イチ政治家のうちはシンパや友達身内に便宜を計るというのも、
良くはないけど、まあ分かる。
しかし総理大臣というのは、それではいけない。
全国民に対しての行政の長であり、それは平等でなければならない。
右も左もなく、友達か否かもない。
相撲で言う横綱か。
大関までの相撲取りとは立場が違う。
いやもはや行司かもしれない。
土俵の上で神であり、身内や己のために存在しているわけではない。
そんなことは建前であって、現実は違うとも言える。
しかし建前は厳然としてあって、総理になったからには、
その辺は身ぎれいにしていなくてはならない。
そうでないからこそ、こうして停滞を招く。
もう総理だからとむしろ身内に厳しくするくらいでいいはず。
その辺の脇の甘さみたいなものが、稚拙に感じる。
そもそもの悲願の憲法問題も、祖父から引き継いだものであった。
もうとにかく、身内身内の自己愛垂れ流しに見える。
しかし身内を大切にする分、しっぽを切るときは手厳しい。
まるで粛清だ。
森友のダンナの虚無感漂う表情は、あれほどまでに強かった思い入れを断ち切られたゆえの失望に見える。
そもそもは志を一つにしていた同志であったのに。
身内への甘さと離反への粛清。
まるで共産主義の国の独裁者たちと同じことをしているように見える。
彼らもまた、国を守るため、という大儀のためであった。