昔、有人のガソリンスタンドばかりだった頃は、車にガソリンを入れ終わると、支払いし、すぐ道路に誘導された。ゴミ捨てやトイレに行ったりは、給油中に済ませられたので、給油後はすぐ移動できた。
しかし今は無人なので、自分で給油し、その後、用を足さなければならない。無論、誘導もされない。
すると、給油後、給油機の前に、車やバイクを置いたまま、自分だけ移動して用を済ませようとする人たちが現れた。混雑して並んでいる時は、後ろの人はその間待っていないといけない。今まで四回そういう目にあった。やった人は、若い人が二回、高齢者が二回。
コレをやる若い人は、有人時代を知らないので「俺が用を済ますのだから、後ろの人は待つのは当然」ということなのかもしれない。高齢の人は、気が回らないのかもしれない。
三回目からは、すいません、動かしてください、と言うようになったが、若い人は不満そうに睨みつけながら動かしていた。高齢の人は、そうか、すまんすまん、という感じだった。
その人達が悪いわけではない。まだマナーが固定されていないのだ。車を前方に移動したら、他の車の動線を塞いでしまう可能性もあるから、必ずこうするといい、というものでもない。難しいですね。でも、このままだとチョットどうかと思う。
そこで、給油所にマナーを貼りだしたらどうだろう。新たに知る人、意識する人もいるだろう。その給油所内での一時駐車区域があれば、誘導してもいい。そしてマナーも明文化されれば、緩やかなルールだ。人はマナーは破れど、ルールには従う。
ちょっと話がズレますが、こういうマナーは破るけど、ルールは守る、という人は少なくないような気がする。暗黙のマナーより明文化されたルール。これって、掘り下げると結構深い気もするけど、これ以上はわからない。もしかしたら、ちょっとした日本人論かもしれない。
既に決まってる ルールは守るけど、マナーは破ってもいいや、という考えは、野暮だと思う。ルールが間違っていれば、それには反対する、しかしマナーは良い、というのは、なんかカッコいい。こういうのは粋だ。
そしてこういうことを言っても、もう大方、伝わらないのだろう、という気がする。
粋と野暮。やたら粋を目指すのも、かえって野暮だけど、せめて野暮では有りたくない、という心意気がイイのだ。書いていて、こんがらがったけど。