子供の頃は、だれでも自分自身が無垢である。
やがて思春期を迎えるあたりから、すこしずつそれは翳りを帯びる。
その頃、純粋な友情や初恋を渇望する。
これは身近な人間関係に、己が失い始めた無垢を、
代替的に無意識に求めるのだろうかと思う。
成長し青年期には、信頼の置ける深い愛情を求め、結婚する。
そして子供を得て、新たな次元の無垢に触れ、溺れる。
当初無垢そのものであった子どもたちも、親たちがそうであったように、
影を帯びはじめ、代りに外部に無垢を求め始め、親から離れる。
子どもという無垢を失った親は、孫を望み、またはペットを得ることで、
新たな無垢を求める。
インターネットを見ると、殺伐な言葉があふれる一方、無垢なるものを果てしなく求めている。
常に人気のコンテンツの一つに、子どもやペットの無邪気な様子を写したものがある。
ライフサイクルは、無垢なるものを補填しつづける旅なのかもしれない