伊集院光は、埋もれた、忘れられた、こぼれ落ちそうなものへ、
光をあてようとしているように見える。
以前から、かるたや川柳が好きで、文化として残したい、と言っていたり。
現在のラジオ企画でも、もう閉店した飲食店の忘れられない味を
ラジオリスナーと共に探し出したり。
職人技についてインタビューしたり。
ちょっと可笑しな古いレコードを発掘したり。
あまり目立つタイプではないような若手の芸人さんを引き立てたり。
そもそも80年代に落語家志望で高校を中退したり。
また昨年の俺の持論「日本人総マリオネット論」も面白かった。
評価・比較サイトのトレンドに乗せられすぎだ、という論旨だった。
簡単に言うと流行りものに盲目すぎないか、という話だと思う。
これは埋もれたものに光をあてるという行為と通底していると思う。
またそれは自分の頭で考えていない世間というものへの反発ではないか。
流される浮世を眺め、自分だけでも、こぼれ落ちるものを忘れないでいようという気概ではないだろうか。