野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

LPサイズのジャケットだけ売ったらどうだろう。

https://dailyportalz.jp/kiji/enjoy_jakegai

ジャケ買い」の楽しさをもう一度

 

これを読んで懐かしくなった。あまりやったことないけど、たまに覚えがあるジャケ買い。外れたっけなー。なんだっけあれ…。

 

レコードからCDに移行してもう30年だ。

それなのにLPサイズのジャケットにまだまだ魅力があるというのはすごい。

 

そこで思ったのだけど、新作の音源も、ジャケットを別売りすればよいのではないか。

ジャケットだけなら安くできそう。

 

「ダウンロードした人だけ」みたいな縛りを付けると、色々面倒くさい。

でもジャケットだけでも欲しい人みたいな需要を掘り起こせるかもしれないし。

ジャケットだけ売るっていうのどうだろうなあ。

 

もしかしたらお気に入りの写真をLPジャケットに仕立てますみたいなサービスとかどうだろう。

 

最近聴いているSpotifyのプレイリスト

どういうコンセプトか分からないけど、60sから現代までのルーツ系ロックだろうか

プラスチックのマスクを再利用して、色付きにしたら良いと思う。タオルでもいい

新型コロナの流行でマスクが足りないという事態になりつつあるようです。自分は作業用のカップマスクを箱で持っていたので、当座はまだ良いのですが、こういうことにも備えておく時代になったようです。

 

昔のマスクはガーゼ式の物しかないのですが、これは結構繰り返し洗濯して再利用したものです。最近のマスクは使い捨てが基本なので、足りなくなるとかなり困ります。

 

最近は、透明なプラスチック製の使い捨てマスクというのもあります。この前スーパーの中のベーカリーで使われていて初めて目にしました。口元が見える方が接客する上で便利なのかもしれません。

 

またこのプラスチック製なら、いざマスク不足というときも口元部分を消毒すれば再利用がしやすいと思います。口元部分は透明なのでツバが飛ぶと汚く見えるというデメリットがあるようですが、白でも青でも色付きにしてしまえばツバは見えないし、実用上問題がありません。

 

再利用しやすいマスクというのも、これからの課題ではないでしょうか。ただ極端な話、タオルを巻いても良いのだと思います。

電話のコールは10回までにしてください。

親族に電話の呼び出しコールを延々と鳴らす人がいる。

 

風呂に入っていたり、休んでいたり、手を離せない家事や作業していたりすると、すぐに出れないことがある。

 

向こうはお構いなしに電話を鳴らし続けるので、仕方なしに中断して出ると、どうでも良い内容。

 

だいたいこういうコールをする人は、がまんの閾値が低い。

 

だからどうでもいいハナシでもすぐに決着を付けたいので、相手の状況など考えず、さっさと電話する。すると今度は相手が電話に出ないことに我慢がならないので延々とコールをし続ける。

 

相手への尊重や想像力がない。それらがあれば、長々コールを鳴らせるはずはない。我慢ができず、想像力が低く、他人への敬意がないというのは、人としてレベルが低すぎる。大人として良識を欠いているという自覚がほしい。ムキになって勝ち負けのように掛け続けているのかもしれない。そう考えると不気味だし、敬遠、軽蔑する。

 

10回も鳴らして出ないのは、居ないか出られない状況なのだから切るというのがマナーだ。それだけやったら割り切って考えを変えるべき。そういう柔軟性や創造性がないのだろう。動物みたいだ。前頭葉働いているのか。

 

むしろそのタイミングで掛けた自分の方に非があるのだ。相手側には必ず電話に出る義務などない。

 

 

小泉進次郎さんは育休を取られます。

そのこと自体は良いことです。

 

しかし彼は労働者ではなく、大臣という特別職です。

組織のトップであり、会社なら取締役です。

 

自分だけ育休をとって、部下である環境省職員には取らせないということはないでしょう。隗より始めよ、というのはそういうことです。それができて初めて評価をしたい。

 

単にスキャンダル逃れじゃないことを祈ります。

小学校低学年のころは毎週土曜日のドリフの8時だよ!全員集合が楽しみだった。視聴率100%男の欽ちゃんの番組もまだまだ大人気だった。

 

小学校三年生の夏休みにひょうきん族に出会ってからは、ビートたけしファンになり中学校の途中までそれが楽しみだった。小学校五年のときに笑っていいともが始まり、密室芸人だったタモリが表舞台でブレイク。

 

中学校になるととんねるずが大人気。高校時代までよくテレビで見た。明るいアナーキストといった風の人気者には、全国の若者が動向を注視せざるを得ないようなカリスマ性があった。

 

90年代に入り、大学生になるころにはダウンタウンが大きく人気を伸ばした。とんねるずよりも昏い目のサディスト的な笑いは、それまでの陽気なバラエティの角度を大分変えたと思う。

 

近年はとんねるずの笑いはハラスメント芸だといって批判されるけど、DTの番組はそれ以上に人間性を疑いたくなるようなネタがいっぱいだったと思う。それを見てみんな笑っていたんだから同罪だけど。

 

90年代後半になるとそれまで低迷していた爆笑問題が念願のブレイク。これも太田光の暗さや人間不信からくる違和感が源になっていて不思議な対称性であった。松本人志にはない文学的な知性に惹きつけられた人も多かったろう。

 

たけしは映画に夢中だったようだけど、このころはまだBIG3も元気で存在感も強く、その他にもウッチャンナンチャンボキャブラ芸人、ナイナイなどの元吉本天然素材組も現れて、まさに百花繚乱であった。

 

*

 

たけし、タモリから爆笑問題までは、他人や社会の約束事・建前を嘲笑い、ぶち壊すという破壊芸だった。それによって日本人の感覚も大分変っていった。たしか欽ちゃんはたけし以降、日本人の感性が変わったと言っていたと思う。

 

壊すことにカタルシスがあるのだろうけど、もうこれ以上壊せないところまで来てしまった感もある。ポリコレという新しい建前は世界的なもので、歯が立たないようにも見える。

 

おそらく少しエグみのある笑いはBSやCS、ネット番組に流れていくのではないか 地上波はまた建前の多い、上品で清潔な笑いに戻っていくのかもしれない。それもむべなるかな。そのころ日本人は何で笑っているのだろう。

 

いつもよりちょっと良いだけのジャンクフード

職場の付き合いで毎年クリスマスになると、コンビニのケーキの予約票が回ってくる。

 

自分はケーキはいらないから、同じパンフに載ってるクリスマス用の料理(?)を注文する。

 

ちょっと良いチキンやサンドイッチ、ピザなんか。

 

でもそれはよく考えたら、いつもよりちょっと良いだけのジャンクフードではないか。

 

しかしながらこれでもちょっと良い気分が味わえるのだから、ありがたいような気持ち。

 

美味しかった。今年のジャンクフード。

 

 

 

他人を属性で判断するのって、血液型占いと大して変わらないような気がする。

 

極論の一種だけど、極端な人って何かに怯えてるように感じる。

怯えから偏向に走るような。

 

自分がそのように判断されるのが怖いのかな。

我々の半分は、どれだけ生活が地盤沈下しても、選挙にはいかない。

我々の半分は、どれだけ生活が地盤沈下しても、選挙にはいかない。

 

首を絞められてもニヤニヤ笑っているだけ。

 

子供が蹴飛ばされてもヘラヘラしているだけ。

 

 

体に無害な麻薬

有名人の麻薬汚染が話題ですが、中毒性もなく、体に無害で多幸感を得られる麻薬は、現代の科学でも製造できないものでしょうか。それがあれば、孤独や不幸の多くは解決できるのでは。優しさの偏在の問題や、よしよしハウスの必要もなくなるのでは。

 

また足腰の衰えた高齢者に筋肉増強剤を与えてはダメなのでしょうか。

 

忌避されがちな薬も使い方によっては意味があるかもしれません。

 

無害な麻薬が解放されたら、それはどんな社会になるのでしょう。

日常系ドキュメンタリー番組、求ム

水曜の9時から、関東ではテレビ東京で「家ついて行っていいですか」という番組をやっているのだけど、これが楽しみ。

 

普通の人の普通の家庭を見せてもらうだけなのだけど、色んな人生が垣間見えて興味深い。結構ホロリとさせられたりすることも多い。

 

以前は深夜にやっていたのだけど、その頃はいい加減な生活していて笑える人も多かった。最近は結構真面目な人が多い。

 

時折、こんな面白い家の人、仕込みじゃないの、みたいな目で見てしまうこともなくはないけど、そんな野暮なことは言いっこなし。

 

*

 

NHKの72時間も見ています。これもいいですね。

 

*

 

その番組はもちろん国内なのだけど、以前は海外の人の日常ドキュメンタリーがいくつかあった。自分が覚えているのは知花くららがナビゲーターをしていた「グローバル・ビジョン」と「世界の子供たち」。特にグローバル…は録画してみていたのだけど、もう数年前に終わってしまった。

 

特にドラマが起こるわけでもないけど、各国の人の生活ぶりを丁寧に味わい深く描いていて、好きだった。多分BSトゥウェルビの放送だったと思う。MXだったかな。

 

もう、後継の番組もないままだけど、こういう番組こそ、ずっと見ていたい。

再放送や、再開があったらいいのに。

今のところのスカーレットのよさ

朝ドラ・スカーレットのよいところは、生活や人物描写が丁寧なところ。会話や人柄の楽しさが共感を呼んでいるのではないか。

 

近年というよりこの20年くらいの朝ドラは、女の子が大きな夢をかなえるために努力まい進するというのがパターンだけど、食傷気味。特に東京製作は理想主義によってる気がする。

 

それ以前は、戦争をくぐり抜けた女の一代記が多かった。

 

今のところ、このどちらにも転んでないけど、描写の細やかさや会話の楽しさというのは昔のホームドラマの定番であり、先祖返りしているように見える。

 

向田・山田・倉本の三巨匠の時代はこういう楽しみかたが普通にあったはずなのだが。