野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

ククルス・ドアンの島』を観た。

 

あらためてスケールを拡げた作劇は見事だし、戦闘シーンも素晴らしい。しかし何か違う。

 

ファーストガンダムはドライな人間観や演出が、自分には魅力であった。今回はストレートな人間愛とよくあるアニメ的な派手な人物演出になっているのが、どうも落ち着かない。

 

ファーストの人物たちは戦争に巻き込まれたり職業軍人だったりで、多くは疲れ切っていたのがリアルだった。人間の距離感も遠く、むしろ冷たく突き放した視点が、人物たちにも作る方にもあった。雄弁過ぎない人物たちが魅力的だった。そこを愛したファンも多かったのではないか。

 

個人的には、アニメの派手な抑揚のセリフ回しやアニメ的なおふざけ描写が苦手で、アニメーションをほとんど見ない。自分がファーストに未だに惹かれるのはそういう部分がなく、抑制のきいた演出だからだと思う。冨野監督ならどうだったろうと考えた。

今時豪快カッコいいロックバンド ステレオガール

TBSラジオでステレオガールと言うバンドの曲が掛かっていて、かっこよかった。

 

 

もうリアルタイムのギターロックでワクワクすることはないのだろうなと思っていたけど、時代が一回転しているのかなというくらいに衝撃がありました。

 

豪快グランジ的なギターと、ブルージーなギターと、グルーヴィーなベースがレイドバック気味にウネウネしててカッコ良い! そこに気だるげな女性ボーカルが乗っている。構造的には90年代にあったかもしれないけど、それぞれのフレーズに普遍的な才能のキラメキのようなものもビシビシ感じる。曲が短いのも潔い。これはもしかすると新たな時代の鐘の音か。

 

2022年の2月の終わり、陰鬱な今この時に鳴らされているというのも、何かの暗示のようだ。

 

stereogirl.stores.jp

サム&デイヴ ソウルマン には二つのバージョンがある

中学生の頃(86-87年くらい)にブルースブラザーズがテレビで放映されて、その音楽のカッコよさにぶっ飛ばされた。それ以来サザンソウルが好きになった。

 

そのBBのコンビの元ネタがサム&デイヴだということで、ベスト盤をレンタルカセット(!)で入手。コピーされたものを繰り返し聴いた。

 

その後も別のCDを手に入れてやっぱりよく聴いたのだけど、大好きな「ソウルマン」にはバージョンが二つあるようだと気が付いた。

 

最初に聴いた方は、ギターのオブリガードのタメがよく効いているように思えた。こっちの方がよりブルージーで自分の好み。後から手に入れた方はオブリのフレーズがオンタイムでスムーズなんだけど、ブルージーさはチョット欠ける気がした。

 

それを長年時折思い出して検索してみたのだけど、そう言う情報は特になかった。きっと別にどっちも全体的にはカッコイイのだから、大した違いじゃないし、事実に気づいてもとくに問題にはならなかったのだろう。この大らかさはサザンソウルらしくて良いのかもしれない。ビートルマニアの繊細さとはちょっと違う。

 

それが今日思い出してまた検索してみたら、英文のWIKIには載っていた!

hrvwiki.net

Original and alternative recordings という欄である。

 

DEEPLで訳すと

「オリジナルと別録音
同じセッションで、「Soul Man」は2つのバージョンが録音され、その後どちらもリリースされた。この2つのバージョンの違いは、曲の最初の30秒の間に見られる。一方のバージョンでは、サム・ムーアが「Comin' to you...」と熱唱して曲が始まるが、もう一方のバージョンでは、「Comin' to ya...」という歌詞が冒頭に出てくる。後者の方があらゆるフォーマットで入手しやすく、前者は45回転のオリジナル盤で入手しにくい傾向があるが、ラジオで最もよく流れるバージョンである。この曲のモノラル盤(シングル)とステレオ盤(アルバム)には、それぞれ異なるバージョンが収録されています。」

 

シングルとアルバムで違うらしい。

違うと言われる二つを改めて聞いてみると、どっちもカッコ良くて違いが良く分からなくなってしまった…。

 

こっちが自分が最初に聴いた方だと思う、おそらくアルバムバージョン。 

 0:16の歌い出しの節回しがちょっと違う。

 0:39のギターがルバート気味でちょっとブルージーにもたらせている。

 

こっちは自分があとから聴いた方でシングルバージョン。

 0:18~歌い出し  0:41~ギターオブリ

多分、日本国内ではこちらの方がよく聴かれているのではないか。例えば明石家さんまの「から騒ぎ」で流れていたのはこちらだと思う。

 

ちょっと違いませんか? 

「ゲットバック」前史

前のブログの続きですが、ビートルズはこのセッションの開始早々あんまり和やかではなく、どっちかと言うとトゲトゲした空気で自棄になって悪ノリしているように、自分には見えました。

 

ではその前は何してたんでしょう。

 

ゲットバックセッションは69年の初頭ですが、68年の頭から春までのビートルズはインドでヨギ師の下で瞑想の修行をしています。

 

そこにポールとジョンはアコースティックギターを持ち込んで、曲を書いていました。これが68年秋発売のホワイトアルバムにレコーディングされるのです。

 

あのアルバムの全体のトーンは、シンプルで静かでアコースティックな感じがします。これは曲が書かれた瞑想目的の静かな環境や、機材がアコギに限られていたということが影響していそうです。

 

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インドから帰ったメンバーはホワイトアルバムの本番のレコーディングに入る前の68年の五月に、イーシャーという土地にあるジョージの家で四人は合宿し、デモテープを作ります。これは和やかに行われたそうです。どうもプロデューサーのジョージ・マーチンからの巣立ちを意識していたようで、これまでに類のない出来事でした。

 

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和やかだった合宿ののちの本番のレコーディングですが、ここに突然オノヨーコが現れます。ジョンとヨーコは愛し合っているので一緒に居たいだけだったらしいのですが、そもそもビートルズの録音現場は部外者は入れないという不文律があったらしく、ヨーコがあまり歓迎されなかったのは予想できます。「ゲットバック」の中でもあまり馴染んでいないようですから、初対面の時はさぞやギスギスしたでしょう。

 

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さらに機材の発達により、四人で同時で一緒に録音する必然性がなくなり、バラバラにレコーディングすることが増えたようです。これを一体感が失なわれたと感じたのか、この時の反省が「ゲットバック」で四人一緒にライブ録音という方針になったと思われます。

 

68年10月にレコーディングが終わり、11月22日にはホワイトアルバムが発売されました(早いな)。

 

そして69年の1月2日からゲットバックセッション開始です。間がない。ホワイトアルバムの録音・発売・その後の諸々の事後処理が終わるかどうかくらいで、もうお正月からあのトゲトゲセッション開始です。

 

ギスギスしたレコーディングが終わり、アルバムが発売となり、羽を伸ばす間もなく、曲を書く間もなく、正月二日から呼び出されて「映画取るから曲録って」と言われたらキツかったでしょうね。

 

時系列をまとめると、

 

68年 年頭~春 インドで合宿 

   5月イーシャーで合宿

   夏秋 アビーロードでレコーディング

   11月22日 ホワイトアルバム発売

69年 1月2日からゲットバックセッション開始

 

軋轢のあった前作から間がなさすぎるのです。そりゃ、曲がないよという会話がなされるわけです。もしこの時、半年くらいゆっくりできる時間があれば、案外音楽の歴史は変わっていたのではないでしょうか。

 

ゲットバック」の中でも、アレン・クラインという人の名前が出てきますが、新マネージャーのことです。実はデビューから苦楽を共にした敏腕マネージャーである、ブライアンエプスタインがホワイトアルバムレコーディング中に亡くなっていて、この時期はマネージャー不在でした。もしエプスタインが生きていたら、きちんとした計画で事が運んでいたかもしれません。

 

さらに新マネージャーのクラインはポールとは決裂し契約を結ばず、他三人とのみ契約しました。これが状況の複雑さを助長しました。ポールは奥さんのリンダのお父さんをマネージャーに迎えたかったのですが、おそらく対抗意識のあったジョンはそれを受け入れなかったのではないでしょうか。

「ゲットバック」視た。

ビートルズファンお待ちかね、撮影から50年後に公開されたゲットバック(レットイットビー)セッションの未公開映像集。

 

なかなか感慨深いですね。そしてまず思ったのは落ち着きがない。特にジョンレノン。小五の男子と言う感じ。

 

それまでの使い慣れたアビーロードスタジオで関係者以外シャットアウトされた聖域とこの現場は大分違っていた。

 

映画撮影用のスタジオで映画関連のスタッフ常駐の中、プロデューサーもジョージ・マーチンからグリン・ジョンズに交代という慣れない環境の上、前作からのメンバーの軋轢がうっすら残ったままだったので、メンバーも落ち着きがなく、どことなくトゲトゲしてる。

 

ジョンは延々にはしゃぎ続けているかと思うと、神妙な顔をして真面目なことをつぶやいたり、かと思うとスタッフの荷物運びを手伝ったり、ぐったり疲れたり、目が離せない。そこが勝新のごとくチャーミング。薬物やっていたのだろうか。

 

音楽的にジョンが印象的なのは、デビュー間もなくから最後までエピフォンカジノというマイナーなギターをずっと使い続けていること。カジノが大好きな感じ。ボディが完全に中空なのでアコースティックギターのように体に響く感じがシンガーとしては歌いながら弾きやすいのかもしれない。

 

このギターは元々バイオリンの様な濃いブラウンカラーだったのだけど、塗装を剥がして木目にしているのも印象的。このころのストレートの長髪にひげ無し丸メガネでシンプルな衣装の、あっさりしたジョンのルックスともなんともマッチしている。

 

最後は有名な自社ビル屋上でのライブ。このライブシーンはそれまでの抑圧の反動もあり、うっぷんを晴らすようにメンバーが冴えまくる。生々しくてワイルド。感動ですね。

 

ここでのポールはもはや音楽の化身。神のごとく歌いまくりベース弾きまくる。後光がさしてるよう。ジョンも遅ればせながらノッて来て、お調子者らしくポーズを決めながらシャウトしまくる。ジョージもリンゴも艶っぽい。

 

晩年に悲しい最期を迎えたビリー・プレストンもまだあどけない笑顔の若者。この人の活躍のおかげでとりとめのないこの歴史的セッションは音楽的に報われた。

 

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非正規が零細自営業に

選挙前ということで、主に野党周りに最低賃金アップの話題が多い。

 

非正規労働に対して、1,500円の時給は多くの企業で事実上難しいと思う。その上でもし、その額が最賃の時代が来たらどうなるだろう。逆に非正規にすらなれない人が増えるのではないだろう。

 

土建業界の一人親方みたいな零細自営業が増えるかもしれない。企業側が、もう時給雇用での契約は無理だけど、下請けとしてなら仕事を与えますということになると、同じ労働でも労働者としての保護は働き手から取り上げられる。

 

*

 

同じ経営者同士の商取引だから買いたたかれるかもしれない。下請け保護の法律もあるだろうけど、労働者ほどの保護はされないだろうし、同じような競争相手との競合の中、泣き寝入りもあるだろう。

 

さらに来年からインボイスの導入で、消費税も納めなくてはならない。これまでは一人親方のような立場を保護する意味合いもあったろうけど、これからは売上1,000万円以下でも消費税を納めることになり、単純に手取りは一割減になる。

 

*

 

戦後すぐまでは日本は、多くの人が自営業だった。つまり農家や漁師や職人だった。しかしアメリカは資本主義拡大のために工業化し株式会社を定着させた。すると会社ごとに一括で税金を集めることができる。

 

自営業者を減らせば確定申告が減り、税務行政も楽である。だからこれまでは自営業者が増えるのは行政負担増になるので、困ることだった。

 

しかし近年のデジタル行政の発達で、マイナンバーやeTaxが充実し使いやすくなってきた。労働世代のほとんどの人が手のひらサイズの通信可能コンピューターであるスマホを持っている。アンドロイド向けのeTaxアプリもリリースされた。

 

こうした発展で簡便な確定申告が可能になりつつある。申告アプリを請負先や銀行口座と紐づけすれば、経費控除を入力するだけで引き落としまで自動になるかもしれない。

 

ネットショップから購入したものは電子帳簿保存をする義務が来年からできるので、徐々に経費も紐づけされるのだろう。そうしたらほとんど自分で手間をかける必要もない。

 

移民政策を与党が進めるのも関連があるだろう。日本に来たがる移民はいないという説もあるが、まだまだ貧困や政治不安定の国なんていくらでもある。次世代はそういう競争の中に入っていくのだろうと思うと暗い気分になる。

 

*

 

そもそもが最賃の議論の前に、安定した身分である正社員の枠を拡大するべきという問題があるのだが、「最低賃金」というキャッチーなワードに皆が引っ張られすぎている。むしろ事の本質は隠されてしまった。

 

最賃運動から非正規の縮小へ、さらにその下層が現れるかもしれない。いやもう現れている。ウーバーイーツである。

チャーリーが亡くなって

もう年齢も年齢だし体調が悪いという話もあったけど、やっぱり寂しい。

 

どこかギクシャクしたリズムのゼンマイ人形みたいなチャーリーと、黄泉の国の泥水みたいなモゴモゴしたビルのベースあってのストーンズだった。あの土台があってこそ猥雑と混沌が華やかに輝いた。

 

それでこそ、その前で飛び跳ねる三人の若作りが映えたのだ。

 

それがもう無い。

 

延長に延長を重ねた宴が終わった感じか。

 

よく○○の時代の終わり、みたいな言い方があるけど、今回ばかりはもう「ロックの終わり」みたいに思えてきた。これ以降三人がいくら飛び跳ねようと、ディナーショー的に見えてしまいそう。いやもうこのジャンルがディナーショーなんだな。

 

*

 

でもバンドっていいな。とも思う。おやすみチャーリー。

 

 

ロバート・プラントと矢野顕子とTボーン・バーネット

最近は歳のせいか、ゆったりした音楽がはまる。

 

かと言って豪華なバラードや洒落たAORもちょっと違うという時に、ロバート・プラントの07年作「レイジング・サンド」と矢野顕子08年作「akiko」を聴く。

 

どちらも良いなあと別々に聴いていたら、プロデューサーが同じ人だった。Tボーン・バーネット。カントリーやブルースっぽいアメリカのルーツ系の音楽を、ちょっと新しい感覚でまとめる人。最近はこういう音楽をアメリカーナと言ってまとめられている。

 

ルーツ系ニューウェーブみたいな感じか。古くはボブ・ディランのツアーギタリストや、エルビス・コステロの「キングオブアメリカ」のプロデューサーでもあった。

 

「akiko」は久しぶりにロックっぽいバンド編成で、中高年のロックファンにも耳馴染みが良い。

 

もしかしたらロバプラのアルバムをアッコちゃんが聴いて刺激を受けたのだろうか。参加ギタリストのマーク・リボウも共通している。リボウとはその後ライブDVDも出している。

 

 

 

 

 

 

職域接種って命の選別だよね

零細なんでワクチンの予定なんて見えません。

老親と暮らしているので早くなんとかしたいのですが。

 

職域接種って大企業優先なんですよね。

これは命の選別にならないのでしょうか。

経団連がねじ込んだんですかね。

零細の命なんて価値がないんでしょうね。

 

テレビやラジオの世界なんかも接種してるんでしょうか。

案外やったかやらないか口にしませんよね。

私たちはもうやってますなんて顔で報道してたら反発が大きいでしょうからね。

 

電通はとかはどうなんでしょうか。

 

作品と人格は分けて考えるべきと言うのも、理屈としては分かるけど現実はどうだろう。

 

熱心なファンほど音源だけではなく、それ以外にもインタビューや文字情報を多量に読み、文脈を理解し、ファッションやライフスタイルまで追いかけ、人柄まで愛してるものではなかろうか。

 

そうしておいて、作品と当人は別、と言うのはなんか違う気がする。

 

そもそも(特に日本の)ポップミュージックはタレント性をかなり含めていると思うし、ポップスの本質とはそう言うミーハーなものだと思う。

 

かと言って不祥事のときの作品販売停止というのはまた別の話だけど。

 

 

*

 

チョット追記。

 

「作品と人格は別か否か」という問題と「作品に罪はないか否か」という問題は、一旦分けて考えた方がいいのかなと思う。その後統合して考える。

五輪開会式の音楽家がかつて高校時代に凄惨ないじめをやっていたという話。

 

アレは本人がインタビュアーの前で悪ぶって大分大袈裟に粋がって見せたら、引っ込みがつかなくなったというのが事実じゃないだろうか。

 

自分の知人に彼と同期だった人がいたけど、そんな悪評は聞かず、むしろ普通に良いやつということだった。その知人は教育関係で熱心に仕事されていた正義感の強い人なので自分はその見立てを信用している。(むしろもう一人の方が…ということだった)

 

彼や彼の仕事、属するシーンは虚構性が強いイメージでどこまでが本当なのかよく分からないところがあった。この話もどこまで裏が取れているのだろうか。本人が語ったから事実というのも、根拠として良いのかというくらい藪の中という気がする。

 

ここまでインパクトのある内容じゃ無くても、当時インタビューの内容がいい加減ということは普通に多かったと思う。

 

*

 

やっぱり本当だったと言うことで謝罪。

 

アレが事実だったと言うおぞましい結果に。

 

本質的に犯罪行為も含まれている。

相手や環境が訴えにくいから、刑事罰を免れただけ。

直接会って謝罪というが、相手も心痛だろう。

賠償金を払うべきではないだろうか。

最近、二十年前に買ったフルアコ(空胴のエレキ)のギターを弾いてる。臨時収入があったのであまり知識もなくなんとなく手を出してしまったやつ。中国製でフルアコの最安値だった。当時は買ったもののなんだか気に入らなくてほぼ放置していた。

 

中古店に処分するかと手に取って弾くと(大して弾けないけど)すごく良い。二十年経って自分の感じ方が変わったのかもしれない。生白かったボディも良いように黄変して味が出てきた。

 

そもそも製作のレベルが高いのだろう。数年前に合わせたチューニングもほぼ狂わず、少し調弦したらネックも弦もそのままでピシッと和音がきれいに響く。Ibanezさん実用的な素晴らしいギターです、どうもありがとうと言いたくなった。コード進行を考えてループさせて、適当にメロディを乗せるだけなんだけど、上手くいくと楽しくて仕方ない。

 

合わない、要らない、と思ったものでも何かの変化で好きになることもあるという事実にちょっと胸を突かれた。

座頭市と現代人

最近、春日太一氏の影響で「座頭市」を配信でよく観てる。

(まだ春日氏の本は読んでない。動画で話してるのを少し観た。もう何本か観たら読みたい。)

 

描かれている時代は幕末くらいで、映画がつくられているのは60年代。

 

かつて根本敬が昔の日本映画を見ていると出てくる人が自意識が低いということを書いていたが、全くその通り。簡単に言うと、今ほど他人の目を気にしていない。縛られていない。もちろんフィクションだから直接的ではないけども、画面から感じるものがある。人の間の風通しが良い。

 

意外にも現代の我々が参考にすべきは昔の日本人なのかもしれない。

 

*

 

それにしても座頭市のスカッとすること。勝新版の西部劇である。殺陣も舞の様に美しい。

 

盲目の一匹狼の按摩が、組織の大きさに甘えたヤクザや役人侍をバタバタ切り倒すのは、ご都合主義とは言え気持ちいい。

 

市は粗野で卑しく見えるが、一方で繊細で優しく、ユーモアにあふれ、常識をわきまえ、三味線や小唄が上手い(元々、勝新は三味線の天才少年)。だから女にモテる。特に繊細さを分かち合えるイイ女にモテる。

 

設定とは言えカッコいい。出来過ぎだけど、何故か引き込まれてしまう。今夜も見ようかな。

 

*

 

そんな座頭市。今のテレビじゃ流せないほど差別用語の連発なので、多くの人が触れられないのは仕方がないけど、もったいない。この映画には我々と座頭市の彼我の差において、何か考えされられるものが詰まっている気がするのだ。