安倍さんは一次と二次の政権で大分変ったように見える。そこが安倍政治を振り返るポイントではなかろうか。
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安倍さんは第一次政権では保守色はそんなに強くなく、所信表明も「小泉改革を引き継いだ構造改革を目指す」であった。
小泉改革は『聖域なく』がポイントで、聖域とは抵抗勢力の「官僚・族議員・天下り」であって、そこも容赦なくやりますよということ。政治主導を取り戻しますという宣言だろうと思う。
だから敵設定である「抵抗勢力」は野党ではなく官僚組織、族議員、天下りだった。このころは安倍さんから野党への野次なども印象がない。
しかしその結果、安倍さんの最初の政権は、官僚からのアシストが少なく、もしくは足を引っ張られたか、まるで「どこか」からかリークされたようなスキャンダルが政権内に連発された。そして参院選で大敗し、内閣改造も失敗し、総理・総裁を降りた(ように見えた。体調云々は後から広く知られたはず)。
自民党政権はその後、福田、麻生と転がり野党へ落ちた。
小泉政治が盛り上がったのも、安倍さんが参院選を大敗したのも、民主党が政権を取った時も浮動票が動き、高い投票率となった。それを盛り上げたのはマスコミだった。メディアが盛り上がれば、投票率が上がり自党は不利になる。自民党は浮動票の怖さが身に染みたと思う。
その後、やはり構造改革路線を実質継いだ民主党も、「事業仕訳」が官僚の逆鱗に触れたのか皮肉にも安倍政権と似たように崩れていった。
政権の維持に必要なのは、官僚と浮動票の対策である。
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第二次安倍政権は良く知られた通りだが「聖域なき構造改革」というワードは聴いた覚えがない。むしろ財務省とは消費税と金融緩和をバーターし、財務省の代わりに経産省を抱き込んだように見えた。官僚とは「取引」をしたようだった。
「抵抗勢力」という言葉も消え、その分、野党やリベラル勢力をあまり上品ではない野次で攻撃した。そしてなぜか議論はしないのに改憲を「掲げ続け」た。これらは保守票へのパフォーマンスにも見えた。
メディアや総務省に強い世耕氏や菅氏を要職に据え続け、マスコミ対策=浮動票対策も成功。投票率は下げ止まったままになった。
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安倍さんは何をしたかったのか、正直良く分からない。とにかくもう野党に堕ちたくないという恐怖感だったのではないか。そのために重視したのは投票率を上げず、固定票・組織票を固めてようという方針だった。宗教組織の力にも頼り、それがあの銃撃につながったのかもしれない。
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安倍さんは本質的にそんなに保守でもない。これはBSTBS報道1930で元自民党の古賀誠氏もそう言っていたから、同じように考える人も少なくないと思う。
一体、何がしたかったんだろう。そんなに改憲したかったら、9年間の総理在任期間にもう少し進めても良かったと思う。本当は荷が重かったのではないか。
第二次政権でやりたかったことはとにかく下野したくない、与党でいたい、そのために選挙対策しようということだったのではないか。亡くなった人に悪いが、空っぽの大きな箱だったようにも見える。
あの第一次政権の後、野党になった時、安倍さんはどう過ごして、何を考えたのか。あまり伝わっていないが、日本のこの直近10年を振り返るポイントだろうと思う。