はてブを見ていると、村上龍氏が好きなディランの歌はジャストライクアウーマンだという。あれもいい曲。
ディランの歌はあんまりよく知らない。歌詞が分からないから、日本人には魅力は半減というのが本当のところだろう。だからオリジナルアルバムはほとんど聴かなかった。
そういえば25年ほど前のクロスビート(音楽誌)でのインタビューで、前職が国語の教師だったウィルコ・ジョンソンが「ディランの大ファンだ。残念だけど彼の本当の良さは母国がが英語でない日本人には伝わらないと思う」という発言があって、まあ、そうだよな、と思った。
でも初期のベスト盤辺りには、素朴なメロディーの素敵な歌が幾つも入っている。その中でも自分が一番好きなのはこの歌。
歌詞も反戦でも、社会風刺でも、予言めいてもいない。
孤独な男が、タンバリンマンに、一曲歌っておくれ、どこかへ連れて行っておくれ、と懇うというただそれだけの歌。タンバリンマンを麻薬がらみと解釈する人もいるけど、何かと言ってそればっかりだとつまらない。どう捉えてもいいと思う。
わずか50年ほど前には、まだこんな素朴な表現が世界中に届いて、若者たちの心を震わせていたのだ。現代を見渡せば、情報と物質に満ち溢れている。それが悪いというわけじゃないのだけど、思えば一世代も経たない内に、ずいぶんと遠くまで来てしまったような気がする。自分だってリアルタイムじゃないのだけど。
そういう感慨みたいのものを同じように、今回のノーベル賞騒動で、世界中が感じたのではないだろうか。人間の心を押し動かすのに、言葉や音楽において本当に必要な物って、今の水準よりもっともっとわずかなんじゃないか、と感じました。
もうひとつ、好きな歌。くよくよするなよ。
きっといろんな暗喩がちりばめられているのだろうけど、簡単に言うと、あんまり考え過ぎるなよ、という歌。
あの有名なディランと恋人の素敵なアルバムジャケット。
お相手だったスージーさんは、数年前に逝去されています。
ノーベル賞の話を聞いたら、どんな顔されたでしょう。
この写真の瞬間。無名のシンガーと恋人の二人はただただ楽しそうです。