昔は農業など第一次産業も含めて、6-7割くらいが自営業だったらしい。
つまりそれだけの人口が「独立」していた。被雇用者ではなかった。
そしてそれは、事業所が小さいということでもあった。
その小さい事業所は、家族経営でもあるので、今の大企業グループ傘下の仕事場と比べて、家庭的であった。
今の引きこもりの人たちは、労働が苦手、お客さんが苦手、というよりも、職場の同僚との人間関係が苦手、みたいな意識が強いのではないだろうか。
小さくて家庭的な職場は、今の職場よりも、さまざまな面で柔軟であったろうと思う。
ハートネットTVで、元引きこもりの若者たちが、再び職業社会にアクセスしている様子を映している。
もしかしたら昔も同じくらいの割合の、今でいう「ひきこもり」系の若者がいたのかもしれない。
そういう人たちも、小さな家庭的な職場が数多ければ、そういうところを渡り歩いて、自分に合った場所を見つけやすかったのかもしれない。
受け皿でもあったのだ。
GHQは、戦後、資本主義社会を徹底し、税金をもれなく集めやすくするため、日本に株式会社を増やすことを徹底した。
いま自営業は1割ほどである。
もしかして、この十年ほどで引きこもり・ニートと呼ばれる現象が増えたように見えるのは、
単に行き場・受け皿が少なくなっただけかもしれない。
自分は商店街が好きでよく歩く。しかし多くの商店街はチェーン店が多いか、地方に行けばシャッター通りだ。
生き生きしてるのは都内に多い。そこにはまだ自営業、つまり小さな専門店が多い。
自分にはそういう通りのほうが面白く思える。
都内には大型ショッピングセンターやスーパーを新たに作る場所がない。
だから商店街がまだ生き残る余地がある。
そして都内に暮らす家庭は、所得が多く、ゆっくり専門店をめぐる余裕がある。経済的にも時間的にも。
地域の小売業を守る大店法がなくなって以降、町の専門店は少なくなった。
商店街が疲弊した。
若者の受け皿が減った。
それをいまさらどうしろというのではなく、もしかして大店法がなくなったということが、
若い人の生き方にも大きな影響を与えたのかもしれないと思うと、不思議な気がする。