野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

見栄の形 新しい希望

見栄の形が変わったのかなと思う。

 

二十五年前の自分が若い頃。世間の若者たちは、ブランド物の洋服や新車、新しいケータイ電話に夢中になって金を使っていた。浪費に見えた。こういう物は見栄っ張りの行動だと思っていた。外部に向けての一種の自己アピールだ。いつか世間が成熟したら廃れるだろう。

 

若い人が消費をしなくなったという話を聞いた時、そうだろう、そういう時代が来たろうと得意がったが、どうもそうでもないようだ。

 

今の若い人たちは、服も車も興味ないという。ケータイからスマホになって昔ほどの頻度で新作も更新されなくなった。たしかに昔よりもモノは売れなくなったかもしれないけど、人間の見栄というのは収まらない。モノからサービスへ場所を変えているようだ。SNSでイイネやコメントやスターをつけ合って喜んでいる。これもやっぱり見栄だろう。きっと景気が良くて金があったら、物を買い、今度はそれをSNSで自慢するだけかもしれない。

 

リースマンの社会的性格という奴で言うと、外部志向(他人指向)というやつか。そういう本質はより深まっているのかもしれない。他人の物差しに合わせることは、社会性という意味では重要なのだと思う。

 

では、物も買わず、SNSも興味ない若い人はどこにいるのだろう。そういう人は静かな多数なのか、少数なのか。いることはいると思うが、世間から光が当てられることもない。もしかしたら彼らの中に新しい希望があるような気がする。