野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

『サムバディ・サムウェア』を観ながら「下品」の効用を考える(U-nenxt、HBO)

家で映画など観ていると寝てしまうので、あまり配信ドラマなんかもチェックしない。

 

それでもあんまりにも眠れない夜中に、自分向けのドラマを探してみようと、勢いでU-nextに入ってみた。

 

「サムバディ・サムウェア」

これにちょっとハマった。

dramanavi.net

 

やや不謹慎気味のジョークがたくさん出てくる、アメリカの田舎の日常系ホームドラマだ。スケールの大きな設定や壮大なテーマや物語はない。

 

それだけだとあまり食指が動かないのだけど、主人公のサム(サマンサ)は巨漢の40代女性。なんだか一筋縄ではないと感じでスタートしてみた。

 

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サムは病身の姉の介護のために都会からカンザスの故郷の田舎町に帰ってきたものの、姉は亡くなってしまう。その一年後から話は始まる。

 

なかなか地元に馴染み切れないサムは老いた両親とともに暮らし、大型の公民館のようなところでエッセイ(?)の採点係の仕事をしてる。そしてそこでヒョロヒョロのゲイのジョエルと仲良くなる。

 

姉を喪った悲しみが残ったまま、田舎町に違和感を持ちつつ暮らすサムの再生の物語なのだろうけど、彼女は基本的に元気で声が大きく、口が悪くて意地っ張り。一日中、下品なジョークを明るく連発している。傷ついた主人公の典型とはだいぶ違う。そこがいい。

 

だからその悲しみに、同情や共感がすぐにできるタイプのキャラクターではない。そんな単純な構造ではない。まずそこに面白みがある。分かりやすいわけではないけど、却って期待や魅力を感じる。

 

相棒のジョエルもまた同様のセンスの人間で、田舎に生きるゲイとしての辛さもあるだろうけど夢もあり、基本楽しく生きている。

 

この二人がギャーギャーと騒々しく、下ネタや他人の悪口を叩きながら、町を行ったり来たりして元気にすごしてる様子がなんとも楽しく、おすぎとピーコのようである。おすピーがなき今、自分のおすピーロスを満たしてくれている。(ピーコ、フォーエバー)

 

二人は趣味の歌のために教会の合唱クラブに参加する。サムは歌がうまくて音楽モノの良さもある。

 

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この合唱クラブには何故かLGBT系の人たちが多いのだけど、彼らは特に強い主張をするわけではない。凸凹コンビと同様に口が悪く、品のないジョークを連発しながら、そして互いをフォローしながら町で暮らしている。

 

サムの妹は気が強く、姉と折り合わず、母やアルコール中毒の気配があり、父は母を甘やかす。それでも寄り添い合い、ジョークを言い合い過ごす。

 

みな少しずつ欠点やだらしない点があり、むしろ美点は少ない。特に見た目的に美男美女は全く出てこない。

 

そこでドラマのタイトルに気付く。「サムバディ・サムウェア」。どこかのだれか。どこにでもいる、だれかさんの話。特別なヒーローも、ヒロインも、大冒険も、大げさなカタルシスもないけど、その「日常」にこそ魅力があり、深淵を感じる。

 

70年代の日本のドラマの巨人たち、山田・向田・倉本系が好きな人にはお勧めできるかもしれない。

 

youtu.be

 

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そして彼らのセリフやジョークや劇中起きるハプニングがイチイチ下らなくて最高。くだらないことを意識的にちりばめているように思える。

 

自分自身くだらないジョークや話こそ、人を癒すと思っているので、歓迎したいとみていた。

 

事実、サムたちは傷つき、そして再生する時も、いつも下品なジョークと共に涙しながら、己の内面を吐露するのだ。そこにリアリティと悲しみと希望を見る。

 

現代ではあまり歓迎されないこういうオゲレツネタは、それに傷つく人もいるのだろう、しかしそれにはある面で実は、癒しの効用もあるのではないか。傷つきと癒しは表裏一体なのか。下品とは薬でもあり、毒でもある。

 

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下品と尊厳、ユーモアと悲しみ、こういった両義性を成功させた表現というのは、大方において名作であると思う。素晴らしい。