野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

『サムバディ・サムウェア』を観ながら「下品」の効用を考える(U-nenxt、HBO)

家で映画など観ていると寝てしまうので、あまり配信ドラマなんかもチェックしない。

 

それでもあんまりにも眠れない夜中に、自分向けのドラマを探してみようと、勢いでU-nextに入ってみた。

 

「サムバディ・サムウェア」

これにちょっとハマった。

dramanavi.net

 

やや不謹慎気味のジョークがたくさん出てくる、アメリカの田舎の日常系ホームドラマだ。スケールの大きな設定や壮大なテーマや物語はない。

 

それだけだとあまり食指が動かないのだけど、主人公のサム(サマンサ)は巨漢の40代女性。なんだか一筋縄ではないと感じでスタートしてみた。

 

*

 

サムは病身の姉の介護のために都会からカンザスの故郷の田舎町に帰ってきたものの、姉は亡くなってしまう。その一年後から話は始まる。

 

なかなか地元に馴染み切れないサムは老いた両親とともに暮らし、大型の公民館のようなところでエッセイ(?)の採点係の仕事をしてる。そしてそこでヒョロヒョロのゲイのジョエルと仲良くなる。

 

姉を喪った悲しみが残ったまま、田舎町に違和感を持ちつつ暮らすサムの再生の物語なのだろうけど、彼女は基本的に元気で声が大きく、口が悪くて意地っ張り。一日中、下品なジョークを明るく連発している。傷ついた主人公の典型とはだいぶ違う。そこがいい。

 

だからその悲しみに、同情や共感がすぐにできるタイプのキャラクターではない。そんな単純な構造ではない。まずそこに面白みがある。分かりやすいわけではないけど、却って期待や魅力を感じる。

 

相棒のジョエルもまた同様のセンスの人間で、田舎に生きるゲイとしての辛さもあるだろうけど夢もあり、基本楽しく生きている。

 

この二人がギャーギャーと騒々しく、下ネタや他人の悪口を叩きながら、町を行ったり来たりして元気にすごしてる様子がなんとも楽しく、おすぎとピーコのようである。おすピーがなき今、自分のおすピーロスを満たしてくれている。(ピーコ、フォーエバー)

 

二人は趣味の歌のために教会の合唱クラブに参加する。サムは歌がうまくて音楽モノの良さもある。

 

*

 

この合唱クラブには何故かLGBT系の人たちが多いのだけど、彼らは特に強い主張をするわけではない。凸凹コンビと同様に口が悪く、品のないジョークを連発しながら、そして互いをフォローしながら町で暮らしている。

 

サムの妹は気が強く、姉と折り合わず、母やアルコール中毒の気配があり、父は母を甘やかす。それでも寄り添い合い、やはり常にジョークを言い合い共に過ごす。

 

みな少しずつ欠点やだらしない点があり、むしろ美点は少ない。特に見た目的に美男美女は全く出てこない。

 

そこでドラマのタイトルに気付く。「サムバディ・サムウェア」。どこかのだれか。どこにでもいる、だれかさんの話。特別なヒーローも、ヒロインも、大冒険も、大げさなカタルシスもないけど、その「日常」にこそ魅力があり、深淵を感じる。

 

70年代の日本のドラマの巨人たち、山田・向田・倉本系が好きな人にはお勧めできるかもしれない。

 

youtu.be

 

*

 

そして彼らのセリフやジョークや劇中起きるハプニングがイチイチ下らなくて最高。くだらないことを意識的にちりばめているように思える。

 

自分自身くだらないジョークや話こそ、人を癒すと思っているので、歓迎したいとみていた。

 

事実、サムたちは傷つき、そして再生する時も、いつも下品なジョークと共に涙しながら、己の内面を吐露するのだ。そこにリアリティと悲しみと希望を見る。

 

現代ではあまり歓迎されないこういうオゲレツネタは、それに傷つく人もいるのだろう、しかしそれにはある面で実は、癒しの効用もあるのではないか。傷つきと癒しは表裏一体なのか。下品とは薬でもあり、毒でもある。

 

*

 

下品と尊厳、ユーモアと悲しみ、こういった両義性を成功させた表現というのは、大方において名作であると思う。素晴らしい。

『サムバディ・サムウェア』を観ながら「下品」の効用を考える(U-nenxt、HBO)

家で映画など観ていると寝てしまうので、あまり配信ドラマなんかもチェックしない。

 

それでもあんまりにも眠れない夜中に、自分向けのドラマを探してみようと、勢いでU-nextに入ってみた。

 

「サムバディ・サムウェア」

これにちょっとハマった。

dramanavi.net

 

やや不謹慎気味のジョークがたくさん出てくる、アメリカの田舎の日常系ホームドラマだ。スケールの大きな設定や壮大なテーマや物語はない。

 

それだけだとあまり食指が動かないのだけど、主人公のサム(サマンサ)は巨漢の40代女性。なんだか一筋縄ではないと感じでスタートしてみた。

 

*

 

サムは病身の姉の介護のために都会からカンザスの故郷の田舎町に帰ってきたものの、姉は亡くなってしまう。その一年後から話は始まる。

 

なかなか地元に馴染み切れないサムは老いた両親とともに暮らし、大型の公民館のようなところでエッセイ(?)の採点係の仕事をしてる。そしてそこでヒョロヒョロのゲイのジョエルと仲良くなる。

 

姉を喪った悲しみが残ったまま、田舎町に違和感を持ちつつ暮らすサムの再生の物語なのだろうけど、彼女は基本的に元気で声が大きく、口が悪くて意地っ張り。一日中、下品なジョークを明るく連発している。傷ついた主人公の典型とはだいぶ違う。そこがいい。

 

だからその悲しみに、同情や共感がすぐにできるタイプのキャラクターではない。そんな単純な構造ではない。まずそこに面白みがある。分かりやすいわけではないけど、却って期待や魅力を感じる。

 

相棒のジョエルもまた同様のセンスの人間で、田舎に生きるゲイとしての辛さもあるだろうけど夢もあり、基本楽しく生きている。

 

この二人がギャーギャーと騒々しく、下ネタや他人の悪口を叩きながら、町を行ったり来たりして元気にすごしてる様子がなんとも楽しく、おすぎとピーコのようである。おすピーがなき今、自分のおすピーロスを満たしてくれている。(ピーコ、フォーエバー)

 

二人は趣味の歌のために教会の合唱クラブに参加する。サムは歌がうまくて音楽モノの良さもある。

 

*

 

この合唱クラブには何故かLGBT系の人たちが多いのだけど、彼らは特に強い主張をするわけではない。凸凹コンビと同様に口が悪く、品のないジョークを連発しながら、そして互いをフォローしながら町で暮らしている。

 

サムの妹は気が強く、姉と折り合わず、母やアルコール中毒の気配があり、父は母を甘やかす。それでも寄り添い合い、ジョークを言い合い共に過ごす。

 

みな少しずつ欠点やだらしない点があり、むしろ美点は少ない。特に見た目的に美男美女は全く出てこない。

 

そこでドラマのタイトルに気付く。「サムバディ・サムウェア」。どこかのだれか。どこにでもいる、だれかさんの話。特別なヒーローも、ヒロインも、大冒険も、大げさなカタルシスもないけど、その「日常」にこそ魅力があり、深淵を感じる。

 

70年代の日本のドラマの巨人たち、山田・向田・倉本系が好きな人にはお勧めできるかもしれない。

 

youtu.be

 

*

 

そして彼らのセリフやジョークや劇中起きるハプニングがイチイチ下らなくて最高。くだらないことを意識的にちりばめているように思える。

 

自分自身くだらないジョークや話こそ、人を癒すと思っているので、歓迎したいとみていた。

 

事実、サムたちは傷つき、そして再生する時も、いつも下品なジョークと共に涙しながら、己の内面を吐露するのだ。そこにリアリティと悲しみと希望を見る。

 

現代ではあまり歓迎されないこういうオゲレツネタは、それに傷つく人もいるのだろう、しかしそれにはある面で実は、癒しの効用もあるのではないか。傷つきと癒しは表裏一体なのか。下品とは薬でもあり、毒でもある。

 

*

 

下品と尊厳、ユーモアと悲しみ、こういった両義性を成功させた表現というのは、大方において名作であると思う。素晴らしい。

『サムバディ・サムウェア』を観ながら「下品」の効用を考える(U-nenxt、HBO)

家で映画など観ていると寝てしまうので、あまり配信ドラマなんかもチェックしない。

 

それでもあんまりにも眠れない夜中に、自分向けのドラマを探してみようと、勢いでU-nextに入ってみた。

 

「サムバディ・サムウェア」

これにちょっとハマった。

dramanavi.net

 

やや不謹慎気味のジョークがたくさん出てくる、アメリカの田舎の日常系ホームドラマだ。スケールの大きな設定や壮大なテーマや物語はない。

 

それだけだとあまり食指が動かないのだけど、主人公のサム(サマンサ)は巨漢の40代女性。なんだか一筋縄ではないと感じでスタートしてみた。

 

*

 

サムは病身の姉の介護のために都会からカンザスの故郷の田舎町に帰ってきたものの、姉は亡くなってしまう。その一年後から話は始まる。

 

なかなか地元に馴染み切れないサムは老いた両親とともに暮らし、大型の公民館のようなところでエッセイ(?)の採点係の仕事をしてる。そしてそこでヒョロヒョロのゲイのジョエルと仲良くなる。

 

姉を喪った悲しみが残ったまま、田舎町に違和感を持ちつつ暮らすサムの再生の物語なのだろうけど、彼女は基本的に元気で声が大きく、口が悪くて意地っ張り。一日中、下品なジョークを明るく連発している。傷ついた主人公の典型とはだいぶ違う。そこがいい。

 

だからその悲しみに、同情や共感がすぐにできるタイプのキャラクターではない。そんな単純な構造ではない。まずそこに面白みがある。分かりやすいわけではないけど、却って期待や魅力を感じる。

 

相棒のジョエルもまた同様のセンスの人間で、田舎に生きるゲイとしての辛さもあるだろうけど夢もあり、基本楽しく生きている。

 

この二人がギャーギャーと騒々しく、下ネタや他人の悪口を叩きながら、町を行ったり来たりして元気にすごしてる様子がなんとも楽しく、おすぎとピーコのようである。おすピーがなき今、自分のおすピーロスを満たしてくれている。(ピーコ、フォーエバー)

 

二人は趣味の歌のために教会の合唱クラブに参加する。サムは歌がうまくて音楽モノの良さもある。

 

*

 

この合唱クラブには何故かLGBT系の人たちが多いのだけど、彼らは特に強い主張をするわけではない。凸凹コンビと同様に口が悪く、品のないジョークを連発しながら、そして互いをフォローしながら町で暮らしている。

 

サムの妹は気が強く、姉と折り合わず、母やアルコール中毒の気配があり、父は母を甘やかす。それでも寄り添い合い、ジョークを言い合い過ごす。

 

みな少しずつ欠点やだらしない点があり、むしろ美点は少ない。特に見た目的に美男美女は全く出てこない。

 

そこでドラマのタイトルに気付く。「サムバディ・サムウェア」。どこかのだれか。どこにでもいる、だれかさんの話。特別なヒーローも、ヒロインも、大冒険も、大げさなカタルシスもないけど、その「日常」にこそ魅力があり、深淵を感じる。

 

70年代の日本のドラマの巨人たち、山田・向田・倉本系が好きな人にはお勧めできるかもしれない。

 

youtu.be

 

*

 

そして彼らのセリフやジョークや劇中起きるハプニングがイチイチ下らなくて最高。くだらないことを意識的にちりばめているように思える。

 

自分自身くだらないジョークや話こそ、人を癒すと思っているので、歓迎したいとみていた。

 

事実、サムたちは傷つき、そして再生する時も、いつも下品なジョークと共に涙しながら、己の内面を吐露するのだ。そこにリアリティと悲しみと希望を見る。

 

現代ではあまり歓迎されないこういうオゲレツネタは、それに傷つく人もいるのだろう、しかしそれにはある面で実は、癒しの効用もあるのではないか。傷つきと癒しは表裏一体なのか。下品とは薬でもあり、毒でもある。

 

*

 

下品と尊厳、ユーモアと悲しみ、こういった両義性を成功させた表現というのは、大方において名作であると思う。素晴らしい。

『サムバディ・サムウェア』を観ながら「下品」の効用を考える(U-nenxt、HBO)

家で映画など観ていると寝てしまうので、あまり配信ドラマなんかもチェックしない。

 

それでもあんまりにも眠れない夜中に、自分向けのドラマを探してみようと、勢いでU-nextに入ってみた。

 

「サムバディ・サムウェア」

これにちょっとハマった。

dramanavi.net

 

やや不謹慎気味のジョークがたくさん出てくる、アメリカの田舎の日常系ホームドラマだ。スケールの大きな設定や壮大なテーマや物語はない。

 

それだけだとあまり食指が動かないのだけど、主人公のサム(サマンサ)は巨漢の40代女性。なんだか一筋縄ではないと感じでスタートしてみた。

 

*

 

サムは病身の姉の介護のために都会からカンザスの故郷の田舎町に帰ってきたものの、姉は亡くなってしまう。その一年後から話は始まる。

 

なかなか地元に馴染み切れないサムは老いた両親とともに暮らし、公民館のようなところでエッセイ(?)の採点係の仕事をしてる。そしてそこでヒョロヒョロのゲイのジョエルと仲良くなる。

 

姉を喪った悲しみが残ったまま、田舎町に違和感を持ちつつ暮らすサムの再生の物語なのだろうけど、サムは基本的に元気で声が大きく、口が悪くて意地っ張り。大体、下品なジョークを明るく連発している。

 

だからその悲しみに、同情や共感がすぐにできるタイプのキャラクターではない。そんな単純な構造ではない。まずそこに面白みがある。分かりやすいわけではないけど、却って魅力を感じる。

 

相棒のジョエルもまた同様のセンスの人間で、田舎に生きるゲイとしての辛さもあるだろうけど夢もあり、基本楽しく生きている。

 

この二人がギャーギャーと騒々しく、下ネタや他人の悪口を叩いている様子がなんとも楽しく、おすぎとピーコのようである。おすピーがなき今、自分のおすピーロスを満たしてくれている。(ピーコ、フォーエバー)

 

二人は趣味の歌のために教会の合唱クラブに参加する。サムは歌がうまくて音楽モノの良さもある。

 

*

 

この合唱クラブには何故かLGBT系の人たちが多いのだけど、彼らは特に強い主張をするわけではない。凸凹コンビと同様に口が悪く、品のないジョークを連発しながら、そして互いをフォローしながら町で暮らしている。

 

サムの妹は気が強く、姉と折り合わず、母やアルコール中毒の気配があり、父は母を甘やかす。それでも寄り添い合い、ジョークを言い合い過ごす。

 

みな少しずつ欠点やだらしない点があり、むしろ美点は少ない。特に見た目的に美男美女は全く出てこない。

 

そこでドラマのタイトルに気付く。「サムバディ・サムウェア」。どこかのだれか。どこにでもいる、だれかさんの話。特別なヒーローも、ヒロインも、大冒険も、大げさなカタルシスもないけど、その「日常」にこそ魅力があり、深淵を感じる。

 

70年代の日本のドラマの巨人たち、山田・向田・倉本系が好きな人にはお勧めできるかもしれない。

 

youtu.be

 

*

 

そして彼らのセリフやジョークや劇中起きるハプニングがイチイチ下らなくて最高。くだらないことを意識的にちりばめているように思える。

 

自分自身くだらないジョークや話こそ、人を癒すと思っているので、歓迎したいとみていた。

 

事実、サムたちは傷つき、そして再生する時も、いつも下品なジョークと共に涙しながら、己の内面を吐露するのだ。そこにリアリティと悲しみと希望を見る。

 

現代ではあまり歓迎されないこういうオゲレツネタは、それに傷つく人もいるのだろう、しかしそれにはある面で実は、癒しの効用もあるのではないか。傷つきと癒しは表裏一体なのか。下品とは薬でもあり、毒でもある。

色んな事の出来るDIYの教室やサークルがあったらいいなあ

木工・金工やったり、園芸やったり、電子工作やったり、絵をかいたり、版画やったり、アウトドアで写生したり、たまには楽器やったり…

 

大人の美術部みたいなものがあったら、引退後入りたいね

 

そういうの無いのかな

 

 

「このイラストはAIによって生成されました」

大人の美術部 みんな表情が暗い

 

オカネ=権利 論

 

そもそもオカネってなんだろう。

仮に「権利」としてみる。

これは「モノやサービス」と交換できる権利である。

その権利は国が絶対的に保障しているとする。

 

国はこれに目的をつけて世に放出する。

それを国の予算とする。

 

これが世間をめぐり、自分の勤める会社に、提供しているモノやサービスの対価として集まってくる。

ここから経費の一部が給料として分配される。

仮に一人、一年に数百万の「権利」が手に入るとする。

 

しかしその権利は全てを使うことはできない。

定量が「税」として徴収される。

その目的は主に「インフレ防止、格差の是正」。

 

そして徴収された権利は、すぐに消滅される。

国が保障してる権利だから、消滅することができる。

消滅することで二つの目的は達成される。

 

世間に権利が溢れて価値が暴落しないように一定量消滅させる。

これがインフレ防止。

 

富裕層の権利が増えすぎないように所有する権利を一定量消滅させる。

これが格差の是正。

 

定量を世の中から消滅させることで、経済全体のバランスが取れる。

税とは権利を消滅させること。

 

単に権利という概念であってモノではないので、回収し再利用されることもない。

その必要もない。

 

国はまた次の年の予算を立てる。目的のついた権利の放出をする。

これを繰り返す。

 

オカネの本質は権利である。

これに対し、仮に物体として形を与えたものが紙幣やコインである。

 

本質である権利と、それの仮の姿である貨幣、これが通貨なのではないか。

 

だいぶ単純化したけど、オカネを権利と考えるとそのように納得できた。

最低賃金は1990年頃に平均約500円だった。今は倍。その間デフレ。でも生活は何故か楽にならない。

最低賃金は1990年頃に平均約500円だった。35年かかって倍になった。さらに同じ額を5年で上げろって無茶だと思う。無理が起これば、しわ寄せが起こる。そこから別の不全が起こる。

 

nujonoa.com

 

むしろ30年低成長&デフレなのに最賃は倍になったのだ。でもなぜか生活は楽にならない。ずっとデフレで物価はあまり上がらなかったのに。

 

なぜか。税金と社会保障費が上がってるからだろう。

 

賃金を上がっても、国に払うものが増えただけ。右から左。

 

そして今、仮に1.5倍にしてもそれは物価が高くなるだけで、やはり生活が楽になるわけではない。高くなった人件費が、物価に反映されるだけ。これもやはり、右から左だ。

 

マクロで経済成長させ続けないかぎり、最賃アップで解決できることは少ないだろう。政治家・経団連・官僚は、自分たちは30年経済成長させない方針でいたくせに、そのツケを時給の現場に押し付けているだけ。無責任。

 

また多くの労働者は労働争議や賃金交渉などリスクの高い行為はせず、高い給料を求めて転職をするわけでもなかった。ならば賃金は上がらないだろう。国も会社も親鳥ではない。雛が鳴いても、口を開けても、餌をくれるわけではない。

 

 

デモテープが聞きたいベテラン:陽水・晴臣・マッカートニー

「実はデモテープが一番素晴らしいんだ」

 

80年代頃、ポール・マッカートニーがやや不調の時代に、関わったプロデューサーがこんなことを言っていた。

 

その人がだれか忘れてしまったけど、ポールがギター一本、ピアノ一つで弾き語ったデモテープは素晴らしいのに、完成した音源は様々なアレンジをやりすぎて散漫になってしまうとのことだったと覚えてる。

 

*

 

確かにその他のベテラン大物アーティストでも、新譜を出すとちょっとアレンジ過剰なのではないかと感じることがある。

 

大物になれば、何でも話が通ってしまい、無理です、と止められることもないのだろう。

 

彼らの若い頃は今より機材の自由が利かず、予算やスケジュールなど様々に制約があり、その中でより良いものを作っていたのだろう。制約が溢れ出る創造性をまとめていたのかもしれない。

 

*

 

ポール以外にも90年代以降の井上陽水や、近年の細野晴臣も少しアレンジ過剰かなという気がする。この三人のデモを聴いてみたいなあ。

 

もしかしたらベテランが額縁に凝るのはよくあることなのかもしれない。焦りだろうか。自分はまだ新しい時代や新しい趣向に付いていけている、と確認するのだろうか。

 

一般人でもこういうことってあるんでしょうかね。天才児たち故に、まだまだ、もっともっととオーバーリーチするのでしょうか。

 

 

 

youtu.be

 

CD整理。どうしよう。音楽の今と過去。

両親が終活を始めたのだけど、遅い。先延ばし癖があるので何にも決めずに来た。こちらも多少せかしたけど、自分の死に向き合わせるのが残酷な気がしてあまり積極的ではなかったことに後悔気味。

 

そんなんで自分はどうだろうと振り返ると、自分の家族はいないので自分が末代。せめて自室や周辺のものをどんどん処分しようと考えた。

 

本や古い資料的なものはバンバン捨てたり、買取に出したりできたけど、CDが難しい。

 

正直ほとんどのCDは今後聴く気はない。もうspotifyyoutubeで充分。特に音質にこだわりもない。

 

聴く気がないのだから買取に出せばいいのに、なんだか思い入れもあってまだ出せない。

 

出せない割に場所を取るので、薄いCDファイルのようなものに入れようと考えるけど、それをするとプラケースを捨てることになる。

 

プラケースを捨てると、もし将来買取に出そうとすると買い取ってもらえなくなる…という連想を行ったり来たりで、作業が進まない。

 

さらにケースと中身が違う、ケースに肝心のCDが入っていないなど不備の状態のものも意外と多い。その整理が面倒くさい。どうなってんだ。

 

*

 

90年代、自分が20代の時、CD全盛期。巨大なCDショップや個人の輸入盤屋があちこちにできて、視聴盤コーナーなんて夢のようだった。1日に複数ハシゴしたりした。

 

それは音楽自体が文化の中心にいるようだった。メジャーシーンではミリオンヒットが、インディーシーンでは新しい音楽が次々生まれた。リアルタイムの洋楽も邦楽も多種多様、古い音源もリマスターされた。音楽雑誌は溢れかえり、国内の小さなライブやイベントも、メジャーな洋楽アーチストの来日公演もどんどん実現された。

 

今の50前後の音楽好きはものすごく恵まれた若い時を過ごしていたのだ。何より音楽というジャンル自体が注目を浴びて、輝いているようだった。音楽の神様がいたのだろう。

 

今はどうだろう。誰もが知るような大物洋楽アーチストの来日公演は聞かず、ライブハウスは減少してるという。巨大なCDショップは軒並み閉店した。バンドの物販では音源よりTシャツが売れるという。

 

映像と音楽というと、以前は音源を売るためのPVという映像のあり方だった。音楽が中心で、映像はそのオマケのようなもの。今は音楽が映像の補佐のようなものに思える。

 

少し前まで、若い人たちはイヤホンをして歩いていた。音楽を聴いていたのだろうと思う。今は画面を見て歩き、イヤホンはしていない。映像が文化の主役なのだろう。

 

*

 

CDを片付けながら、売れるものなら売ってしまおうとよぎるけれど、いや待てよ、と手が止まった。

 

これ以上音楽自体に興味が失われる世の中になったら、spotify自体が無くなるということもありえる。あれだけ溢れていたブログ群があっという間に姿を消したのがデジタルサービスの怖さである。

 

spotifyが永遠に続く保証があるだろうか。ダウンロードがあっても、気に入ったものを落としきれるだろうか。やっぱりCDがあった方がいいのでは…とまた片付ける手が進まない夜半であった。

 

 

 

消費税減税の議論、ここまで来た

共産・国民・れいわ・参政「消費減税!」

自民・公明・立民「消費税率維持!」

 

すでに対立軸になっているはずだけど、マスコミもメインに取り上げない。

 

それでもここまで来た。

 

立民の裏には連合あり。今後は連合次第かも。

 

自公立の内、どれか一個が転がれば、急転するのでは。

知られざるゴールドディスク受賞者 Val Garay の世界

Spotifyで「フラー/カズ」というデュオの古いアルバムを気に入った。

 

曲もいいけど、音も気持ち良い。ジャケも良い。

 

如何にも70年代の良い音楽だ。またスクラー/カンケルのリズム隊もシンプルでとてもとてもよい。

 

open.spotify.com

 

それにしても、この音の心地良さはなんだろう。

 

派手じゃないけど、落ち着きがある太い中低音にフォーカスしたサウンド

 

ベースとドラムが嫌味なく大きく響いて良く聴こえてくる。目の前にいるようだ。

 

普段は余りそういう観点で音楽を聞かない自分だけど、どうも気になる。調べるとプロデュース/エンジニアは Val Garay  ヴァル•ギャレイ と言う人らしい。

 

他に代表作にはジェームステイラーやリンダロンシュタットも。どちらも良いアルバム。特にjtは最高でした。

 

 

 

 

 

open.spotify.com

 

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他には日本人バンドの、あのEZOも。

 

日本語ではほとんど検索結果がないけれど、100以上のゴールドディスクがあると言う。スタンフォード大学の医学部を中退して音楽の道へ入ったと言うから、そもそも相当優秀な人なのでしょう。意外に知られていない偉人でした。いやほんと、知らないことばっかり。

 

www.valgaray.com

 

Spotifyで「フラー/カズ」というデュオの古いアルバムを気に入った。

 

曲もいいけど、音も気持ち良い。ジャケも良い。

 

如何にも70年代の良い音楽だ。

 

open.spotify.com

 

それにしても、この音の心地良さはなんだろう。

 

派手じゃないけど、落ち着きがある太い中低音にフォーカスしたサウンド

 

ベースとドラムが嫌味なく大きく響いて良く聴こえてくる。

 

普段は余りそういう観点で音楽を聞かない自分だけど、どうも気になる。調べるとプロデュース/エンジニアは Val Garay  ヴァル•ギャレイ と言う人らしい。

 

他に代表作にはジェームステイラーやリンダロンシュタットも。どちらも良いアルバム。特にjtは最高でした。

 

 

 

open.spotify.com

 

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日本語ではほとんど検索結果がないけれど、100以上のゴールドディスクがあると言う。意外に知られていない偉人でした。いやほんと、知らないことばっかり。

 

www.valgaray.com

 

郊外の昼飯プロブレム

最近、平日昼時の郊外のファミレスに訪れた時に、あまりに混みあっていて驚いてしまった。

 

二軒訪ねて、二軒とも満席でレジ前で人が待ってる。数週間後にも同じような目にあった。

 

そもそも個人店が好きなので、知ってる店を巡ったところ、二軒の個人店が閉店していたので、しかたなくファミレスに向かったのだが、上のような状況。

 

はて数年前はこの地域で、こんなに混んでいたかなと思った。

 

*

 

たったこれだけの体験からだけど、もしかして多くの小さな飲食店がコロナ不況、もしくはコロナ後の色々で閉店してしまったのか。

 

いやコロナだけではなく、個人や中小零細の事業はこの30年、ずっと向かい風の中だった。

 

その上、インボイスだの電子帳簿保存法など、小面倒くさい規制が次々やってくる。閉店しても当然である。

 

もしかしたら平日昼にしてこのファミレスの混雑状況は、その余波なのではないかと妄想する。

 

*

 

ネット上には「家賃を払っていない味」などという嫌な言葉がある。昔から続いている飲食店は店舗の償却が終わり、不動産経費を価格に転嫁しないで済むので、安くておいしい食べ物が出せるが、しかしそれは採算度外視で競争の平等性を欠いているという考え方だ。

 

togetter.com

小さな個人店が家族経営で長年かけて、不動産の借金を返し、その分を安さと美味しさとして客にサービスをすることの何が悪いのか理解できない。そこまで見越して、これまで採算を取ってきたのだ。

 

これが会社組織ならどうだろう。自社ビルを建て借金を返し、テナント料をセーブすることで高いサービスを提供するとしたら、長期的視野のビジネスモデルとして褒められるのではないだろうか。

 

個人店だから下に見ているような気がして、気持ちが悪い。批判を書いている人間たちの中で、数十年にわたり経営をしたことがあるのはどれくらいいるだろうか。

 

*

 

そういう個人店が軒並み消えて結果、大資本のファミレスに集中しているのではないだろうか。

 

*

 

はてなには小さな事業に厳しい人間が多い。

 

el-bronco.hatenablog.com

 

しかし小さい店であっても、選択肢が減れば需給の関係から、客側がサービスを受けづらくなることもあり得る。サービス側が優位にもなりえる。だからこそ、小さな事業を育てるようにしなければならない。

 

今後は人口が今以上に減少し、サービス提供者の数は減っていく。大事にしないと自分が不便になっていく。

 

 

 

なんでブコメは中小零細に厳しいのかね

普段割とリベラル寄りの意見の強く見える(主観)はてブにおいて、なぜ中小零細事業者に対しては苛烈な自己責任論が多数派になるのか興味深い。

 

なぜだろうか。

 

自分の財布や利便性を握られたらイチコロなのだろうか。

 

とにかく経営側というものは中小零細であろうと「強者」側に見えてしまうのだろうか。

 

「冷徹なオレ」に見られたいネオリベワナビーなのだろうか。

 

 

b.hatena.ne.jp

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映画「コヴェナント」のあの歌の意味

半月くらい前に「コヴェナント/約束の救出」という映画を見た。休日に時間が空いたのでなんとなく映画館に行ってみた。

 

 

 

2018年のアフガニスタンが部隊。タリバンがゲリラ化して潜んでいる中、米軍キャンプでは現地人の通訳兼案内役コーディネーターを雇い入れている。

 

米軍に雇われる通訳というのは、なかなか難しい立場になる。タリバンからは完全な裏切り者だし、現地の市民からも異教徒への協力者と見なされるし、米軍からもスパイかもしれないと半信半疑の扱いをされる。

 

しかしながらアメリカへ渡れるヴィザがもらえるという約束で通訳を買って出た人たちが数千人という単位でいたらしい。

 

タリバンの武器倉庫を掃討する作戦部隊にも、あたらしい通訳のアーメッドが雇われた。しかしその作戦中、ほとんどのアメリカ軍兵士は討たれる。アーメッドと隊長(曹長?)の二人だけが辛うじて生き延び、砂漠化した山を越え安全地帯まで逃げようとする。

 

荒れ地にて、追うタリバンと延々と続く攻防の中、隊長は銃撃を受け瀕死の状態になる。よって米軍キャンプの方角に向けて、アーメッド一人で隊長を運んでいくというハードな道のり。息の詰まるような緊張が続く。

 

続きは映画館で見られたしと思う。始まって間もなくから続く張り詰めるような展開に少し後悔したが、映画が終わった後の見応えは素晴らしかった。

 

*

 

ところでこの映画が始まってすぐにアメリカ(というグループ名)の「名前のない馬」という1971年ころのヒット曲が流れる。

 

なぜ穏やかな曲調で、年代的にもズレいてるこの曲なのかなと思ったけれど、帰って歌詞を検索したら謎が解けたような気がする。

 

歌詞の内容は

「俺は名前のない馬に乗って砂漠を旅する」

という独白調のものだった。

 

映画と近い内容だ。

 

「名前のない馬」というのは、その存在が広く知られることもなかった現地人通訳たちという存在だったり、この部隊のアーメッド当人をアンサングヒーローとしてたとえる暗喩だろう。

 

ただちょっと待てよ…アメリカ軍人はほぼ現地通訳人に助けられていて、「俺は」といえるほど主体的に旅をしただろうか…と考えると皮肉である。

 

アフガンの現地人通訳たちの多くは実際にアメリカのヴィザはもらえずに、数百人の通訳とその家族がタリバンに殺されたという。

 

そしてそれを歌っているグループの名前は、これまた皮肉にも「アメリカ」なのである。

 

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アメリカというグループはロンドンの米軍居留地アメリカンスクールに通う、米空軍の子弟が三人集まったグループだというのも、なんだか不思議な偶然に思える。

 

 

 

 

 

アメリカ (バンド)

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB_(%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89)