野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

【ジュリー】あんまり語られない沢田研二の凄さ【ジュリー】

news.yahoo.co.jp

 

この中に書いてあるようにジュリーは毎年ツアーをやってきたらしい。

これだけでもすごい!

 

しかもwikiをみると、もっとすごいことが判明。なんとザ・タイガースでデビューしてから2008年までほとんど毎年オリジナルのアルバムを発売している。その数50枚以上。編集盤ではなくオリジナルですよ。日本記録じゃないのかな、コレ。

沢田研二 オリジナルアルバム - Wikipedia

 

さらに1975年から2017年までの42年間に舞台を49本出演してる。平均したら年一本以上。

沢田研二 ステージ- Wikipedia

 

そうするとデビューしてからこれまでほとんど毎年、オリジナルアルバムを発売し、全国ツアーをやり、舞台に一本以上出演してるって、スーパーマンじゃないの! 

 

この上、ベストテン歌手として全盛期は毎週のようにテレビの歌番組やバラエティー番組に登場していたのだから、もう褒める言葉が見つからない。

 

 *

 

昨年岸部シローさんが亡くなったけど、タイガースというのは京都の音楽少年たちのバンド物語だった。関西のライブシーンで活躍していた彼らは東京の内田裕也に直談判し、デビューが決定。しかし最後はいかにもな芸能界的事情に翻弄され、人間関係を引き裂かれ空中分解という寂しい末期を迎えたグループだった(数年前のスマップ騒動のような所属事務所による主導のもの)。

 

独立後、ソロで栄華を極めたリードシンガーのジュリーも時代が変わり売り上げが低迷したころ、なにが原因になったのか事務所と物別れとなり、以降テレビでは見なくなった。

 

だが近年六人そろってのステージを成功させ、その友情の復活がかつてのファンの心を打った(しかしながらあんまりテレビでは大々的な報道は見なかったが)。

 

しかしこうして50年経っても活動を緩めることなく続けたジュリーは反骨の人として輝き続けている。バンド物語としては大河的なスケールの日本音楽史に残るグループだった。(もう少し経って事情が変われば)やがて三度彼らに光が当たるだろうと思う。

東京ポッド許可局員たちの青春

1/11のTBSラジオ「東京ポッド許可局」の放送がすごく良かった。

 

マキタスポーツプチ鹿島サンキュータツオのそれぞれが25歳のとき何をやっていたのか。

 

マキタは国士館大卒業後に勤めた山梨の親戚経営のモスバーガーの店長をやめたのち、葛飾区に移り住んでいた。バイトをしながら小劇団に入り漫才の相方を探していたが上手くいかず、毎日文化放送志の輔梶原しげる吉田照美ニッポン放送高田文夫を聴いて過ごしていた。

 

PKは大阪で大学時代を過ごし、チェックユアマイクのラップ大会で日本一になったものの、なんとなくラップをやっていただけだったので、東京の高円寺に出てきてバイトとテレビでのナイター観戦の生活。お笑いで何かをやりたいけど大川興業に入るまで五年ほどの間は、高田文夫のラジオを聴くだけで無為に過ごしていた。

 

サンキュータツオは大学生活しながら漫才をはじめ、浅草お兄さん会で二人に出会う。就職活動は上手くいかず、院進するもなかなか卒業できず留年しているうちに25歳。

 

みなそれぞれ鬱屈した二十代前半を過ごし、どうにかせねばという年齢だった。彼らと指向や素性が似てる自分としては懐かしく共感し続けた一時間だった。あっというまの二十五年。あのころ三人に会いたかった。友達になれたのではないかと妄想してしまう。

 

youtu.be

 

その他、桑田佳祐は25歳の時どうだったか、落合博満は、ユーミンは…という話も。

ユーミンが16歳のころ、市ヶ谷にあったはっぴいえんどの事務所で、後の夫の松任谷正隆松本隆とともに市ヶ谷記念館のバルコニーで演説する三島由紀夫を生で見ていたというのが事実だったらしく、衝撃を受けた。

 

bunshun.jp

 

実はユーミンも三島も良くは知らないのだけど、戦後の昭和の前半の文化における寵児の三島と、その後の世代のの代表選手のユーミン

 

戦後から60年代くらいまでの文化は、まだ教養主義的で発信側も受信側も男性中心という(あくまでも自分の中の勝手な)イメージだったのだけど、70年代以降というのは感覚的で発信も受信も女性の割合が高くなっていったと感じていた。

 

その両側を象徴するような二人が、ここで偶然ながら、数十メートル(数百メートル?)の距離を置いて交差していたというのは、何ともシンボリックな事件だと思う。

 

しかも一緒に見ていた松任谷正隆は、実は愛国者の大物の血筋の人間なのだから、運命というのは何とも不思議だ。

 

gendai.ismedia.jp

 

元ジョージア・サテライツのダン・ベアード、引退していた。

en.wikipedia.org

 

On November 2, 2019, Dan Baird announced on his website that he is retiring. "I won’t quit making music, but it’ll be in my basement, at my home, where I can walk my dog, go to the gym 4 times a week, shave on Friday and go to sleep with my sweetie beside me every night."

 

2019年11月2日、ダン・ベアードが自身のウェブサイトで引退することを発表した。"音楽を作ることは辞めないけど、地下室にある自宅で、犬を散歩させて、週に4回ジムに通い、金曜日に髭を剃って、毎晩横にいる恋人と一緒に寝ることができる場所になるだろう"

 

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もう一年以上前になるんですね。Gサテライツのファーストは興奮したなぁ。ダンス音楽とメタルばかりだったシーンに、ザックザックとルーズなリズムギターで切り込んでいきました。ベストヒットUSAで流れた、ピックアップトラックに乗って移動するKeep Your Hands to Yourselfのプロモビデオが楽しかった。ソロの一作目も良かったですね。

 

才人だったと思いますが、何かのめぐりあわせがズレてしまったのでしょうか。大ヒットしたソロ二作目以降はあまり記憶に残っていません。この人、他のメジャーアーティストとの交友みたいな話を聞いたことがなかったな。むしろバンド時代の相方のリック・リチャーズは、元ガンズのイジー・ストラドリンと組んだりしてましたが。リックとのコンビはまた見てみたかったです。

 

その後も、音楽活動を続けていたようですが、燃え尽きてしまったのでしょうか。それにしても引退のコメントがカッコ良すぎる!

 

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サテライツがデビューのころのライブがyoutubeに多いです。今見てもカッコいいな。

 

運転免許センターに行ってきた

他人の用事の付き合いで、幕張の運転免許センターに行ってきたんですけど、凄い混雑。

 

更新組の人は兵隊さんみたいに表にならばされて、順に一列入場していた。気の毒。警察官のみなさんはこういうの指導するの慣れてるみたいで、ちょっと面白かったけど。

 

それにしても、密になるなと半年言い続けて公の施設がこの状態なのはいかがなものだろうか。

 

超特例で、この一年は免許の更新や講習などは、免除したらどうだろうか。この国の行政はそういう臨機応変、柔軟さが無さすぎる。都合の悪い文書を隠したり、事実を捻じ曲げたりは、超柔軟なくせにね。

核家族と理想主義

自分の母方祖父祖母は明治生まれの働き者で、子供五人を育て黙々と酒屋の自営業で働いた。子供や孫の世話も手を抜くことなく、かつ甘やかすこともなかった。とにかく昔の人は生きていくのにインフラ的条件が今よりも過酷なので、現実主義だ。甘っちょろいやさしい言葉は聴いたことがない。

 

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先日夜に放送されていた「石田さんチが大変だスペシャル」のお父さんお母さんを見ていてもそう思う。生活がとにかく大変だ。稼ぎが少ないというのではなく、家族が多いから、全てにまず現実的対応が優先される。なんにせよドライな判断が必要になる。ここには甘い理想なんて入る隙間がない。ここのお二人の対応は、同世代の家庭よりもドライで堅実だと思う。(そんな二人が好きだ)

 

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翻って自分は二人の子供で育った。つまり核家族だ。ウチの親はむしろ同時代の他の家庭より質素で厳しい方だったが、それでも前世代の家庭よりもやや子供に甘い。二人しかいない子供に期待したり、甘めにみたりした。自分たちのできなかったことを託したとも言える。

 

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ネットや新聞や自分現実の狭い観測範囲では、若い世代が高い理想を語る。元来若者とはそういうものかもしれないが、意識高い系なんていう存在や言葉は、20年前には無かったと思う。年々高まる理想主義というものを感じる。やがてがんじがらめになってきていないか。

 

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なんとなく核家族が二代目、三代目と代を重ねるうちに、理想が高まってきたのではないかという気がする。余裕ができた生活は、現実よりも未来を見つめるのが当たりまえになったのではないか。その末に、我々の社会は子供や若者に将来の夢を尋ねすぎてきたのではないか。それがプレッシャーとなってきたのではないだろうか。成功者の輝きにばかり目を奪われ、敗者への想像力を萎えさせなかったか。そして己の首を絞めていないだろうか。若い世代の自殺が多いというのは、理想に輝く意識の高さの裏返しではないか。

 

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理想とは素晴らしいものだ、という常識をもう一度見直してもいいころかもしれない。理想には影もある。そういえば「夢とは呪いである」という言葉が数年前に流行った。夢と理想を入れ替えてもいい。

NHK筒美京平特集のCCB

中学時代に洋楽にかぶれ始めた自分は、同時期の日本のアイドル歌謡曲をどうも好きになれなかった。でも今聞くと懐かしいし、ああ職人が高度なことをやってるんだろうなーと感心したりする。

 

先日NHK筒美京平特集を視ていた。80年代には筒美京平はやっぱりアイドル歌謡で名曲を連発していて、特に関心のなかった自分でもすべて口ずさめるほどの大ヒットばかりだった。

 

おそらくチェッカーズでヒット曲を連発した芹澤廣明に触発されたのだと思うが、筒美もCCBに曲を書き実質的プロデュースをした。番組の中で詞を提供した松本隆も、筒美さんはおそらくバンドのプロデュースをしたかったのではないかと話していた。松本が引き合いに出したのは、最新機材のシンセサイザーサウンドを前面に世界を席巻した同時代のイギリスのニューロマンティック系のバンドだった。

 

フィフティーズのロカビリー/ロッカバラードをベースに愛くるしいチェックの揃いの衣装のチェッカーズに対し、最新サウンドとクールなビジュアルで対抗したかったのかもしれない。

 

その件りでCCBのライブ映像がチラッと映っていたのだけど、これが瞬間にグルービー! と思ってしまった。たしかその中ではドラムもエレドラではなく通常のセットのようで、このドラムと渡辺氏のチョッパーベースが絡むと何とも言えずカッコいいボトムだった。それも二人ともかなり歌いながら。ギターもキーボードも上手い。

 

おそらくフュージョンに憧れた世代の若い人たちが、企画上アイドルバンドをやっていたんだろう。そこに笠氏のピッチが抜群な高音の美声が筒美メロディーに載って完成したのだと思う。自分の好みからは遠く離れた音楽だったけど、今思うと職人たちがシーンに向けて、敢えて下世話に盛り上げたという価値が分かる気がする。

 

そう思うとデュラン・デュランより、フュージョンっぽくて演奏も上手いということでカジャグーグーっぽい。

大好きなテレビ番組「家ついて行っていいですか」が、おおよそ隔週で二時間番組になった。週一ペースのお楽しみだったのに。気のせいか、ちょっと内容も薄くなった気がする。コロナの影響で取材しづらいのかな。一時間でいいから毎週やってほしい。一週おき再放送でもいいから!

www.tv-tokyo.co.jp

政治家を働かせるという意識

菅さんの支持率が70%越えで始まった。多少落ちたが、それでも高い方だと思う。*

 

www.nhk.or.jp

 

このページの下の方を見ると野党の支持率トップは5.8%の立憲民主党だ。

もう与野党逆転なんて望まない。

だから今の与党、今の政権を国民のために働かせるという発想が必要だ。

 

政府は国民が怖くない。何やっても選挙で勝てるから舐めている。いつまでも高い支持を与えてるとこうなる。だが安倍政権も支持率が落ちると突如として国民よりの政策をやってたような覚えがある。最近だとコロナ給付金もそうだった。

 

選挙はそうそう行うものではないが、支持率はしょっちゅう発表される。

政府の支持不支持を尋ねられたら不支持を答えた方がいい。

点数を甘くしてたら、いつまでも国民の方を向かない。

 

そしてそういう空気を世間に作っていかないといけない。

かと言って正面切っての反対意見というのは、煙たがられるようなところもある。

 

政府の存在に反対するのではなく、今の政府を働かせるための行動としての、不支持。

これが広まるといいなと思う。

町中華とチャーハン肘問題

町中華が流行っている。もともと個人店が好きなのでドンドン隆盛してほしい。

 

がしかし、もはや新しく町中華を開く若い人はいないだろう。だから総数は減っていく一方だ。そこには中華職人たちの肘の問題がかかわっているかもしれない。

 

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これはホストでタレントの城咲仁さんの御実家でも有名な板橋の中華屋さん丸鶴。

youtu.be

 

マツコの知らない世界がまだ深夜で放送されていた時に、スタジオに来て作られていたけど旨そうだった。しっとり系の代表だったと思う。

 

余談だけどこのお父さんがまた色っぽくて、素敵、かっこいいとマツコが悶えていたところ、じつは城咲仁さんの父親と明かされてさすが血は争えないという話になった。

 

町中華の華はラーメンよりもチャーハンではないかと思う。

 

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自分が子供のころからだから35年ほど通っている町中華がある。最近は年に一二度だけど、それでもたまに行く。

 

そこのチャーハンは界隈でナンバーワンだと若いころから思っていた。

 

しかしそれが、衰えていた。

 

ベッタリして今一つキレがなく、すこし卵が焦げ付いている。以前はもっとしゃっきりした仕上がりだったのだがと残念に思った。

 

その時壁の貼り紙が目に入った。「チャーハンの大盛はできません」。

 

???

 

*

 

その時思い出したのは、その隣町で15年ほど前まで営業したもう一つのお気に入りの町中華だ。旦那さんが鍋の降り過ぎで左手を痛めてしまい、まだ50代くらいなのに引退した。

 

チャーハンはひじを痛めるという話は他でもきいたことがある。

 

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ここの大将ももう70近いと思う。頑丈そうな体でも、毎日チャーハンのたっぷり入った鍋をふっていれば肘を痛めるだろう。

 

鍋をふる支援器具みたいなものがないだろうか。ボウリングの腕のサポーターのようなもので返しが楽にならないだろうか。鍋を下から跳ね上げる手伝いになるような板バネなどはできないだろうか。職人たちの職業寿命を延ばすのに必要だと思う。町中華フォーエバー。

アメリカポップス界の80'sの巨人たちが早世してしまう。

 

エディ・ヴァン・ヘイレン、プリンス、マイケルがもういないのだ。

信じられない。

 

トム・ぺティももういない。

 

70年代や60年代の巨匠たちは案外元気だったりするのに。

寂しいなあ。

 

*

 

ヘヴィメタルには疎かったので、ヴァン・ヘイレンも然りなのだけど、エディのギターは特別だった。聴いていて気持ちの良いヘヴィロックという、新発明というか、もはやエディだけの神業であった。似たような音楽は乱造されても、一線を画した。弾いているときに常に笑顔で気持ちよさそうにしているのが、また凄いし、もう怖い。

 

クリーム期のクラプトンのファンだったらしいけど、むしろアラン・ホールズワースアル・ディ・メオラ的な血統が強いようにも聴こえた。ハードロックとフュージョンのハイブリッドだった。その上、神様に溺愛されていたのだ。モーツァルトとかパガニーニとかの神童というのは、こういう人だったのではないか。

 

実はお父さんはオランダ人、お母さんはインドネシア人(華僑系にも見える)で、オランダでの人種差別を避けてアメリカに渡り、新天地でも貧困やいじめなど苦労した前半生であった。金がなかったので突拍子もない自作ギターでデビューした。最後まで家族バンドにこだわったのは、もしかしたらそんな過去がにじみ出たのかもしれない。その上でのあの笑顔。あの才能。あの華やかに輝けるフラッシーな80年代の音。

 

もうでないであろう天才よ、さらば。

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伊東四朗のラジオでニュースの解説者が「ヴァン・ヘイレンさんが亡くなりました」というと、伊東四朗が「ああ」と少し反応していたのがちょっと面白かった。知ってるのかな。

自分の思い出に愛着はないが、他人の思い出話は面白い

自分自身の半生に大した愛着がないので、過去を振り返り反芻することもあまりない。しかし何故か他人の思い出話を聴くのは楽しい。

 

特に年上の人がポツリポツリと語る話。古いほど面白い。

 

しかしもう、その話を聞かせてくれていた身近な年長者たちが年々減ってきたという実感がある。もっと聞いておけばよかった。

エド山口、モト冬樹のyoutube ~ 竹田の子守歌

作業のお供として時折youtubeをかけ流す。

最近のお気に入りは、エド山口のものと弟のモト冬樹トーク系動画。

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 さすがに漫談家なのでテンポよく聴かせる。内容は昔の音楽界やハコバンの話、演芸界の話、役者としての話と自分の好みの古い思い出話が続く。中にはなかなか貴重な証言なのではという話も有る。この会は仲良しだった村下孝蔵との付き合いの話。村下の最期の話が印象深い。モズライトにまつわる泣かせるエピソードも。

 

次は弟のモト冬樹。この会はとんねるず、特に石橋貴明との思い出話。これもファンには貴重な話があると思う。その後、唐突に日本のブルースで好きな歌だよと歌ったのが「竹田の子守歌」。名前だけ知っていたけど、いい歌だなあ。

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もともと京都に伝わる民謡を60年代のフォークシーンで広まり、赤い鳥が大ヒット曲の「翼をください」のB面に取り上げた。

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唄の内容は奉公先で子守をするが、盆になっても実家に帰ることはできない、向こうに親のうちが見えるほど近いのに帰ることができない、という奉公の悲しさを歌った。

 

江利チエミやソウルフラワーなど多くのジャンルのミュージシャンがカバーしたが、桑田佳祐もその一人。

 

ちなみに桑田佳祐の最近のお気に入りがエド山口youtubeだそうで。

インターネットに失望したのは

昔から、古いものが好きだ。音楽も映画も本も、新作より古典よりに惹かれる。町もそう。東京でも、東京駅から東が好きだ。昔のままの東京がまだ多く残っているようだ。外国の街には旧市街という地域がよくあるけど、東京でいえばそのような感覚ではないだろうか。歴史の蓄積に魅せられるのだろう。新宿や渋谷など現役の繁華街でも、昔の趣のある一画を見つけると嬉しかったりする。

 

学生時代も同級生たちは、その当時のヒット曲を追いかけるけど、自分は20年くらい前の洋楽のヒット曲が好きだったりして、話が全く合わない。友達が買っているFM雑誌は鈴木英人のキラキラしたイラストが表紙になったFMステーションやFMレコパルのファンだったけど、自分は落ち着いた表紙の歴史が深そうなFM]fanや週刊FMが好きだった。皆がキャプテン翼に夢中な時に司馬遼太郎に目覚めたり。

 

新しいもののスリルより、落ち着いた深みのあるものがしっくりくる。蓄積されたものの動かざる安心感がいいのかもしれない。

 

*

 

10年、20年前にはインターネットは新しいメディアだったけど、意外にも古い情報が登録されていった。個人サイトや創成期のブログには、その当時中年だった人たちのかつての思い出や出来事の記録が載っていった。そもそも他人の思い出話を聴くのが好きなので個人的に面白かった。

 

いまよりも、10年前のネットの方が、情報が豊かだったと思う。多様性や深さがあった。商業主義も今ほどではなかったし、各サイトに各人の味わいがあった。主観でしかないけど、共感してくれる人も多いと思う。

 

今はプロバイダーはいくつかの大手に集約されていると思うけど、20年前は各地に小規模のプロバイダーがけっこうあって、それぞれに個人ホームページやブログのサービスを持っていた。

 

そういったサイト群は、プロバイダーの集約と共に姿を消した。小さい物だけでなく大手のプロバイダーも個人用サービスを終了した。そこに蓄積されていた沢山の文章や思い出や記録はデジタルの芥となって消えた。

 

ブログを終了させる前に亡くなった人も20年の間には結構いたろう。そのページを愛おしく眺めた遺族もいたろう。亡くなった人の使用したパスワードを残された人たちが覚えていることもほぼなかったろうから、サーバーの移動もできなかったろう。そもそも存命の人間たちの多くも、いまさら移動してブログを続けた人は少ないと思われる。

 

15年ほど前、GOOGLEは地球上のすべての記録を網羅するだろう、みたいな景気のいい予言をしていた人がいたけど、各社サーバーの維持費にはかなわなかった。

 

yahooのブログや個人サイトが沢山消えた時は、無念であった。自分はそこになにも持っていなかったけど、こうやって記憶は消えていくのだと無念になった。ネットに対する最大の失望はこの時だったと思う。

 

歳をとるほど新しい物への完成は鈍る。それを悲しむというより、単純に興味が薄れていくので、情感も特にない。それよりも昔のことを確かめたくなるのだ。自分が子供のころの出来事のあらましや、それ以前のこと。自分より上の世代がブログや個人サイトで綴っていてくれたもの。もう一切消滅してしまったのかと思うとそれがつらい。

 

 

 

斎藤洋介さんと「車輪の一歩」

お亡くなりになった斎藤洋介さん。

昭和ドラマファンとしては、やっぱりこの一本が印象深いです。

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山田太一のドラマの多くは、キレイゴトの光は届かない世間の片隅にある、誰も耳を傾けることの無い現実の悩みや苦しみを掬って見せた。その革新的な一作を若い斎藤洋介さんは実に丁寧に演じられていました。山田太一なら、このポリコレ的きれいごとの現代をどう見たでしょうか。もう声が届くことはないようです。