野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

五七五と四拍子と余韻

なんで日本の詩歌は五七なんでしょうか。

 

五音と七音の奇数のリズムに意味があるのだろう、と学生のころぼんやり思っていたのですが、手拍子して数えてみると、四拍子で数えられます。

 

すると初めの五のあとに三音分(ウラオモテウラ)、七の後に一音分(ウラ拍)、間が空きます。

 

だから実際には八音八音と続くので、五か七かはそんなに関係ないのかもしれません。むしろ余白の感覚が変わってくることに違和感があるのかもしれませんね。

 

またそのリズム感がぶつ切りに終わる最後の五の後の余韻が深く、やや唐突でもあり、ここの意味が重要な気もします。

 

もう少し考えると、最初の五(序)で示された言葉を理解するためのその後の長めの余韻、そして展開させる七(破)の後、あまり間髪を空けずに最後の五で締める(急)、という間の使いかたのようにも思います。

 

そしてその終わりは突然であり、またその分余韻が深くなると。