野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

どれだけそれについて沢山考えたかという価値

中学生のころ学校の方針で「家庭学習帳」というノートで、帰宅後の勉強をした。

普段は全くしないけど、テスト前になると勉強した。

 

沢山ノートを使うと、沢山勉強したということで、

先生がそういう生徒をなんとなくほめたりした。

逆にあんまりノートを使わない勉強は、あまりやらなくなった。

 

つまりじっくり教科書を読むという基礎中の基礎は、

どれだけやってもノートに残らない。

だからそれはやらなくなりがちだ。

 

でも勉強においてじっくり元の本を読むというのは、一番重要なことだ。

それを抜きにするとやっぱり伸び悩んだりする。

 

*

 

生きている中で、沢山何かについて考えるということは素晴らしいことだと思う。

 

しかしそれはいいねもつかず、ノートも増えず、誰からも見えず、己すら忘れている。

 

それぐらい一見無意味なことではあるが、それが人の肚を練熟させると思う。

 

沢山考えたんだろうな、という人は信用できると思う。