野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

若い頃は自分を対象化できない。自分の自意識が強くて、それを拒むから。

 

他人はすぐに対象化できる。モノとして認識できる。傍から見れる。傍から見て、あーだこーだ言える。

 

しかし自分についてはできない。自己愛が邪魔をする。自分を冷静に見るなんて、できない。

 

だから無駄に頑張って、自分に似合わない格好とか、生活のスタイルにチャレンジしたりしちゃう。そして討ち死にする。犬死にする。

 

でも歳を取ってくると、自分のキャラクターを、いつの間にか、自然に受け入れられるようになる。そしてそれを客観視できるようになる。そうすると自分の個性の活かし方がわかりかけてくる。するとなぜか他人に受け入れられるようになる。

 

テレビに出るタレントさんたちは、自らを売り物にして、表に立つ。美形の人間たちは、当たり前だろう。美しいから人前に立てる。しかし芸人さんはどうだ。十人並み、もしくはそれ以下の人も多い。しかし彼らはそれをハンディとせず、むしろ売りにして、世の中に挑む。ブサイクならブサイク芸人として、デブならデブタレとして、馬鹿ならオバカとして。

 

その開き直りと逆転の感性は、その世界で生き残るために、見たくもない己を見つめ続けたゆえだろうと思う。

 

若いころの自分にそれができたであろうか。否。見たくもない自分。それを見つめれば、自己否定の沼に沈んだろう。それが怖くて、やって来なかった。

 

しかし進歩とは、反省からスタートする。省みることから始まる。若くして、臆することなく、己を省みて、新しい自己表現を試みた彼らは、自らのスタイルを得た。