野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

名もなき光

町で偶然近所の人と会った。

といっても、いくつか言葉を交わしただけ。

こちらは向こうを覚えていたけど、向こうはそうではない。

 

その人は10年近く前に、脳の病気をされた。

その頃は歩くのも不自由で、500mほど離れた場所に買い物に行くのもようやっとだった。

ひょんなことで少し会話をしただけだけど、辛い予後が伝わった。

 

元気なころにも見かけていた気がした。

溌溂とした人だった気がした。

 

しかし毎年一二度見かけるたびに、身体は良くなっているようだった。

4年ほど前には、大分歩けるようになっており、普通に外出もできるようだった。

 

その後、見かけずにいた。また悪くなってしまったのだろうか、どこか施設にでも行ったのだろうか、と思っていたら、今朝近所で見かけて、また偶然にも少し会話をした。向こうは覚えてないだろうけど、こちらはすぐに分かった。勝手に安堵した。片足を引きずる後姿を見送った。

 

どれだけ辛い哀しい毎日だったろう。今でもそうかもしれない。

夜などつぶされるような不安だろう。

家族はいるのか。

友達は助けてくれるのか。

 

コツコツとリハビリされたのだろうか。

あれは辛く長いという。

努力家なのだろうか。

 

この数日滅入るようなことばかりが続いて、明るい気持ちになれなかった。

それでもあの姿から、勝手ながら少し光を分けてもらった気がした。

 

 

 

除夜の鐘や祭りのクレーマー

あれらは、意外と宗教がらみなのではないかと思っている。

除夜の鐘は仏教のお寺だし、御神輿やお祭りは神道の神社が多い。

 

そういう既存宗教が嫌いな、宗教があるとする。

常々、他宗教の鐘の音や祭りによる音や交通規制に頭にきている。

そこで番号かくして電話で突撃する。

 

そうすると近隣の住民でなくても、動機はあるし、攻撃も可能である。

だから遠くの町の寺田の神社だのにも、

近隣住民を装って組織的に電凸してる可能性もなくはない。

 

既存の宗教は何百年かけて馴染みあってきたのだから、

今になって攻撃しあう意味はない。

だから宗教がらみだとしたら、新興系になる。

 

後発である新興系は、新たに信仰市場を開拓しなければならないので、活動は積極的だ。

それが過ぎて時にはライバルである他宗教に対し、否定的で、攻撃的であるという噂も聞く。

 

考え過ぎですかね。

中国アリババ集団とアリババ

米ヤフーが身売りし、日ヤフーと中国アリババ集団は株を持ち続けるというニュースを見た。あのヤフーが身売りとは…。

 

それにしても中国アリババ集団という言葉のインパクトはナカナカすごい。

 

アリババって盗賊だよね…開けゴマの…と思って調べてみると、アリババは盗賊から金を奪った男の名前で。ババは父親という意味なので「アリ父さん」という意味らしい。そうすると「アリパパ」とも言える。

 

そしてアリババの話は実は活躍するのは、アリババよりも女奴隷のモルジアナという登場人物の方なのだ。

 

あらすじは大体こんなこんな感じ。

 

アリババが盗賊の隠れ家から金を奪って帰ってくる。するとそれを聞きだした兄のカシムも隠れ家に行くが、盗賊に見つかり八つ裂きにされる。

 

アリババはカシムの家の女奴隷のモルジアナと相談し、カシムの遺体をつなぎ合わせて葬儀を行う。するとカシムの家や財産が自分のものになる。

 

アリババの存在に気付いた盗賊が忍び込むが、二度ともモルジアナの機転で退治し、盗賊の頭領を殺す。盗賊の莫大な財産は国民に配られ、モルジアナはアリババの甥(=カシムの息子)と結婚し、アリババ家は長く栄えた。めでたしめでたし。

 

…だそうです。wikiからまとめました。

 

アリババという言葉はよく耳にするものの、こういう物語だったんですね。むしろ女奴隷の活劇です。なんとなくアリババはご都合主義で他人任せで、楽して成功する感じですね。中国アリババ集団は・・・どうなんでしょうか。

 

ついつい物語からなにか教訓めいた物を学び取ろうとしてしまうのは、日本人的なのでしょうか。アリババの物語は、ワクワクドキドキに満ちた講談調にも思えます。文化の違いですかね。ただ活躍する女性の立場が奴隷というのは、何か意味が深いようにも思えます。お話の中だけでも、奴隷という立場を尊重し、希望を与えたのでしょうか。

 

 

 

 

ラジオからヒトリエというバンドのリトルクライベイビーという曲が聴こえてきた。

 

イントロが長めで、もしかしてインストなのかなと思うほどだった。

ギターの高速アルペジオとベースラインが凄く魅力的で、ボーカル入ってこないと良いな、と思うほどだった。

 

するとボーカルが入ってきた。ドラムはパンク調の性急なものだ。

ベースとギターの絡みはずっとカッコいいのだけど、ドラムとボーカルは今一つ好みにならなかった。

 

なんとなくどこかで聴いたことがあるような気がすると思ったのだけど、ゲスのきわみにちょっとどこか似てる気がする。

 

ベースが雄弁で、ボーカルは少し中性的で、ドラムのビートが速くて硬い。

 

調べてみると、みなボーカロイドや動画サイトの人気者のようである。

 

現代のロックのある種の典型的な形ということだろうか。

構造が面白いのだけど、パンクっぽいビートがベースにある。

中高年がずっと聴いているのはちょっとキツイ。

 

それにしてもベースのカッコよさは特筆ものだと思う。

 

 

棚下照生という漫画家

棚下照生で、たなかてるお、と読むらしい。ネットサーフィンしていて見つけた。

 

絵が色っぽい。

 

ボンカレー松山容子の旦那さんらしい。

70年末あたりからあまり描かずに十年少し前に亡くなったそうだ。

 

戦後、十代で宮崎から上京、バイトをしながら独学で漫画家へ。

酒を抱えて仕事するような無頼派であったらしい。

 

絵が色っぽくて素敵だけど、引用リンクは気が引けるのでやめます。

復刻とかあったら読んでみたい。

ゼンゼンゼンセとナイナイナイとギンギラギン

先日友人がやってきて、久しぶりにカラオケに行ったという話を聞かせてくれた。

 

若い世代と一緒だったのだが、彼らが二度歌った歌が印象的だったということだった。

それはなにかと尋ねたら、「ナントカっていうバンドの、ナントカっていう歌だよ」という。

 

それではわからないと言うと「君の名は」の歌だよ、という。

二人して「ゼンゼンゼンセか」と納得した。

そしてバンド名も正しい曲名も出てこないまま次の話題に移った。

 

今から35年ほど前の我が家ではシブがき隊がテレビに出てくるたびに、父親が「コレはあれか、ナイナイナイか? ギンギラギンか?」と尋ねてきた。

 

その境地に達したようだ。

 

 

 

あれから10年。吉田修一「悪人」、角田光代「八日目の蝉」

二つの小説はほぼ同時期に書かれた。

 

その二つには共通するものが多くある。

逃亡劇、犯罪小説、連れ合い、底辺生活、善悪、他者、真実…。

 

あの名作からもうそんなに経つのかと驚くけれど、

もう一度ページを繰ることで、この十年を振り返られるかもしれない気がする。

中年男冷え性安眠術

男40を越えて冬の夜だけ冷え性となった。

よって、タイツを履いた上にジャージを履いてねる。

それでも寒い。つらい。眠れない。

 

暮らしている部屋が古いアパートをチョコチョコ改装しただけのばしょなので、とにかく寒い。

ビニールプチプチで窓からの冷温を遮断してもなんか寒い。

環境と体質変化でなんか寒々しい中で寝ていると眠りも浅く、疲れも取れない。

 

特につらいのは足の甲。

靴下を履いても、なぜか足の裏は熱い。

だから脱いでしまう。

毛布を掛けていても、足裏が熱いので蹴ってしまう。

 

すると足の甲がピエピエと冷たい。

そもそも下半身全体が寒いのではないかと考え、なにか対策はないかと街へ出た。

 

ユニクロに入ってみる。

すると裏がボアになったスウェットパンツを売っている。

これを買う。

 

IYに行ってみる。

紳士物の靴下売り場に、やはり裏がボアになったデカい靴下が売っている。

サンタさんがプレゼントを入れる奴みたいにデカい。

これを買う。

 

タイツ・ジャージ・薄い靴下の上に、新兵二枚を重ねて装着してみよう…。

 

寝る前に履く。

寝る。

朝起きる。

爽快!

 

なんとなく夜中寒さを感じ、トイレに行くこともない!

下半身全体を温めたせいか、足裏と足の甲のギャップもない!

毎晩、毛布を履いているように温かい!

グッスリ眠られる!

 

実は「履く毛布」というものがないだろうかと探してみたが、思った通りのものはなかったので、このようになった。

 

このセットを履いていると、もう毛布がいらない。

履いてしまっているので、毛布を蹴飛ばして寒い思いをすることもない。

暖かいので暖房器具の設定温度も低めでOK。

 

部屋温度を上げ過ぎたり、冷たい部分だけを温めるよりも、着こむことで体全体を温めた方が、冷え性にはいいのでしょうか。よくわかりませんが、今のところ快調な冬の夜です。

五七五と四拍子と余韻

なんで日本の詩歌は五七なんでしょうか。

 

五音と七音の奇数のリズムに意味があるのだろう、と学生のころぼんやり思っていたのですが、手拍子して数えてみると、四拍子で数えられます。

 

すると初めの五のあとに三音分(ウラオモテウラ)、七の後に一音分(ウラ拍)、間が空きます。

 

だから実際には八音八音と続くので、五か七かはそんなに関係ないのかもしれません。むしろ余白の感覚が変わってくることに違和感があるのかもしれませんね。

 

またそのリズム感がぶつ切りに終わる最後の五の後の余韻が深く、やや唐突でもあり、ここの意味が重要な気もします。

 

もう少し考えると、最初の五(序)で示された言葉を理解するためのその後の長めの余韻、そして展開させる七(破)の後、あまり間髪を空けずに最後の五で締める(急)、という間の使いかたのようにも思います。

 

そしてその終わりは突然であり、またその分余韻が深くなると。

年賀状を送り続ける非礼

もう何年も付き合いがない間柄。

こちらからは数年前から欠礼しているのだから、そろそろ察してほしい。

 

パソコンのデータに住所があるからと言って、

惰性で出し続ける挨拶状というのも、如何なものか。

無神経に思える。

 

受話器を取らないと何十回でもコールし続ける非礼に通じる気がする。

相手の意向は丸々頭にないのだろうか。

 

学研の科学(と学習)の読み物特集号

30年以上前に学研の科学を取っていた。

近所のおばちゃんが持ってきてくれるアレ。

 

なんか独特の誌面だったきがするけど、当然、現物が手元にない。

好きだったのは、付録と、読み物。

 

夏休みとかは別冊で子供向けのお話読本みたいなものがついていた気がする。

内容はほとんど覚えていない。

でも読み返してみたい。

 

 学研さんに、昔の読み物を再編集して発行してもらいたいくらい。

 

そう思っていたら、国会図書館にあるらしい。

学研の読み物特集号(読み特) | 調べ方案内 | 国立国会図書館

全ての発行物を保存しているのだからそうだろうなぁ。

 

疲れていると、昔のことばかり考えてしまう。

もう疲れた。

 

 

霞が関は国民を幸福にしたくないのか。

政治家というのは、選挙で当落があるので、基本サービス業です。

そのためには、景気を良くしたい。

景気が良くなる政策を上げていかないと、選挙に落ちかねない。

だから景気を良くしたい。

 

しかしお役人は違う。

別に景気が悪くても、問題がない。

クビにもならない。

給料も減らない。

 

むしろ民間・世間の景気が良い方が面白くない。

バブル時代は涙をのんだ。

民間は馬鹿みたいに給料上がる。

しかし自分たちは給料固定されている。

景気が良くなれば、自分たちは民間に馬鹿にされる。

 

だから役人は、民間の景気が悪い方がいい。

自分たちには、首にならないという立場や、景気に左右されない給料が保障されている。

それならむしろ世間の景気が悪くなった方が、相対的に自分たちの立場は上になる。

 

民間は景気が悪くなれば必死になる。

そこに軽減税率で役所と民間の接点を作れば、自ずと天下り先が増える。

だから消費税を上げたい。

上げて世間を苦しませておいて、あまい軽減税率をぶら下げたい。

そうすれば天下り先で甘い汁を吸い放題になる。

 

マスコミの情報源になってあげれば、都合の悪い話はもみ消してくれる。

新聞は軽減税率の対象にしてあげるよという顔をすれば、自ら消費税アップは致し方ない、軽減税率導入が正しい道だと、太鼓持ちしてくれる。

 

国の借金が増えますよと言えば、マスコミがそれを広めてくれる。

借金があるなら仕方ないと、国民は増税を呑む。

 

しかしその借金は本当にあるのかどうかわからない。

自分たちで計算して積み上げて見せているからごまかしようがある。

昨年初頭に、そのあたりを突っ込まれて兆単位で数字が変わった。

 

景気が良くなれば税収が上がる。

税収が上がれば、借金が減る。

借金は問題ありませんとすると、今後増税しにくくなるので、景気が良くなるのは困る。

これまで使っていた手が使えなくなるから。

 

そういった複数の事情で、むしろ霞が関は景気良くなっては困る。

景気が悪くなるのを望んでいる。

 

だからアベノミクスの一本目の矢で、金融緩和が起こり、景気が上向きになりかけたところで、消費税をぶち込んできた。

 

民主党時代に決まっていたからというが、

安倍さんがストップをかけることはできたはずだ。

しかし安倍さんは、何らかの事情で霞が関の意向を呑んだのだろう。

最初の政権で痛い目に合わされたのかもしれない。

 

今後も何かあれば、経済成長を妨げるように仕向けるだろう。

国民の敵は政治家でもない。霞が関なのだ。