野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

小泉進次郎さんは育休を取られます。

そのこと自体は良いことです。

 

しかし彼は労働者ではなく、大臣という特別職です。

組織のトップであり、会社なら取締役です。

 

自分だけ育休をとって、部下である環境省職員には取らせないということはないでしょう。隗より始めよ、というのはそういうことです。それができて初めて評価をしたい。

 

単にスキャンダル逃れじゃないことを祈ります。

小学校低学年のころは毎週土曜日のドリフの8時だよ!全員集合が楽しみだった。視聴率100%男の欽ちゃんの番組もまだまだ大人気だった。

 

小学校三年生の夏休みにひょうきん族に出会ってからは、ビートたけしファンになり中学校の途中までそれが楽しみだった。小学校五年のときに笑っていいともが始まり、密室芸人だったタモリが表舞台でブレイク。

 

中学校になるととんねるずが大人気。高校時代までよくテレビで見た。明るいアナーキストといった風の人気者には、全国の若者が動向を注視せざるを得ないようなカリスマ性があった。

 

90年代に入り、大学生になるころにはダウンタウンが大きく人気を伸ばした。とんねるずよりも昏い目のサディスト的な笑いは、それまでの陽気なバラエティの角度を大分変えたと思う。

 

近年はとんねるずの笑いはハラスメント芸だといって批判されるけど、DTの番組はそれ以上に人間性を疑いたくなるようなネタがいっぱいだったと思う。それを見てみんな笑っていたんだから同罪だけど。

 

90年代後半になるとそれまで低迷していた爆笑問題が念願のブレイク。これも太田光の暗さや人間不信からくる違和感が源になっていて不思議な対称性であった。松本人志にはない文学的な知性に惹きつけられた人も多かったろう。

 

たけしは映画に夢中だったようだけど、このころはまだBIG3も元気で存在感も強く、その他にもウッチャンナンチャンボキャブラ芸人、ナイナイなどの元吉本天然素材組も現れて、まさに百花繚乱であった。

 

*

 

たけし、タモリから爆笑問題までは、他人や社会の約束事・建前を嘲笑い、ぶち壊すという破壊芸だった。それによって日本人の感覚も大分変っていった。たしか欽ちゃんはたけし以降、日本人の感性が変わったと言っていたと思う。

 

壊すことにカタルシスがあるのだろうけど、もうこれ以上壊せないところまで来てしまった感もある。ポリコレという新しい建前は世界的なもので、歯が立たないようにも見える。

 

おそらく少しエグみのある笑いはBSやCS、ネット番組に流れていくのではないか 地上波はまた建前の多い、上品で清潔な笑いに戻っていくのかもしれない。それもむべなるかな。そのころ日本人は何で笑っているのだろう。

 

いつもよりちょっと良いだけのジャンクフード

職場の付き合いで毎年クリスマスになると、コンビニのケーキの予約票が回ってくる。

 

自分はケーキはいらないから、同じパンフに載ってるクリスマス用の料理(?)を注文する。

 

ちょっと良いチキンやサンドイッチ、ピザなんか。

 

でもそれはよく考えたら、いつもよりちょっと良いだけのジャンクフードではないか。

 

しかしながらこれでもちょっと良い気分が味わえるのだから、ありがたいような気持ち。

 

美味しかった。今年のジャンクフード。

 

 

 

他人を属性で判断するのって、血液型占いと大して変わらないような気がする。

 

極論の一種だけど、極端な人って何かに怯えてるように感じる。

怯えから偏向に走るような。

 

自分がそのように判断されるのが怖いのかな。

我々の半分は、どれだけ生活が地盤沈下しても、選挙にはいかない。

我々の半分は、どれだけ生活が地盤沈下しても、選挙にはいかない。

 

首を絞められてもニヤニヤ笑っているだけ。

 

子供が蹴飛ばされてもヘラヘラしているだけ。

 

 

体に無害な麻薬

有名人の麻薬汚染が話題ですが、中毒性もなく、体に無害で多幸感を得られる麻薬は、現代の科学でも製造できないものでしょうか。それがあれば、孤独や不幸の多くは解決できるのでは。優しさの偏在の問題や、よしよしハウスの必要もなくなるのでは。

 

また足腰の衰えた高齢者に筋肉増強剤を与えてはダメなのでしょうか。

 

忌避されがちな薬も使い方によっては意味があるかもしれません。

 

無害な麻薬が解放されたら、それはどんな社会になるのでしょう。

日常系ドキュメンタリー番組、求ム

水曜の9時から、関東ではテレビ東京で「家ついて行っていいですか」という番組をやっているのだけど、これが楽しみ。

 

普通の人の普通の家庭を見せてもらうだけなのだけど、色んな人生が垣間見えて興味深い。結構ホロリとさせられたりすることも多い。

 

以前は深夜にやっていたのだけど、その頃はいい加減な生活していて笑える人も多かった。最近は結構真面目な人が多い。

 

時折、こんな面白い家の人、仕込みじゃないの、みたいな目で見てしまうこともなくはないけど、そんな野暮なことは言いっこなし。

 

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NHKの72時間も見ています。これもいいですね。

 

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その番組はもちろん国内なのだけど、以前は海外の人の日常ドキュメンタリーがいくつかあった。自分が覚えているのは知花くららがナビゲーターをしていた「グローバル・ビジョン」と「世界の子供たち」。特にグローバル…は録画してみていたのだけど、もう数年前に終わってしまった。

 

特にドラマが起こるわけでもないけど、各国の人の生活ぶりを丁寧に味わい深く描いていて、好きだった。多分BSトゥウェルビの放送だったと思う。MXだったかな。

 

もう、後継の番組もないままだけど、こういう番組こそ、ずっと見ていたい。

再放送や、再開があったらいいのに。

今のところのスカーレットのよさ

朝ドラ・スカーレットのよいところは、生活や人物描写が丁寧なところ。会話や人柄の楽しさが共感を呼んでいるのではないか。

 

近年というよりこの20年くらいの朝ドラは、女の子が大きな夢をかなえるために努力まい進するというのがパターンだけど、食傷気味。特に東京製作は理想主義によってる気がする。

 

それ以前は、戦争をくぐり抜けた女の一代記が多かった。

 

今のところ、このどちらにも転んでないけど、描写の細やかさや会話の楽しさというのは昔のホームドラマの定番であり、先祖返りしているように見える。

 

向田・山田・倉本の三巨匠の時代はこういう楽しみかたが普通にあったはずなのだが。

イエスタデイ観てきた ——二十世紀の夢

映画イエスタデイを見てきた。平日初回のせいか、人は少なく、60代くらいのお客さんが多かった。

 

色々なところで情報が出ている通りの設定とストーリーのなのだけど、かなり楽しめた。自分がビートルズファンだから余計にだろう。甘さや疑問が浮かぶ部分もあれど、さわやかなコメディタッチに好感をもって観終えた。

 

最後の方で、ビートルズファンはきっと胸を締め付けられるであろうエピソードが出てくる。ファンはぜひ観に行ってほしい。ファンにとっては、ある意味で数十年かけた答え合わせのような気持にもなるのではないか。

 

ビートルズの曲を知らない人には、音楽の普遍性を知る良いきっかけとなっているし、こういう形でこれから出会えるのは羨ましい。

 

二十世紀ポップカルチャー最大のアイコンの抜けた穴を追う、ジャックと観客たち。それは人類の夢でもあり、あの頃の当事者やファンたちが去っていくことへの鎮魂歌にも思えた。

アベノジェノサイド

togetter.com

 

国は零細事業を根こそぎ燃やし尽くしたい。緊縮、増税、ポイント、インボイス、レジ袋。そうすることで非正規人口を増やし、おのおのの確定申告を受理する手間を省きたい。これがアベノジェノサイド。

www3.nhk.or.jp

www.zenshoren.or.jp

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www3.nhk.or.jp

 

 

ジョーカー見た。ネタバレ含む。

 

https://www.cinematoday.jp/page/A0006895

この記事はこの映画の中でのオマージュのネタ元がいくつか挙げられている。

 

自分は以下も感じた。 電車のシーンは時計仕掛けのオレンジでのホームレス襲撃をやられる側から描き、背中の歪みは報われぬ生涯を送ったノートルダムのせむし男、アーサーの名前は父を知らぬ無名の若者から強い王となったアーサー王だろう。おそらく50-70年代の英米ポピュラー音楽からも暗喩を多数引用してる。

 

たしかに表現はきつい部分もあるし、必ずしも共感できない部分も多いけど、様々な問題や事象を破綻なく重ね合わせたストーリーは分かりやすくストレート。間違いなく現代を象徴するような一本であると思う。

 

万人におすすめとはいえないエグさもあるけど、今見れるひとは見た方がいいと思う。

 

*以下追記

 

母親の最期は、妄想だと思う。

そして黒人女性は生きている、と思いたい。

山本太郎は、クリーンなバラまき経済・新型経世会か。

小泉さんから、現在の安倍さんまで麻生さん以外は清和会である。清和会とは40年前でいうと福田派だ。

 

それまでは基本的に田中派である経世会が主流であった。清和会は長年冷や飯だったのだろう。

 

経世会は「政治主導・ばらまき政治」だったと思う。これがバブルがはじけ、金回りが悪くなったためだろうか、様々にぎくしゃくしたようで汚職まみれだったことが伝わり、自民党政治は国民の反感を呼んでいた。

 

*

 

そこで現れたのが清和会の小泉さん。自民党をぶっ壊せと言っていたが、つまりは経世会田中派をぶっ壊して、派閥の力を逆転したかった。

 

見事、小泉ブームに乗り、清和会は自民党の主流となった。小泉さんは郵政族であったが、郵政省と戦い、そのころ拡大してきた官僚との戦いにも勝ったように見えたが、実は相手は郵政省だけだった。

 

そしてその後、同じ清和会の安倍さんの第一次政権は構造改革を唱え、官僚との対決姿勢を見せたが、なぜか色んな事()が色んな所()からリークされ参院選にぼろ負けし、退陣となった。復活後はもう構造改革とは言わなくなって、政権は盤石。官僚と仲良くするといいことがあると学んだのだろうか。

 

これもどこからか教わったのか知らないが、経済はバラまきに反し、緊縮。PBの御旗の下に増税一路。しかし財界からの要望で、法人税は少なくし、消費税を上げるという庶民泣かせ。経済を上下に分断する庶民緊縮経済。

 

*

 

面白くないのは、小沢一郎である。長年田中派の影のボスであったが、清和会に干され自民党を飛び出した。しかし紆余曲折あって、尾羽打ち枯らす状況。もはやあの「政治主導・ばらまき経済」は遠く成り、国民経済は窮乏し、己の存在も小さくなった。

 

そこに現れたのが、山本太郎。潔癖と見えたので「クリーンなバラまき経済」を教え込んだと様子。そして選挙上手の手法も相伝したのだろう。喧嘩上手らしいトリッキーなゲリラ攻撃でインパクトは充分。

 

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緊縮経済はますます悪化し、おそらく経世会の世もそろそろ傾き始めるだろう。つまり日本の政治は自民党の中の主導権争いで、長年の田中派支配を、この十五年ほど福田派に変わっただけ。そこに山本太郎の「新型ばらまき政治」で経世会的政治経済の復活をもくろんでいるのではないか。

 

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そう考えるとこの数十年は野党の存在は無きに等しく、40-50年前の自民党内での派閥争いが続いているんだなという気がしてきて虚しくもある。