野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

愛犬が死んだ。

 

朝起きて、おむつの具合を見ようと思って近づくと、

まるできれいなバンビみたいな寝姿に見惚れた。

こんなに歳をとったのに、なんてきれいな顔と体つきだろう。

行儀のよい寝方もかわいい。

 

しかし触ると動かなかった。

あまりに健やかな寝顔は、死んでいるとは思えなかった。

眠るように逝ったのだろうか。

 

家族と泣いて悲しんだ。

 

昨日はエコー検査のために少し遠い動物病院に行った。

そこでの結果から、もうすこし頑張れるね、と話したばかりだった。

治療の仕方がまだありそうだった。

 

もう少し、この犬の面倒を見れることに幸せを感じていたのに。

 

検査から帰って疲れた様子もなく、元気だった。

ただ夕食時、いつもよりこちらに近づきたい様子だった。

皆のそばにいたかったのかもしれない。

 

いつも通り、夜中に起きて欲しがる水を飲ませて寝付かせた。

腹ばいだと息苦しいようなので、

横にしてポンポンと体をさするとすっと静かにおとなしくなった。

少し寒いように思えたのでタオルをかけた。

それが最後だった。

 

もう人間なら90代くらい。

いわば寿命、老衰と思いたい。

 

*

 

さいごまでわがままを言わず、静かに耐えて一人で旅立っていった。

無駄吠えもなく、だれとでも仲良くできて、賢くきれいでお茶目な最高の犬だった。

双子の妹はブリーダーに残され、コンクールの入賞犬になったという。

 

焼き場に運び、かわいがってくれた近所のおばさんと共に、お別れした。

棺に好物とさくら草をいっぱい入れてあげた。 

 

*

 

犬を飼っていて、年を経て、

脚も立たず、目も耳も鼻もダメで、おむつをするなんていう状態になったら、

もう絶望だろう、と思っていた。

 

しかしそうではないよ、と思い始めていたところだった。

そういう状態でも愛犬はかわいいし、抱き上げると昔に戻ったような顔をした。

抱えて、外の排水溝におしっこをさせるのも、骨折りどころか楽しみだった。

上手にできればこちらもうれしいし、犬も気分よさそうだった。時折は笑顔になった。

 

こういう状態にならないのが一番良いのだけれど、

こういう状態でも幸せだと思えはじめていた。

 

生きてるだけでかわいい。

生きてるだけでいい。

このままずっと続くといい。

もっと面倒を見てあげたい。もっともっと面倒を見たい。

 

だからペットを飼っていて、老化や介護が怖いと感じる人も

そう心配しなくていいよ、それでもずっとかわいいよ、と伝えたい。

 

それをあの犬が教えてくれた。

絶望のようで、そうでもない。

それでもなんとなく幸せな日常は続いていくのだ。

 

*

 

ペットを飼えば、幸せになれる。

確かにかわいいから、その通り。

 

でも世話はあるし、なにせ亡くなると悲しい。

 

しかしそれは仕方がないこと。

幸せの外注というか、ドーピングをしたのだから、反動やツケの払いは巡ってくる。

 

だけどいいのだ。

それに耐えられれば。

だから耐えないといけない。

 

この苦しさは、それだけあの子がかわいかったということ。

それだけ僕らは幸せだったということ。

だからこそ逃げずに、一旦受け止めなきゃいけない。

静かに戻っていけばいい。