野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

もう一度建前社会に

近年のネット、メディアでの様々な炎上事件、舌禍事件を見ていると、

もう一度建前社会に戻ればいいのだと思う。

 

昔のテレビやマスコミは今より形式ばっていて、

建前的な表現が多かったが、その分まだ上品だった。

 

80年代以降は、それまで人前で慎んでいたような批判や毒舌を大声で話し、

楽屋話を表に出し、お約束を壊し、形式を越え、建前を駆逐した。

見ているこちらにも一種の快感はあったと思う。

 

40年近く経って、もう一度建前の社会に戻ればよいのかもしれない。

建前と本音を再度分ければよいのだ。

 

それはちょっと窮屈かもしれないけど、もしかしたら成熟かもしれない。

その先はどんな価値観の世界なのか見たいとも思う。

 

*

 

またちょっと別の話。

note.mu

 

このノートを読むと、たしかにその通りだけど、

いまだに他人を嗤うという行為はいまだに世の中にある。

愚かな行為や、劣等な特徴を表立ってあげつらうのは、

マナー違反、人格を疑われるような行為だという時代が来ると思う。

 

上のブログの中で紹介されているCHAIというグループの姿勢を見ると、

こういう人たちが今後の価値観を変えていくのかなと思う。

news.livedoor.com

 

例えばそういう揶揄する言葉も、放送禁止用語みたいに

音や伏字で消される日が来るのかもしれない。

 

しかし一方で、人間というのはポジションでものを考えてしまう。

片方でこの言葉には気を付けようと思いつつ、別の言葉には無関心かもしれない。

はてブではこの数日この文章が話題だ。

anond.hatelabo.jp

現在、他人の容姿を嗤ってはいけないと思う人も、

「性的弱者、恋愛弱者、KKO、精神に問題をかかえた人達」

については煽っていいと思っているのかもしれない。

 

*

 

特徴の優劣で人間を区別するというのは、人のもつ動物に近い本能なのかもしれない。

幼児からして行うことだ。しかしそれは弱さからの欲望だ。

理性が本能に負けてしまっている状態だ。

でもそれを克服していくというのは成熟の機会だと思う。

 

他人の属性や外側での判断、評価を禁じれば、中身を見るしかない。

するとその中身とは何だろうという段階が訪れるだろう。

初めて我々は大人になるのかもしれない。

それは何年後だろう。