こういう経営者側の意見には腹が立つ。
まったくのポジショントークだ。
…しかし…そういうポジションだからな…。
経営者側は彼らの考えを示し、実行している。
それは彼らの権利でもある。
彼らは彼らの権利を行使しているのだ。
では労働者側は、何らかの形で、自らの権利を主張し、行使してきたろうか。
もしかして、その権利を手放して来たのは、自らではなかったろうか。
権利を主張するには、責任やリスクがある。
もしかして時節柄に合わず、格好の悪く見える部分もあるだろう。
そのせいか、日本で積極的に労働活動をしている人たちは少なく見える。
だけど主張しなければ利益は得られない。
例えば古臭いようだけどストライキや、団交など方法はあったかもしれない。
それもしなかったし、労働側の権利をサポートする候補者を選べたのに選挙も棄権した、とする。
でも待遇面で経営者たちや、会社側に不満はある。
それじゃ仕方がない、ということにならないだろうか。
権利も主張せず、選挙にもいかない。
そういう働き方をみんなで数十年繰り返していたら、経営側の思うがままになってもおかしくない。経営側が暴走するのも、ある意味、自然の摂理、社会の摂理ではないか。天敵の居なくなった野生動物が、目いっぱいはびこって、我が世の春を謳歌しているようなものだ。
権利は放棄して、経営側に任せておいて、待遇が悪いといっても、それは仕方がないように見える。
経営側、労働側、両者が拮抗して待遇が見直されるのではないか。
では労働者ひとりひとりに、この状況の責任があるのだろうか。
というより、分断されてしまっているのではないか。
連帯できず、また気運も低いままだ。
やり始めても、大きな力を持つ前に、きっと経営側に放逐されてしまうだろう。
また今働いている若い人が、いきなりそんなこと言われてもこまるだろう。
何十年と続いて徐々に浸透してきた、労働環境、労働文化なのだから。
でも、そろそろ新しい種をまかないといかんのではないか。
そして、頼りにするべき、労働者寄りの政治集団は党利党略に淫していて、だらしないし、情けないイメージ。世間から白い目で見られがち。
まあ仕方がないか、でまた数十年、というのが日本の未来なのだろうか。
これでいいのか。