野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

本来問題なのは「時給」ではなく「月給」だ。

最低時給論が話されているが、本当に問題なのは「月給」なのだ。

月給が一般に低く、

さらに「月給取り」(正社員)が減って「時給取り」(非正規)が増えた。

この現状が問題なのだ。

 

そもそもバブルのころだって最低賃金は500円前後。

それで暮らしていこういう人間はいなかった。

だがその頃は正社員が多く、月給取りなら普通に暮らしていけた。

 

今は普通に暮らしていける月給取りである正社員が減らされ、

給料も30年上がっていない。

非正規は増え、だから時給が重要になってきている。

 

最低額という分かりやすい規定があるので、

話題になりやすいのが時給。

そこで月給問題が話されることは相対的に減ってしまっているようだ。

でもそれでは根本の問題がより遠のき、高い時給にだけが導入されれば、

様々な歪みが現れてくるだろう。

 

最低賃金を上げろという説も分かるが、

では自分でそのような事業をやってみる人間はいないという点で、

御察しだろうと思う。

(ただし山本太郎のような財源を他に求めるならまあわかる。現実性は別として)

 http://el-bronco.hatenablog.com/entry/2019/06/19/165105

http://el-bronco.hatenablog.com/entry/2019/05/29/093138

http://el-bronco.hatenablog.com/entry/2019/03/28/220928

http://el-bronco.hatenablog.com/entry/2016/06/29/153233

小泉劇場以前の日本は政治不信が根強く、若者の多くは政治に興味を持っていなかったが、小泉氏登場で驚くほどの注目が集まり、テレビ番組も政治を多く取り扱った。

 

こうなる前のテレビタックルなどはゆるめの社会情報バラエティー番組だったが、がぜん政治を取り扱い始め高視聴率をとっていたと思う。その中では与野党の有名政治家が時代劇の扮装でコント仕立てのミニドラマを演じ、人気を博すほどだった。

 

この政治ブームは政権交代まで続き、H15年は6割ほどだった投票率が7割まで上がった。しかしやはり民主党の堕落で国民は一気に政治への期待を失った。

 

マスコミの報道が不自由になったのかなと感じたのは、小沢氏が検察に調べられたころから、なんとなく風向きが変だなと思うことがあった。それは自民党が政権を取り戻した後も続き、マスコミが政治全般や批判に対しトーンダウンをしたようだった。何があったかは分からない。

 

インターネットでの選挙活動はまだ制限も多く、テレビの代わりにまではなっていない。これらの結果、投票率は下がり続け五割を切った。

かつて吉本と団体交渉して干された芸人

 

ルーキー新一

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%BC%E6%96%B0%E4%B8%80

干されて酒浸りで死んだと言う。

弟はレツゴー正児(最後に三波春夫でございますと言う人)。

 

タレントさんたちも組合を作るべき時期だと思う。

それができなくても、今回の吉本騒動は示唆もあったと思う。

 

例えば役員に芸人を入れたり、書面を通したり、代理人制度を認めさせたり、

軟着陸の方法はあるようにも見える。

 

ビートたけしの発言はさすがに長年ファミリーを食わせてきた人の気概みたいなものがあり、また規模こそ違えど、事務所クーデターは昨年のこの人がさきがけでもあった。

 

ジャニーズの公取問題にも通底する話を感じる。

 

 

芸能人も一人親方

宮迫さんが引退するという。

会社はこれからもこういう契約(?)のやり方かえませんよ、という。

一人詰め腹状態なのか。

好きなタレントさんでもないので、しょうがないねとも思うけど、

会社はコレで本当にいいのかしら。

 

この会社だけでなく、きっと多くの芸能人が「一人親方」なのかもしれない。

だから何かあると個人の責任となる。

 

*

 

ウーバーイーツで事故が起こったときの対応が話題になった。

 

これも言わば一人親方問題だ。

 

雇用責任はとりたくないが、使い勝手良く労働者として使いたい。

 

*

 

建設業界でも一人親方問題は長年解決されず続いている。

http://www.roudousha.net/keiyaku3/060_oyakata.html

 

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今後、一人親方型の実質雇用というのは一般社会にも広がるかもしれない。

派遣社員の保護が拡充されてきたら、フリーランスとして仕事を与えますという

使役システムをIT技術で簡便に使えるようになるかもしれない。

 

 

昨年、全米音楽業界でロックよりヒップホップのほうが売り上げシェアが大きくなったというニュースがあった。

 

なんでも栄枯盛衰なので特に感想もないのだけど、ヒップホップ以前は、ロックも元々不良文化だったんだろうと思う。

 

だけどいくら悪いと言っても、ロックの悪というのは、せいぜい麻薬を自分でたしなむという程度だったと思う。しかしながらヒップホップの悪さというのは、麻薬を売る方の悪さであって、それは組織的な感じがある。本当に悪い感じが怖い。

 

人が倒れていた

今日少し散歩をしていたら、うつ伏せで倒れているおばあさんが視界に入ってきた。周りには心配した通行人が、立ち止まり始めていた。

 

本人が歩いていたのか自転車に乗っていたのかはわからないが、男子学生の自転車とぶつかって倒れたらしい。

 

うつ伏せのままではあまりに気の毒だったから声をかけようと思ったが、ピンクの服を着た70くらいのおじさんが、もうすぐ救急車が来る、このままの体勢のほうがいいんだ、と不機嫌そうに言い出したのに気押されて何もしてあげられなかった。

 

幸い近所の人などがタオルを持っていたり介抱し始めていた上、人が集まりすぎるのも良くないようにも思え立ち去った。おばあさんも質問に答えたり、会話をしていたので大事ではなかったと思いたい。

 

その時周りの人を見回すと、緊張感と不安感でなんとなく殺気立ったように皆で顔を見合わせたりした。突然の出来事に親切心や不安な気持ちを持ち寄って輪になっていたのに、どうにもお互いに同調しきれず、信じきれない、居たたまれない空気。その不穏な雰囲気がまだ少し残っている。こういう時はどうするべきなのだろう。

 

 

先日ラジオで高橋洋一が、消費増税をされても、軽減税率を弾力的に運用することで実質減税を行うことはできる、というような話をしていて目から鱗だった。

 

例えば全ての商品を8%に、5%に軽減するといったような。

 

でもそしたらなんでもありじゃんね。

令和新選組の政策読んだら経済の部分にその通り! と思えたので候補者はどうなるのか注目していたが、どちらかと言うと多様性に寄せた人選に見えた。

 

まずは経済の反緊縮政策に向けて若い経済学者とか揃えるのかなと思っていたので、ちょっと拍子抜けである。そんな簡単に優秀な人材は集まらないか、という嘆息も出た。

 

ブレずに緊縮経済の矛盾をドンドン突いたほうが正攻法だと思うのだが、豈図らんや、これら候補者が経済政策にすごく強かったりするかも知れない。そこまで見透した人選なら天晴れだけど。

 

 

CDって無くなるのかな

一年半ほど前にノートPCを買い替えた。

 

その時、光学ドライブ付きはやけに高くなってしまうので、外付けドライブを一緒に買った。二千円位なので、この方が安上がりだし、近年はあまり出番もなくなっていたので、充分だろうと思った。

 

でも時折古いCDをPCに取り込んでいたので、便利だった。それが購入後一年でオシャカになった。安いから早く壊れるのもしょうがないと買い直した。今度は5千円位。それが半月ほど前認識されなくなった。

 

イイヤツ買ってもダメだったのでちょっとショック。高いのかっても意味ないならもう一度、毎年買うつもりでもいいように安い2400円位のを買った。認識しなかった。

 

オヤオヤ…これはPCの方の問題か…とイロイロ調べるとBIOSから直さないといけないらしい。そんな面倒と危険は嫌だ。

 

どうもMSみたいな上流の巨大メーカーはもうディスクの時代じゃないよ、認識すらする気ないよ、という流れだという説を読んで、なんかもう、諦めがつきつつある。

 

もうCDという形態はディスコン間近なんでしょうか。なんか恐ろしくなってきた。

なぜか世の中にはなんでも質問したら必ず答えてもらえると思ってる人がいる。

そういうのに限って、出会い頭に聴き倒し、碌に礼も言わず、自分のサイドの話は明かさず、聞いた話は自分の物にして、許可なく他所でペラペラ話す。

 

コロンバイン高校の事件から今年で20年。

今年の四月二十日でコロンバイン高校の事件から20年経ったという。

 

その二人の犯人の同窓生だった人の書いた本を読んだ。彼から見ると主犯と見られるエリックはトラブルメーカーで困った存在だったが、従属的であった共犯者のディランは近年までは親友だった。

 

事件の起こる少し前、エリックは自ら起こしたトラブルを起因に、著者とその家族を逆恨みし、凄惨な方法での殺害予告をネット上で行っていた。著者家族は20回以上通報したが、警察は動かないという緊張状態が続いた。それなのに若者ゆえの気まぐれか、二人はひょんなことから仲直りする。この関係修復を両親は訝っていたが、結果として著者を救うことになる。

 

事件当日、著者は屋外でタバコを吸っていると、仲直りをしたエリックが大きなバッグを運びながら「お前の事を好きだから、ここを離れろ」と言うので、これに従い一命をとりとめた。バッグには武器が入っていたことを後から知った。

 

エリックとディランの行動の原因は高校でのいじめに対する反撃行為であったとされている。

 

*

 

事件後、警察は著者も共犯ではないかと疑い、メディアで実名を度々挙げた。著者はエリックから殺されると20回以上も警察に通報していたのに。それでいて自分たちは捜査もしなかったのに。その時点で捜査していたら、事件を止められていたかもしれないのに。警察のこの行為により著者家族は、近隣住民や被害者遺族から長く白眼視を受けた。

 

犯人グループ二人は銃器を三人から調達していた。ピザ屋の同僚の一人から購入し、もう一人の同僚には代理購入を依頼した。さらにディランを慕っていた女性にも代理購入を依頼した。彼女を通じて手に入れた銃器が最強の威力をもっていたが、ピザ屋の二人のみが罪に問われ刑に服した。

 

*

 

さらにネットを見てみると、ある男性の名前が登場する。

 

スクールカーストのトップグループのジョック(運動部)の中心であった男。この男が凄惨ないじめを犯人グループの二人にのみでなく、校内で広く行っていたという。この男の存在がなければ、この事件は起こらなかったのではないかという感もある。

 

元々アメリカの学校は、スポーツ優秀者を過剰に賛美し特別扱いする文化があるらしいが、殊更コロンバインではその傾向が強く、レスリングとフットボールの有名選手であったこの男の行為をとがめる教師もいなかったらしい。

 

この男の事を調べると、コロンバインに入る前にすでに警察沙汰を複数回起こしていた様子もあり、またDV家庭で育ったような記述もある。さらに事件後雲隠れしたこの男を指弾し、探し出そうというサイトもある。だが、なにせ全て英語なのでこちらの読解力ではこの男に関する情報の正確さは心もとない。

 

またなぜこのような選手が幅を利かすのかというと、アメリカの教育界では好結果を出すスポーツの監督や顧問が出世しやすいという事実があるためだという。であれば出世を狙う上司の秘蔵っ子を注意し指導する教師は少ないのだろう。スポーツ偏重主義の結果による惨劇とも言えなくない。

 

*

 

ただ、これだけはっきりネット上で非難されているものの、著者の本の中にはこの男の存在は現れない。ネット上での都市伝説やミームのような類なのかもしれないが、これ以上は分からなかった。

 

 

あの着物の広告。何が悪いのだろうか考えてみた。

 

まずハーフの子を望むことも、年収の高いパートナーを望むことも、悪いことではないと思う。

道が開くというのは何を指してるのかよく分からないが、歩きやすさを望むのも別に悪くないだろう。

これが悪いというなら、ネット上に良く見かけるこれらに類する欲望も否定されるべきか。

むしろ現代では個人の欲求として認められていることではないだろうか。

 

では装いと欲望を結びつけることが悪なのか。だとしたらその理由は何か。結びつけ方か。

 

着物とそれらの欲望を結んではいけないのか。

 

もしかして着物は高尚で、これら欲望は低俗なのか。

 

批判してる人も、この広告の中の何が悪いかまでは整理していることは案外少ないと思う。

 

直観的に腹立たしかったのか。

 

それはなぜなのか。