野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

最低賃金じゃ生活が成り立たない、ということだけど、その主旨は分かる。

だが逆に見ると、アルバイト労働とは生活が成り立たない程度の付加価値しか残せないものなのだ、ということにならないだろうか。そもそも時給仕事で生活していこうという生活設計が、厳しい話にも思える。

 

月給取りの正社員は、お前の給料に見合うだけの売り上げを上げろ、付加価値をつけろとノルマなり目標なりある程度の基準がある。

 

しかし時給で働くということは、安いかもしれないけど厳しいノルマはなしでいいよ、ということでもある。

 

時給でノルマがあるというのは、それはもちろんオカシイ。コンビニでケーキの売上ノルマがあるのはオカシイと思う。が、それは時給とはまた別の労働問題でもある。

 

仮に1500円欲しいとなったら、自分の働きにはそれだけの価値があると毎時間実証できるだろうか。1500円x8時間x20日で24万円。月の給料は正社員並みになってくる。与えられるものが高くなれば、当然、求められるものも高くなる。

 

それでも時給で働いて、なおかつ高い時給がほしい、という働き方をしたい人もいるだろう。それは高いハードルを越える自信があるのだろう。

 

しかし全ての時給労働者が、最低賃金を今の1.5倍に望むというのは難しいのではないか。

 

いや、私はゆっくり時給900円で働きたかったという人も、働く口がなくならないか。900円の労働レベルで働きたいという人が集まっていた事業所が、経営をあきらめることにならないか。働き方の多様性もなくなっていく。

 

基準に満たない人はお断りになるだろう。時給労働者にも成果主義が導入されるだろう。そうしなければ正社員労働者から圧力がかかるだろう。

 

問題はそこなのだ。時給労働者の最低賃金という分かりやすい、飛びつきやすいネタが盛り上がっているが、正社員の給料がそもそも安いのだ。しかしそれは各会社の問題だ。

 

そしてまた、アルバイトでノルマ低く責任なく、時給のみで暮らしていきたいという希望も、やや甘すぎるのではないだろうか。もともと以前から厳しい話なのだ。

 

いろんな事情で、望まないのにそうせざるをない人もいるだろう。しかしそれはもはやセーフティネットの問題であって、そっちで対処すべき話だ。時給を上げる話とは別。

 

はてブの有能そうなブコメの皆さんやツイッターからは、この話題になるとたびたび「それくらい払えない企業はお払い箱へ」的なご意見が散見される。

 

しかしながら、その優秀で沢山いるらしい時給1500円主義者が集まって、一つの事業を立ち上げ、高時給でも経営は成り立つという実証をしてやるという話は聞いたことがない。データや実績やノウハウをフィードバックすれば社会的にも有意義だ。

 

優秀で熱意もある人たちが集まっても実現できないことを、他人に強いるというのは虫が良すぎないか。

 

ZOZOタウンが高い時給で求人した。これは良いことだと思う。そうやって良い人材が高い給料をとることは良い。それを企業自らが行うのは良いこと。また山本太郎システムも良いと思う。

 

しかしそれと最低時給を一律1.5倍以上にするというのは、別だと思う。

 

1500円の付加価値に満たない人間は振り落とされ、残った人間は重いノルマと労働量に苦しむ。それをこなせるスーパーアルバイター以外の人間には労働は認められない。すると生活保護に落ちていくしかない。

 

より厳しいディストピアがやってくるかもしれない。その程度ができない企業がお払い箱になるということは、その程度のことができない人もお払い箱になるのだ。