うちの母親は友達や知り合った女の人にこの質問をする。
すると年代別に答えが分かれるという。
大概
50代以下の女性たちは、また女が良いと答え
60代以上の女性たちは、今度は男がいいという。
うちの母親は友達や知り合った女の人にこの質問をする。
すると年代別に答えが分かれるという。
大概
50代以下の女性たちは、また女が良いと答え
60代以上の女性たちは、今度は男がいいという。
自分の姉は内弁慶で家庭内では我がままでギャンギャン自己主張する方だった。
五歳下の弟の自分にも対等に攻撃してきたし、こちらもなつかなかった。
自分が小中学生のころは男女仲が悪いというか
なんとなくいつも対立しているのが普通だった。
女子はいつもキーキーしてるというイメージ。
自分の学校だけだったのだろうか。世代差や土地柄とかもあるのか。
高校は男子校だった。
でも大学で出会った女の子たちは、おおらかで親切な優しい人が多かった。
姉と中学女子のイメージしかなかったので、最初は凄く戸惑った。
たまたま自分の属していた集まりのおかげかもしれないけど。
ところが社会に出ると女性はまた冷たく、厳しい。警戒心の塊に見えた。
こちらのスペックの低さも責任もあると思うけど、再び戸惑う。
毒虫のように扱われるとへこむ。
社会に出てからは女性のイメージは基本的にずっと変わらない。
もし自分に大学時代の彼女たちとの交流が無かったらと思うと怖い。
きっと女嫌い、ミサンドリーになっていたと思う。
キツイ人と出くわすと、いやああいう優しい人たちも
世間のどこかにいるのだと思い出す。
もう会うこともないけど、あのころの会った人たちに感謝したい。
最近、優先でよく聴く「北千住駅の~」という女性ボーカルの歌、
すごく良いというわけではなかったのだけどなんとなく、
全体の節回しが頭に残っている感じ。
気になるなーと思っていたら、これがあいみょんの歌だった。
ハレノヒ。
その後ラジオで流れていた「マリーゴールド」という歌も良かった。
何がいいんだろうと考える。
メロディの節回し、歌いまわしが自然に耳に入ってきて落ち着く。
歌詞は聞き取れない部分もあるからよく分からない。
特別なサウンドでもない。むしろ控えめなアレンジだ。
調べてみるとコードもダイアトニック内でほとんど済んでいる模様。
多分、そのシンプルなところがいいんだろう。
フォークソングなのだ。
歌とギターとシンプルなメロディとコード。
これで成り立つ。そしてそれが心地よい。
そしてきっとみんな水準が高いのだろう。
グッナイ小形といい、フォークの季節が巡って来てるのかもしれない。
最低賃金じゃ生活が成り立たない、ということだけど、その主旨は分かる。
だが逆に見ると、アルバイト労働とは生活が成り立たない程度の付加価値しか残せないものなのだ、ということにならないだろうか。そもそも時給仕事で生活していこうという生活設計が、厳しい話にも思える。
月給取りの正社員は、お前の給料に見合うだけの売り上げを上げろ、付加価値をつけろとノルマなり目標なりある程度の基準がある。
しかし時給で働くということは、安いかもしれないけど厳しいノルマはなしでいいよ、ということでもある。
時給でノルマがあるというのは、それはもちろんオカシイ。コンビニでケーキの売上ノルマがあるのはオカシイと思う。が、それは時給とはまた別の労働問題でもある。
仮に1500円欲しいとなったら、自分の働きにはそれだけの価値があると毎時間実証できるだろうか。1500円x8時間x20日で24万円。月の給料は正社員並みになってくる。与えられるものが高くなれば、当然、求められるものも高くなる。
それでも時給で働いて、なおかつ高い時給がほしい、という働き方をしたい人もいるだろう。それは高いハードルを越える自信があるのだろう。
しかし全ての時給労働者が、最低賃金を今の1.5倍に望むというのは難しいのではないか。
いや、私はゆっくり時給900円で働きたかったという人も、働く口がなくならないか。900円の労働レベルで働きたいという人が集まっていた事業所が、経営をあきらめることにならないか。働き方の多様性もなくなっていく。
基準に満たない人はお断りになるだろう。時給労働者にも成果主義が導入されるだろう。そうしなければ正社員労働者から圧力がかかるだろう。
問題はそこなのだ。時給労働者の最低賃金という分かりやすい、飛びつきやすいネタが盛り上がっているが、正社員の給料がそもそも安いのだ。しかしそれは各会社の問題だ。
そしてまた、アルバイトでノルマ低く責任なく、時給のみで暮らしていきたいという希望も、やや甘すぎるのではないだろうか。もともと以前から厳しい話なのだ。
いろんな事情で、望まないのにそうせざるをない人もいるだろう。しかしそれはもはやセーフティネットの問題であって、そっちで対処すべき話だ。時給を上げる話とは別。
はてブの有能そうなブコメの皆さんやツイッターからは、この話題になるとたびたび「それくらい払えない企業はお払い箱へ」的なご意見が散見される。
しかしながら、その優秀で沢山いるらしい時給1500円主義者が集まって、一つの事業を立ち上げ、高時給でも経営は成り立つという実証をしてやるという話は聞いたことがない。データや実績やノウハウをフィードバックすれば社会的にも有意義だ。
優秀で熱意もある人たちが集まっても実現できないことを、他人に強いるというのは虫が良すぎないか。
ZOZOタウンが高い時給で求人した。これは良いことだと思う。そうやって良い人材が高い給料をとることは良い。それを企業自らが行うのは良いこと。また山本太郎システムも良いと思う。
しかしそれと最低時給を一律1.5倍以上にするというのは、別だと思う。
1500円の付加価値に満たない人間は振り落とされ、残った人間は重いノルマと労働量に苦しむ。それをこなせるスーパーアルバイター以外の人間には労働は認められない。すると生活保護に落ちていくしかない。
より厳しいディストピアがやってくるかもしれない。その程度ができない企業がお払い箱になるということは、その程度のことができない人もお払い箱になるのだ。
「おちんちんが小さいと自身がなくなりますよね。」
内容も情けないけど、字も違う。
「自身」がなくなるほどってどんなんだよ。
もう大小の問題じゃなくなってるよ。
近所のふとん屋さんは昭和46年の紫ふとんブームで儲かったという話を家族がしていたので、なんだそのブームはと思い検索してみた。
なんでも亥年に紫のふとんで寝ると健康長寿になるという言い伝えがあり、特にこの年は60年に一度の釵釧金(さいせんきん=十干十二支の組み合わせの一つ)の亥年という最適年だったらしく、全国的な大ブームとなった様子。
今年は亥年ですが、もうだれもそんな話はしてませんね。
このあたりにちらっと触れられています。
https://www.nishikawa1566.com/company/history/09.html
https://www.futon.or.jp/jfma-history/
グッナイ小形について書いてから、カフェオレーベルについて調べていた。
結構長く経営されていて、くるりやスネオヘアーの先鞭をつけたのもここらしい。
動画も面白いし、音楽についてなるほどと思うことが沢山流されている。
個々のスタジオのレコーディングに参加している三人のミュージシャンたちがまた
腕っこきでよい。
なんかスタックスやマッスルショールズ、フェイムスタジオなど
60年代や70年代のアメリカの中小スタジオ/レーベルには、
上手くて渋いハウスバンドがいたらしいけど、そういう関係を思い出させるし、
実際そんな音楽の雰囲気もある。
そしてここから発売されているCDは曲数は多くないのだけど、
そのためなのか手ごろな値段。
これくらいならちょっと聴いてみたいから買っちゃおうと思える。
これはどういうことだろう。
低予算でも作れるよ、という時代になったのだろうか。
だいたいCDって一般に曲数が多すぎる。
そしてカフェオの音楽はどれも、なんだが音がいい。
デジタルで録ってるのに生々しい。生々しいのにクリア。
少しずつ買ってみようかと考えている。
なんとなく新しい音楽の造り方であって、それがどこか温故知新でもあるのが不思議。
賞味期限論争が先週あたりあった。
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12184-47362/
テレビ局や、関連する研究所は比較検査をしてみてはどうだろうか。
賞味期限から遠いモノ、近いモノ、やや過ぎたモノでどれだけ違いがあるのか、
味覚をブラインドで比較して違いが判るのか、
科学的な健診において、健康に対して違いがあるのか、
一度比べてみてはどうだろうかと思う。
まず味覚で分からないだろうと思う。
そして健診でも違いは出ないだろう。
であれば、あとは「気のせい」だという結論になる。
その単なる気のせいがどれだけの食品廃棄を産んでいるというのだろうか。
CD買った。まだ届いてないけど。
最近初めて知った。天才かと思った。
声もいい。歌も上手い。
歌詞も面白い。メロディもいい。
なんか中毒性があるよ。
なんかふてぶてしい存在感もいい。
カフェオレーベルというスタジオに関連してるみたい。
音が生々しくていい。
吉田拓郎の「元気です」へのオマージュなのか「正気です」って言うのもいい。
こういう人がもしかしていっぱい増えてるとしたら、日本の音楽もまだまだ楽しみだ。
ちなみにコスギではなくオガタです。
レーベルのアーティストページ
http://www.cafeo.tv/musicians/m/goodnight.html
追伸:CD聴いた。やっぱり素晴らしい。
ビリープレストンについて。
ビートルズのアルバム「レットイットビー」に参加したのち、ストーンズやクラプトンの活動などに呼ばれ、有名セッションマンになった。また70年代には自身もヒットを飛ばした売れっ子ピアニスト/シンガーソングライターだった。
しかし80年代以降は低迷し、90年代には表舞台に一時復帰したものの、2005年に悲しいニュースが入ってきた。まだ59歳で亡くなった。
ムクムクとした笑顔の可愛いおじさんで、ギスギスした終末期のビートルズのセッションではムードメイカーとしても人望があったらしいのだが、つらい前半生だったらしい。
3歳からピアノを触りはじめ、ゴスペルのツアーにオルガンで参加し、早くから音楽活動をしていたようだが、子供時代には音楽関係者や教会関係者からの虐待があり、後年コカインや飲酒に依存したのはそのせいだったという。
60年代にリトルリチャードのバンドでイギリスにわたったときに、ジョージ・ハリスンと知己を得てビートルズのセッションに参加し華々しい時代を送ったが、低迷した80年代には、火災保険詐欺の狂言を起こす他、暴力事件や自らが他者を虐待したという話も残っているようだ。
長年多用したアルコールとドラッグで身体は蝕まわれ、2005年に発作を起こし、半年間の昏睡の後亡くなった。
ビリープレストンの話はビートルズファンにはセッションの手腕に関してと、明るい人柄が有名で、オリジナルの活動も明るくファンキーで素晴らしいのだけど、その陰で重く暗い時代も長かった。ご冥福を。
自身のヒット曲youre so beautifull.
なるべく自分の心や頭を使って生きていたい
周りに流されるのはどうも御免だ
そう思って暮らしてきたけど、結構大変だ
他人と意見が合わない
でもそれをしないと自分の生を生きたことにならないように思う