の分断ではなくて、上・下の分断になっている。

 

であれば、保守も革新もない。

少数の上流のための経済か、否、多数の(相対的に)下を持ち上げる経済か、

という対立軸だと思う。

 

www3.nhk.or.jp

 

↑こんなニュースになっているけど、実質賃金は下がっている。↓

www.fnn.jp

 

経済が上と下で分離して、二重経済になっているのは明白だ。

一つの国に二つの経済。

来年はこの辺りにどんな風にアプローチするのだろうかと思う。

高輪ゲートウェイが不評です。

そもそも近隣の再開発構想「グローバル ゲートウェイ 品川」がダサい。

 

名前でやたら箔を付けたがるというのは、
却って劣等感の強さを感じさせる長い名前のマンションと同じ発想だと思う。

 

長い名前のマンションのせいで、クロネコヤマトの伝票ソフトが止まるので勘弁してほしい。