野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

無垢なるものを求め、人は一生を巡る(のか)

子供の頃は、だれでも自分自身が無垢である。

やがて思春期を迎えるあたりから、すこしずつそれは翳りを帯びる。

その頃、純粋な友情や初恋を渇望する。

これは身近な人間関係に、己が失い始めた無垢を、

代替的に無意識に求めるのだろうかと思う。

 

成長し青年期には、信頼の置ける深い愛情を求め、結婚する。

そして子供を得て、新たな次元の無垢に触れ、溺れる。

 

当初無垢そのものであった子どもたちも、親たちがそうであったように、

影を帯びはじめ、代りに外部に無垢を求め始め、親から離れる。

 

子どもという無垢を失った親は、孫を望み、またはペットを得ることで、

新たな無垢を求める。

 

インターネットを見ると、殺伐な言葉があふれる一方、無垢なるものを果てしなく求めている。

 

常に人気のコンテンツの一つに、子どもやペットの無邪気な様子を写したものがある。

 

ライフサイクルは、無垢なるものを補填しつづける旅なのかもしれない

 


Two Husky Dogs Imitate a Crawling Baby - YouTube