野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

ロスジェネの原罪

自分もロスジェネ。痛い思いもしてきた。

元はと言えば戦後のベビーブーマーの2代目世代だ。

戦後高成長の中育ってきたので20歳前後までは押せ押せの世代だった。

人数も多く、競争も激しかったが、それに見合う未来を期待されていた。

 

がしかし、バブルは弾けた。

三重野日銀はハードランディングを選び、衝撃は巨大で未だに尾を引いている。

あつものに懲りた財務省は景気回復の抑制を過剰に行ってきたが

逆にこれに味をしめ自家中毒を起こし、国民から搾取し自己保存する方向へ進んだ。

その結果、景気が回復することは無く、やがて失われた30年となる。

 

現在我々世代はスケープゴートのようにあちこちへ突き回されている。

梯子を外され、そろそろ未来の厄介者だ。

まさにおとなしい山羊だ。

何も考えず乳や毛や子を毟られ、飼い主や犬に追われ、

僅かな宛てがい扶持を貰うのに鳴いて頭を下げている。

 

 

防げなかったか?

過去最大の人口層を得ていれば、選挙投票の中核になり得たのではないか。

それは行使されなかった。30年。

投票率は大体半分前後だ。

じゃあ、こういう扱いも半分は自業自得だ。しょうがない、あきらめろ。

 

今まで幾度とあった投票日。

自分達はなにをしていた?

友人や恋人、家族と出かけたり、ただ休日を楽しんで終わっていなかったか?

惰眠を貪り、夕方の選挙速報を無意味と冷笑し、バラエティ番組で時間を潰していなかったか?

その日2、30分、投票に割けなかったか?

自分の一票など意味がないと知ったクチをきかなかったか?

どうせまた今度も行かないんだろう?

その結果が今の我々だよ。

 

権利は与えられている。

なのにそれを20年30年行使してこなかった。

その結果がコレ。

これを自己責任という。

 

たしかに労働運動は敷居が高いだろう。

しかし投票は数年に一度、家の近くの投票所に行くだけだ。

それすらしてこなかった。

そしられても仕方ない。

 

以前はよくこういうことが言われた。

日本の民主主義は与えられたものだ、

血を流して勝ち取ったものではない。

 

だから、そのせいか今でも権利を粗末に扱う。

己の権利なのに。

これは己を粗末にしてることと変わりない。

投票日が来る度に、自らゴミ箱に飛び込み続けた四半世紀だった。

 

自分だけじゃない。自分の家族も捨て続けた。

明日、家族の首を絞めるのは自分だよ。

 

自分の一票では何も変わらないという浅はかは間違っている。

一票でも投票率は上げられる。

投票率の高さが大事なのだ。

一方に大勝させないことが大事なのだ。

 

官僚を選ぶことはできないが、政治家は選べるのだ。

次の選挙の当落が不安定であれば、それが緊張感を生み、

正しい仕事を目指すことにつながり、やりたい放題を防止する。

国民の存在感を主張することになる。

 

 

まずは自分には権利があるということを思い出そう。

それを忘れてることがまず我々の罪なのだ。

自立した野生の山羊は気高く断崖を登り、自らの草を食むではないか。