野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

ビートルズって実は負け組の物語だったんだなあ。

ビートルズはデビュー前数々のオーディションに落ちまくっていたらしい。


ジョンは両親がいなく、ポールは片親で、ジョージはバス運転手の息子とからかわれて育ち、リンゴは病弱で学校に行けず読めるものは漫画だけだった。


もう今度落ちたら、リバプール帰ってバンドやめようくらいに考えていたころEMIに受かった。


EMIというと聞こえがいいのだけど、実は傘下のレーベル;パーロフォンに配属になった。今でもマジカル・ミステリーツアーまでのCDにはパーロフォンマークがあるらしい。


パーロフォンはEMIの純クラシック路線と違い、格下も格下のコメディレコードのレーベルだった。それくらい彼らの音楽は期待もされず理解もされていなかった。


そのオーディションの受け持ったディレクターが、空軍のテストパイロットあがりのジョージ・マーチン。


マーチンは、日々コメディレコードの製作を楽しんではいた。ここで培った楽器以外のものをつかった録音経験が、ビートルズ中期サイケデリック時代のアイデア実現に役立つことになる。しかし本当はEMIでクラシックレコードを作りたかった。ということで希望と違う現実と将来を憂いていた。


一説にはメンバー、特にジョンは、マーチン制作のコメディレコードのファンで彼がプロデューサーで喜んだらしい。


もう一人の負け組は、デザイナーや俳優の夢破れてマネージャーとなったブライアン・エプスタイン。ゲイだった。50年以上も昔なのだから悩みも深かったと思う。メンバーに色目を使っていたなんていう話もあるけど、きっと若いビートルズは凄く魅力的だったのだろう。


その魅力をビビッドに受け止めたのは、当然エプスタインの性的嗜好からくる感性からではないか。感性が女の子に近いから、女の子に受けるようにバンドを飾りたてたのはお手の物だったろう。ビートルズへの世界の少女たちの熱狂の種はエプスタインの中にあった。


彼こそ田舎町の一バンドにオーディションを受けさせ、おかっぱで襟なしスーツ(まるで女の子の恰好)のかわいいイメージを作り、世界の舞台に引っ張り上げた最大の協力者。これは確実にソレ系の感性がなしたもの。彼がいなかったら、世界の音楽は大きく違っていたかもしれない。


この三組が手を組んで、数年後には世界征服を成し遂げていたのだから、歴史というのは面白いと思う。