なかなか他人と話していて心から面白いと思うことはない。
その相手やその話がつまらないというのではなくて、こちらが面白い話を引き出せるような技術が足りないとか、面白がる知性が足りないからだろうと思う。
本来他人とは面白いことの塊なのだろうけれど、自分にはそれを味わう舌がないのだ。
それが上手い人がコミュニケーションの上手なのだろう。
ただ似たような仲間とワイワイやるのが、その達人でもなかろう。また他人に興味を持てないことを、相手のせいにするのも違う。
しかしなぜか他人の、それも年配者の多くの、ポツリポツリと話す思い出話の面白さや、味わいというのは、なかなかのものがある。
もはやコミュニケーションの向こうの言葉のように思える。
彼岸か。
思い出話は、言葉の終着点なのかな。