知り合いに長く商売をしていた人たちが結構いる。
もう大体リタイアしている。
みんな正直商売をやっていたので、細く長く続いた。
細く、長く、である。
太く、長く、とは行かなかった。
正直だから。
正直者は過大広告を打つのを嫌がる。
商売人というより、商いの職人さんみたいな考え方だ。
広告より、商品そのものを。
商品やサービスの外側よりも、中身の本質的な価値を。
それを分かってもらいたくて、仕事をつづけたような人たち。
だから一度ついたお客は離れない。
その代わり浮動層はやってこない。
地味だから。
その反面、大当たりはしない。
こつこつ内野安打と送りバントで日々を過ごした。
あきないは「飽きない」でやるからあきないだ、という言葉を地で行った。
古い考え方、古い商売の仕方だろう。
今の時世には合わないだろう。
でも長く続いたのは、こういう人たちだった。
お客さんだけでなく、働いている人にも、納品業者にも頭を下げて、
四方に気を撒いて、円滑に仕事を続けた。
こういう人たちは、派手な広告を打たない。
看板も地味だ。店構えも。
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慶応大学のミスコンがらみの事件がネットで燃えている。
そもそもミスコンなんて、ちょっとしたイベントとして楽しむものだったんだろう。
それがいつの間にか、公の価値のように取りざたされるようになった。
学生のお遊びを大人が持ち上げてだらしなく振り回された。
これを開催しているのが、広告関連のサークルだという。
実際に広告を勉強したりはしていないのだろうけど、
「広告」という外部への宣伝を目的とした旗の下で、ミスコンが行われ、
代々続いてきたのだろうと思う。
そして集合写真に写る彼らはみごとに、ウェーイ系である。
自己宣伝、自己広告に長けた外交型の人間たちだろうと思うのは偏見かもしれないが、そこに「嘘」があってはいけない。
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今年は電通関連の不祥事のニュースが続いた。
オリンピックの招致や、トヨタ関連、そして過労死。
すべてに嘘が含まれている。
彼らは広告の専門家だ。
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まじめな人は、もう少し、自己宣伝、自己広告をやったほうがいいかもしれない。
看板が小さくては、何を売っているお店かわからない。
自分をアピールしないとどういう人かわからない。
そう思う反面、一連の広告関連の話を聞くと、やっぱり地味なままでいいのではないかとも思う。
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広告、という外面アピールの先に嘘の世界が待っているのであれば、日本の広告文化はどこか根本的に間違っていたのではないかとも思う。