日本文化のわびさびって、シンプルになるほど意味が深まるような気がします。
日本庭園や、茶の湯、墨絵などをみていると、そう思えます。
華美になることの反対側に重きを置く。
シンプルを突き詰めれば、そこには「無」があるはずです。
いや「無」しかない。
いや「無」だけがある。
みたいな。
無とは死ではないか。
つまり日本文化は突き詰めれば「死」ではないか。
例えば、落語家は歳をとるほど味が出て、いい職業である。いま日本で歳とるほど良い職業って、落語家以外にすくないのでは。
例えば、新渡戸稲造の武士道とかそういうことなのかしら。(読んでない)
例えば、日本独自の宗教、哲学、思考法であろう禅。これはもはや仮死状態みたいなものである。究極の無の体験を目指しているように思える。
シンプルを是とする、無を求める、つまり死にゆくこと、老いることを是とする。
(自殺、とかではなく)自然に老いて死にゆくことを、肯定する文化、というのは、日本独特かもしれない。
そう考えると、これから人生の後半を迎える自分には、日本文化が身近にあることが、すごく頼もしく思える。