野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

バブルスターがバブル景気の語源だったと思う。

松方弘樹が亡くなって、バブルスターのCMを思い出す人も多いと思います。

 

 

自分が覚えている初「バブル」は、1990年の頃、バブルスターという家庭用ジャグジー機器のようなものを広く販売し、CMもバンバン打っていた原ヘルス工業という会社が事業停止した時に、あるスポーツ新聞の見出しに「バブルがはじけた」と表現された時です。

 

原ヘルスの販売したこの機械は、健康効果をうたっていたものの、じっさいには単なる泡の出るポンプだったということで、当局から事業停止を受けたものです。

 

この頃はまだ好景気末期だったと思います。とうぜんまだ自分たちが経験している景気が「泡のごとく消える」「バブル景気」だなんて思っていなかったと思いますが、一節には87年にはそのような言葉があったとも言われています。

 

自分の感覚としては、このは事件から、単なる「泡」を指していた「バブル」という言葉に、隆盛を誇るものも虚しく消えていく、という意味合いがもたらされ、広く認知されたと思っています。

 

原ヘルスのCMには、原社長が直々に登場していたのですが、いわばペテンであったわけです。


それ以来、CMに社長が出てくる企業はなんか怪しい、という偏見が自分の中にあるのですが、そんなに外れていないと思います。

また原ヘルスは、系譜を次ぐザ・マイラという会社に変身しているようです。
社長の姓が原なので、おそらく原ヘルスの社長の娘さんなんかではないでしょうか。

 

原ヘルスはバブルスターに健康・美容効果があると宣伝していたというけど、その詳しい内容はCMの中では分からない。


しかしいまでもジャグジー風呂というのは、温泉施設に普通にあって、あたると気持ちいい。身体に気持ちいいものは、なんとなく健康に良さそうだ。

 

その当時(今でも?)効果が科学的に証明されていなくても、後年、見つかることはある。絶対的に、健康に効果なし、と言い切るのも、ちょっと大げさな気がする。

 

そう考えると、薬事法違反で業務停止から会社解散というのも、なんとなく結果が甚大すぎないかな・・・。たんなる薬事法違反(の表現方法に抵触した?)だけではなく、もっとウラが有ったのかなとも勘ぐってしまう。

 

そして現在、ザ・マイラのホームページにはなんとバブルスターの後継商品が載っているではないですか!

商品紹介 › ボディー&ヘルス - ザマイラ/The Maira

(なんと19万円…)

 

その文章には、健康効果がやはり歌ってある。病気が治る、などの表記ではなく、
身体がシンまで温まる、身体がイキイキする、筋肉のこりを緩和する、などのややぼんやりしたものなのだけど、先代の謳い文句とそんなに変わらない気もする。

 

それとも先代は、CM以外のところで、もっと大げさな広告表現をしていたのだろうか。さらにカタログをよく読むと、「製造は原ヘルス工業」と書かれている、まだ現存するのだ・・・

http://www.the-maira.co.jp/products/body&health/pdf/BubblestarBRAVO.pdf

 

 

kindleの使いにくさ

kindleをダウンロードしてipadで使ってますが、なんか目が疲れる。

なぜか。

 

多分、kindleが模しているページがめくれるときの紙の動きが、そうさせるのだと思う。

 

縦書きの本を画面の右側から目で文章を追い、左端まで読むと、指でページをスライドさせる。

左から右にスライドさせると、そのページが最後にスピードを上げてストンと右に完全に収まる。

 

これだとストンの動きが鋭くて、目に煩わしく、疲れる。

一旦左まで動かした視線は、ストンを追うようにまた右に戻さなくてはならない。

これもまた疲れる。

 

もしもこれが延々と横方向にスクロールする動きなら、

このストンの煩わしさがなくなるし、視線の動きもなくなる。

 

目は常に中央で文章を読むだけで良い。

無駄な動きを省けて楽になるはず。

 

アマゾンにリクエストしたけど実現するかな。

 

 

なんでも鑑定団の値段は参考にするだけのほうがよいのでは。

www.huffingtonpost.jp

 

なんでも鑑定団の価格はスゴイ価格がついても、

付けた人が買い取るわけでもなく、単なる言い値。

 

買値なのか、売値なのかもよくわからないし。

 

後日にでも、その価格で買い取られましたというニュースも寡聞にして聞かないし、あんまり騒ぎ過ぎない方がいいと思う。可能性がありますよ、くらいで。テレビのバラエティーだし。

 

むしろよく20年も続いて、各方面から文句でないなぁと不思議。

生命保険の見直しにFP協会行ってみようかな

生命保険の見直しをしたいと思っていたが、

最近ショッピングセンターなどでよく見かける

相談窓口というのもなんとなく結局

生保会社と繋がってるんじゃないのかという気持ちもあって、

利害のない第三者機関のようなものがあればいいのにと思っていた。

 

すると各地方にFP協会というものがあるらしい。

ここで無料相談もやっている見たい。

 

まあ無料の先には有料が待っているのだろうけど、

何度か行って信用できるFPを見つけるというのも良いのかもしれない。

 

はっきりと第三者機関であることを明示したFP屋の窓口が

街中にあれば、もっと相談する機会を持てそうな気がするけど

紐付きではない個人FPでは経営的に維持できないのかもしれない。

でもそういう商売に将来性はありそうに思います。

例えば元生保営業担当が副業的にとか。

 

 

文科省の天下りのあれ、すごいことでは

天下りって諸悪の根源のように思います。

 

例えばKとあの業界の超癒着とか、

製薬業界やそれの認可に関するああだこうだで、

日本は薬認可に時間がかかりすぎる話とか、

財務者が消費税上げ続けるのは、

軽減税率導入による天下り先を増やすためだとか、

そのために軽減税率欲しがってる新聞業界はお先片棒担いで

消費増税大賛成でコントロールされちゃってるとか、

入札受発注の談合の調整役とか…

 

もしかして官僚に及び腰に見えた安倍政権が狼煙を上げたのか。

あんまり戦闘力の高くなさそうな文科省を最初のターゲットにしたのか。

それにしても事務次官やっちゃうのは前例としてデカイと思います。

 

 

伊藤銀次が語る、大瀧詠一、山下達郎との出会い

 

冒頭から、伊藤銀次の所属していたココナツバンクのデビューの話が始まって、大瀧詠一山下達郎との出会いの話、結構すごい。銀次さんはしゃべりが達者なのですごい面白い。

 

師匠大瀧のプロデュースの厳しさ。山下達郎の天才ぶり。その二人の出会いを取り持った偶然の話。

 

「朝までかかるよ」という話が本当にずっと聴いていたいような話でした。

トランプ大統領就任式にサム&デイブのサム・ムーアが登場。

様々なアーティストに断られた就任式コンサートに、サムアンドデイブのサム・ムーアが参加してました。アメリカ・ザ・ビューティフルを歌いました。

 

3:35くらいから。

 

 

名もなき光

町で偶然近所の人と会った。

といっても、いくつか言葉を交わしただけ。

こちらは向こうを覚えていたけど、向こうはそうではない。

 

その人は10年近く前に、脳の病気をされた。

その頃は歩くのも不自由で、500mほど離れた場所に買い物に行くのもようやっとだった。

ひょんなことで少し会話をしただけだけど、辛い予後が伝わった。

 

元気なころにも見かけていた気がした。

溌溂とした人だった気がした。

 

しかし毎年一二度見かけるたびに、身体は良くなっているようだった。

4年ほど前には、大分歩けるようになっており、普通に外出もできるようだった。

 

その後、見かけずにいた。また悪くなってしまったのだろうか、どこか施設にでも行ったのだろうか、と思っていたら、今朝近所で見かけて、また偶然にも少し会話をした。向こうは覚えてないだろうけど、こちらはすぐに分かった。勝手に安堵した。片足を引きずる後姿を見送った。

 

どれだけ辛い哀しい毎日だったろう。今でもそうかもしれない。

夜などつぶされるような不安だろう。

家族はいるのか。

友達は助けてくれるのか。

 

コツコツとリハビリされたのだろうか。

あれは辛く長いという。

努力家なのだろうか。

 

この数日滅入るようなことばかりが続いて、明るい気持ちになれなかった。

それでもあの姿から、勝手ながら少し光を分けてもらった気がした。

 

 

 

除夜の鐘や祭りのクレーマー

あれらは、意外と宗教がらみなのではないかと思っている。

除夜の鐘は仏教のお寺だし、御神輿やお祭りは神道の神社が多い。

 

そういう既存宗教が嫌いな、宗教があるとする。

常々、他宗教の鐘の音や祭りによる音や交通規制に頭にきている。

そこで番号かくして電話で突撃する。

 

そうすると近隣の住民でなくても、動機はあるし、攻撃も可能である。

だから遠くの町の寺田の神社だのにも、

近隣住民を装って組織的に電凸してる可能性もなくはない。

 

既存の宗教は何百年かけて馴染みあってきたのだから、

今になって攻撃しあう意味はない。

だから宗教がらみだとしたら、新興系になる。

 

後発である新興系は、新たに信仰市場を開拓しなければならないので、活動は積極的だ。

それが過ぎて時にはライバルである他宗教に対し、否定的で、攻撃的であるという噂も聞く。

 

考え過ぎですかね。

中国アリババ集団とアリババ

米ヤフーが身売りし、日ヤフーと中国アリババ集団は株を持ち続けるというニュースを見た。あのヤフーが身売りとは…。

 

それにしても中国アリババ集団という言葉のインパクトはナカナカすごい。

 

アリババって盗賊だよね…開けゴマの…と思って調べてみると、アリババは盗賊から金を奪った男の名前で。ババは父親という意味なので「アリ父さん」という意味らしい。そうすると「アリパパ」とも言える。

 

そしてアリババの話は実は活躍するのは、アリババよりも女奴隷のモルジアナという登場人物の方なのだ。

 

あらすじは大体こんなこんな感じ。

 

アリババが盗賊の隠れ家から金を奪って帰ってくる。するとそれを聞きだした兄のカシムも隠れ家に行くが、盗賊に見つかり八つ裂きにされる。

 

アリババはカシムの家の女奴隷のモルジアナと相談し、カシムの遺体をつなぎ合わせて葬儀を行う。するとカシムの家や財産が自分のものになる。

 

アリババの存在に気付いた盗賊が忍び込むが、二度ともモルジアナの機転で退治し、盗賊の頭領を殺す。盗賊の莫大な財産は国民に配られ、モルジアナはアリババの甥(=カシムの息子)と結婚し、アリババ家は長く栄えた。めでたしめでたし。

 

…だそうです。wikiからまとめました。

 

アリババという言葉はよく耳にするものの、こういう物語だったんですね。むしろ女奴隷の活劇です。なんとなくアリババはご都合主義で他人任せで、楽して成功する感じですね。中国アリババ集団は・・・どうなんでしょうか。

 

ついつい物語からなにか教訓めいた物を学び取ろうとしてしまうのは、日本人的なのでしょうか。アリババの物語は、ワクワクドキドキに満ちた講談調にも思えます。文化の違いですかね。ただ活躍する女性の立場が奴隷というのは、何か意味が深いようにも思えます。お話の中だけでも、奴隷という立場を尊重し、希望を与えたのでしょうか。

 

 

 

 

ラジオからヒトリエというバンドのリトルクライベイビーという曲が聴こえてきた。

 

イントロが長めで、もしかしてインストなのかなと思うほどだった。

ギターの高速アルペジオとベースラインが凄く魅力的で、ボーカル入ってこないと良いな、と思うほどだった。

 

するとボーカルが入ってきた。ドラムはパンク調の性急なものだ。

ベースとギターの絡みはずっとカッコいいのだけど、ドラムとボーカルは今一つ好みにならなかった。

 

なんとなくどこかで聴いたことがあるような気がすると思ったのだけど、ゲスのきわみにちょっとどこか似てる気がする。

 

ベースが雄弁で、ボーカルは少し中性的で、ドラムのビートが速くて硬い。

 

調べてみると、みなボーカロイドや動画サイトの人気者のようである。

 

現代のロックのある種の典型的な形ということだろうか。

構造が面白いのだけど、パンクっぽいビートがベースにある。

中高年がずっと聴いているのはちょっとキツイ。

 

それにしてもベースのカッコよさは特筆ものだと思う。

 

 

棚下照生という漫画家

棚下照生で、たなかてるお、と読むらしい。ネットサーフィンしていて見つけた。

 

絵が色っぽい。

 

ボンカレー松山容子の旦那さんらしい。

70年末あたりからあまり描かずに十年少し前に亡くなったそうだ。

 

戦後、十代で宮崎から上京、バイトをしながら独学で漫画家へ。

酒を抱えて仕事するような無頼派であったらしい。

 

絵が色っぽくて素敵だけど、引用リンクは気が引けるのでやめます。

復刻とかあったら読んでみたい。

ゼンゼンゼンセとナイナイナイとギンギラギン

先日友人がやってきて、久しぶりにカラオケに行ったという話を聞かせてくれた。

 

若い世代と一緒だったのだが、彼らが二度歌った歌が印象的だったということだった。

それはなにかと尋ねたら、「ナントカっていうバンドの、ナントカっていう歌だよ」という。

 

それではわからないと言うと「君の名は」の歌だよ、という。

二人して「ゼンゼンゼンセか」と納得した。

そしてバンド名も正しい曲名も出てこないまま次の話題に移った。

 

今から35年ほど前の我が家ではシブがき隊がテレビに出てくるたびに、父親が「コレはあれか、ナイナイナイか? ギンギラギンか?」と尋ねてきた。

 

その境地に達したようだ。

 

 

 

あれから10年。吉田修一「悪人」、角田光代「八日目の蝉」

二つの小説はほぼ同時期に書かれた。

 

その二つには共通するものが多くある。

逃亡劇、犯罪小説、連れ合い、底辺生活、善悪、他者、真実…。

 

あの名作からもうそんなに経つのかと驚くけれど、

もう一度ページを繰ることで、この十年を振り返られるかもしれない気がする。