野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

東京ポッド許可局員たちの青春

1/11のTBSラジオ「東京ポッド許可局」の放送がすごく良かった。

 

マキタスポーツプチ鹿島サンキュータツオのそれぞれが25歳のとき何をやっていたのか。

 

マキタは国士館大卒業後に勤めた山梨の親戚経営のモスバーガーの店長をやめたのち、葛飾区に移り住んでいた。バイトをしながら小劇団に入り漫才の相方を探していたが上手くいかず、毎日文化放送志の輔梶原しげる吉田照美ニッポン放送高田文夫を聴いて過ごしていた。

 

PKは大阪で大学時代を過ごし、チェックユアマイクのラップ大会で日本一になったものの、なんとなくラップをやっていただけだったので、東京の高円寺に出てきてバイトとテレビでのナイター観戦の生活。お笑いで何かをやりたいけど大川興業に入るまで五年ほどの間は、高田文夫のラジオを聴くだけで無為に過ごしていた。

 

サンキュータツオは大学生活しながら漫才をはじめ、浅草お兄さん会で二人に出会う。就職活動は上手くいかず、院進するもなかなか卒業できず留年しているうちに25歳。

 

みなそれぞれ鬱屈した二十代前半を過ごし、どうにかせねばという年齢だった。彼らと指向や素性が似てる自分としては懐かしく共感し続けた一時間だった。あっというまの二十五年。あのころ三人に会いたかった。友達になれたのではないかと妄想してしまう。

 

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その他、桑田佳祐は25歳の時どうだったか、落合博満は、ユーミンは…という話も。