野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

パット・ディニジオ

80年代の終わりくらいに、クロスビートという音楽雑誌が創刊されて、好きで読んでた。

 

その雑誌にはCMJチャートという、アメリカの大学でのラジオの人気曲をチャート化したと物が載っていた。

 

カレッジチャートとも呼ばれていて、ビルボードの売れ線チャートとは違って、

各地の地元インディーバンドや、シンプルで普段着のロックバンドがよく受けていた。

 

カレッジロックとも言われた。

メインストリームの音楽と違う傍流の音楽。

後のオルタナティブロックの走りだと思う。

 

たとえばREMなんかはカレッジチャートから生まれたスターだったし、

他にもリプレイスメンツやグリーン・オン・レッドなどが代表的なバンドだった。ペイズリーアンダーグラウンドというのも、その中の一派だったように覚えてる。

 

CMJをにぎわせたグループのひとつがザ・スミザリーンズで、自分も結構気に入っていた。

親しみやすいメロディでビートルズ系のシンプルなアレンジ。

パワーポップの原型みたいなバンドだった。

 

ルックスは完全なオジサン四人組で、

ボーカルはでかくて禿げててひげ面だった。

みんなライダースの革ジャンを着ていてなんか面白かった。

カリスマ性はないけど、実力派というイメージ。

 

「グリーン・ソウツ」「イレブン」というアルバム辺りはちょっと注目されたけど、

ブレイクしきれずトーンダウン。

でもずっとバンドを続けていた。

初期のアルバムはニルバナカート・コバーンも気に入っていたらしい。

 

しかし昨年の今頃、ボーカルでメインソングライターの

パット・ディニジオが亡くなっていたという。

近年の写真では、かなり身体が膨れていて病的にも見えていた。

しばらくずっとけがで右手が動かず、ツアーもキャンセルされていた。

 

variety.com

 

同じニュージャージー出身のジョン・ボン・ジョヴィは彼の死を

「悲劇的」と悼んだ。

 

誰も思い出さないかもしれないけど、才人だったと思う。

知的で頼もしい雰囲気のある人に見えた。

なんだか寂しい。

 

今年の四月、彼のふるさとのニュージャージー・スコットプレインズの通りの一つが、

彼をしのんで「パット・ディニジオ通り」と名づけられた。

地元で愛されていたのかなと思う。

 

今聴いても楽しい曲をいくつかどうぞ。