野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

君は丸十パンを知っているか

丸十パンとは製パン業の組合であり、丸十製法を指導し全国にのれん分けしていて、また丸十の開祖田辺氏はイースト製法の元祖であり、コッペパンの本家だそうです。知っているかなどと聞いておいて、恐縮ですが、僕も最近知りました。

 

最近、朝食がパン食になり、家の近くのパン屋さんの食パンを軒並み試していたのですが、最終的に落ち着いたのが、もっとも渋く古く目立たない「丸十」という名前のパン屋さん。おいてあるものも、クリームパンやコッペパンなどのレトロ系パンが可愛く並んでいて、売れ筋のようです。

 

新しいベーカリーのパンは最初美味しいのだけど、なんか飽きてしまうなー、とおもってこちらの昔ながらの食パン(増税前で158円!)を食べると、さっぱりしていいなー、から、これじゃなけりゃだめだ、になり、我が家の定番となりました。

 

中はきめの細かい生地がふんわりしていて、外はパリッと焼ける。ほんのりと小麦の甘さが、バターと合うんですねー。

 

こちらのお店の年輩のご夫婦は、あまり愛想をふりまく感じではなく、話しかけづらいなーと思っていたけど、今日は勇気を出して、こちらのパンが一番好き、と言うと、お母さんが、気に入ってくれてうれしい、といろいろ教えてくれました。

 

丸十とは組合で、パンの作り方を教えてくれるところ。昔は100以上のれん分けされたお店があったけど、今は40ほどに少なくなった。まだ埼玉と東京はけっこうあるけど。ウチのパンは飽きないと思う、最近のデニッシュ系食パンはバターが多いから最初はいいけどね。大手のメーカーは、いつまでたってもかびないけど、うちのは早めに食べてね。それだけ生ものだから。家も跡継ぎいないから、お父さん頼み、などなど。

 

家に帰って検索すると、最初の内容が出てきました。丸十という名前は、開祖の田辺玄平氏の家紋の丸に十からとられたもの(薩摩の島津家と同じですね)ということです。田辺氏はドライイーストの発明者で、パン食普及者だそうです。

 

偉人じゃないですか。だってドライイースト。今、世界中で食べることのできるフワフワのパンはこの人の発明ですよ。生種を保存するための冷蔵庫がなくても、製パンできるという夢のパン種だったのです。それも私費を投じて、留学し研究したそうです。すごいなー。

 

またコッペパンは戦場で兵隊さんが携帯しやすくするために、丸十が食パンの生地をあのようにしたのが始まりだそうです。元祖コッペパン。たしかにここのピーナツバターを挟んだコッペがふんわりしていて、美味しい―んですよー(´Д`)

 

都内ではのれん分けされて、大きく広げて商売してらっしゃる丸十さんもあるようで、地域によっては、よく知られているかもしれません。丸十の歴史などをまとめたURLをいくつか紹介します。

丸十製パン - Wikipedia

丸十のなつかしいパン/全日本丸十パン商工業協同組合

第一次大戦とパンの成長 http://www.panstory.jp/books/100nennshi/data/hen4_2.pdf

 

こんなに面白い歴史があって美味しくてまじめな丸十パン。もっと知られてもいいのに。組合さんはもう少しPRしてもいいかもしれない。いや、でもこのままが丸十らしいのかもしれない。

 

この商売っ気のなさが、なんか正直でいいなあ、とも思うのです。イースト菌コッペパンの元祖なんていったら、それだけで大いばりしてもおかしくない。自分ならそうしちゃう。最近はどこの食べ物屋に行っても、こだわりの云々かんぬんで能書きばかりなのに。。。

 

そもそもこの開祖の田辺氏は、商売人というより、研究者、教育者だったのだろうと思います。だから弟子たちは氏の死後、会社ではなく製パン指導を主眼とした組合を作ったのではないでしょうか。また田辺氏は職業としての製パン技術だけでなく、家庭でのパンつくりの普及のための指導にも尽力しました。

 

どうも生種をつかった製パン技術というのは、一種の業界利権でもあったようです。ドライイーストを使うことで、高価な冷蔵庫や、生種の難しい保存技術などから、パン作りを開放することで、広く製パンを普及させたかったのではないでしょうか。

 

家庭でのパンつくりは、職業としての製パンに対して、商売敵にもなる話ですが、それをいとわず、製パン技術を広く普及することの先に、田辺氏は何を見ていたのでしょうか。 

 

そして、まだまだ続いてほしい、わが町の丸十。ご夫婦、お体をお大事にがんばってください。