野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

核家族と理想主義

自分の母方祖父祖母は明治生まれの働き者で、子供五人を育て黙々と酒屋の自営業で働いた。子供や孫の世話も手を抜くことなく、かつ甘やかすこともなかった。とにかく昔の人は生きていくのにインフラ的条件が今よりも過酷なので、現実主義だ。甘っちょろいやさしい言葉は聴いたことがない。

 

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先日夜に放送されていた「石田さんチが大変だスペシャル」のお父さんお母さんを見ていてもそう思う。生活がとにかく大変だ。稼ぎが少ないというのではなく、家族が多いから、全てにまず現実的対応が優先される。なんにせよドライな判断が必要になる。ここには甘い理想なんて入る隙間がない。ここのお二人の対応は、同世代の家庭よりもドライで堅実だと思う。(そんな二人が好きだ)

 

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翻って自分は二人の子供で育った。つまり核家族だ。ウチの親はむしろ同時代の他の家庭より質素で厳しい方だったが、それでも前世代の家庭よりもやや子供に甘い。二人しかいない子供に期待したり、甘めにみたりした。自分たちのできなかったことを託したとも言える。

 

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ネットや新聞や自分現実の狭い観測範囲では、若い世代が高い理想を語る。元来若者とはそういうものかもしれないが、意識高い系なんていう存在や言葉は、20年前には無かったと思う。年々高まる理想主義というものを感じる。やがてがんじがらめになってきていないか。

 

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なんとなく核家族が二代目、三代目と代を重ねるうちに、理想が高まってきたのではないかという気がする。余裕ができた生活は、現実よりも未来を見つめるのが当たりまえになったのではないか。その末に、我々の社会は子供や若者に将来の夢を尋ねすぎてきたのではないか。それがプレッシャーとなってきたのではないだろうか。成功者の輝きにばかり目を奪われ、敗者への想像力を萎えさせなかったか。そして己の首を絞めていないだろうか。若い世代の自殺が多いというのは、理想に輝く意識の高さの裏返しではないか。

 

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理想とは素晴らしいものだ、という常識をもう一度見直してもいいころかもしれない。理想には影もある。そういえば「夢とは呪いである」という言葉が数年前に流行った。夢と理想を入れ替えてもいい。