野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

ロックファンというのは音楽でなく、イメージを(自分を)語ってる

偏見が強めかもしれませんが、自分も含めてロックファンというのは、音楽そのものを語る人はあんまりいない。自分の好きなイメージのミュージシャンを通じて、自分語りしてるような人が多い気がします。

 

音楽ファンには二通りある気がしています。音楽そのものが好きな楽器ネイティブ。子供のころから楽器に親しんでいた人が多いと思う。もう一つは、思春期にロック的衝動に突き動かされた人。勝手にロックネイティブと呼びます。自分は後者です。

 

あくまでも大雑把に二つに分けてみました。もちろん、範囲外のパターンや、掛け持ちパターンもあるでしょう。

 

後者は、モチロン曲を聴いて、好きになるのだけど、ただ曲が好き、というのではなくミュージシャンの個性まで好んでくると、上に書いたような状態になりやすくなってくるようです。さらに青春期の心理的な葛藤や圧迫の中では、憧れに自己投影をしやすくなるだろうし。ミュージシャンを媒体にして「こじらせている」という状態です。

 

しかし楽器に触れたこともろくにないと、音楽そのものに対しての分析はできない。そこで、ミュージシャンの内面や姿勢やファッションに深くタッチしていってしまう。思い込みが暴走する。そしてさらに音楽そのものから離れて行ってしまう。

 

対して音楽教育にて、音楽に免疫がある人たちは、曲や演奏そのものに感心して、ミュージシャン本人の人格に対しての思い入れは、さほどないように見受けます。あっても、少し角度が違うような。

 

楽譜に起こされた曲というのは、なんの思い入れもない、骨組だけの設計図みたいなものです。解釈や演奏の仕方次第で、表現の方法はさまざまでしょう。このせいもあって、楽器ネイティブの人たちは、過剰な思い入れや妄想を持たずに、冷静に音楽を楽しんでいる感じがします。

 

それに対してロックに思い入れの強い非楽器ネイティブであるロックネイティブ(繰り返しますが自分のことを一般化しています)は、思い入れと妄想をもって音楽と接触します。ほとんど宗教のようです。しかも勝手に宗旨を思い込み暴走する、原理主義者です。自分の思い入れ以外を排他しがちです。

 

こういう二つのタイプの音楽好きが集まると、ちょっと方向が違ってきます。曲や演奏そのものの感想を話したい人と、己の思い入れを他者に披露や共有してほしい人の。前者は結構、後者に戸惑いやわずらわしさを感じていたのではないでしょうか。(だとしたらごめんなさい)

 

 前者は音楽そのものが好きなので、幅広く音楽に興味を持つ可能性があります。もはやロックにとどまらず音楽全体の愛好家です。が、後者は自分の美意識の保全が重要なので、他の音楽に対して狭量です。

 

この辺を気を付けて音楽ファン同士で探りを入れると、うまく接点を結べるかもしれませんね。 

 

という偏見を長めにまとめてみました。