「田中くん、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている、 二十一世紀とは、どんな世の中でしょう。」
これは平成元年に、当時の小学校六年生に向けて書かれた。
とするとその六年生たちは今42歳だろうか。
氷河期後期世代くらいか。
今のインターネットの世界は余りに負のエネルギーに満ちすぎていないか。
「田中くん、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている、 二十一世紀とは、どんな世の中でしょう。」
これは平成元年に、当時の小学校六年生に向けて書かれた。
とするとその六年生たちは今42歳だろうか。
氷河期後期世代くらいか。
今のインターネットの世界は余りに負のエネルギーに満ちすぎていないか。
五年ほど前、近所に買取専門の古本屋が開店した。
小規模スーパー跡の路面テナントに現れた。
なぜ買取専門かと思っていたが、販売はアマゾンの上だけらしい。
店頭販売に手をかけるよりも、アマゾン通販に絞った方が効率よいのだろう。
たまった本を少し持っていくと、PCの「アマゾンなんとか」というソフトでバーコードを読み取って、画面で何かの情報を見ている。
値付けのための参考価格だろうか。
そんなソフトが出回っているということは、こういう商売が一定に存在しているのか。
それともオリジナルのソフトか。
段ボール一杯で数千円になった。
ブックオフよりもかなり良い額だろう。
ちょっと変わった専門書が数冊あったのだが、その評価額が高かったようだ。
普通は避けられるだろう専門書のほうが、むしろ高値がつくのかもしれない。
また是非持ってきてください、と言われた。
せどりというものを商売として表立ってやっているのだろう。
50代くらいの夫婦が交代で店番している。
これはありがたいと思った。
売りたい本がたまっていたが、ブックオフは買取が安すぎる。
私設図書館に寄贈もしたが、なんとなく手ごたえがない。
時折、整理をしては運んでいた。
後、三箱分くらい出したら終わり、と思った先日、突然の閉店をしていた。残念無念。
新刊本を扱うチェーンの本屋が古本買取をやっているという話を聞いて持ち込んだが、ブックオフと大して変わらない。
グーグルで検索しても、近隣に代わりになりそうな店はない。
そして、あのアマゾン何とかというソフトについても情報はない。
買い取り専門店の一時的なブームでもあったのか。
いまもグーグルマップにはあの店の画像が載っているのだが、
なんだが不思議な気分でもある。
犬を看取って、忘れていたこと。
毛を取っておけば良かった。
ブラシについていたわずかな毛がせめてものひとつまみ。
生きていたんだよという証拠になったのに。
メンフィスのアメリカンスタジオでギターを弾いていたセッションギタリストのレジーヤング。御年81歳。初のソロアルバム。7曲入り。
視聴はここから
これはインタビューの様子
なかなか良い演奏動画がない。
高密度に発展したアレンジの音楽に飽和した耳には、新鮮なほどシンプル。
レトロをわざと狙った風でもなく、ただ弾いてきたように弾きましたという感じ。
カントリーっぽい複音プレイがメインで、ゆるめの歌心満載。
着流しを着て三味線を弾くような風情。
バックの演奏もよい。
七曲しか入っていないのもよい。
結果、その素朴さが何かのメッセージにも思える。
この世代のミュージシャンが完全引退目前に何かを届けてくれたような
そんな一枚。
愛犬が死んだ。
朝起きて、おむつの具合を見ようと思って近づくと、
まるできれいなバンビみたいな寝姿に見惚れた。
こんなに歳をとったのに、なんてきれいな顔と体つきだろう。
行儀のよい寝方もかわいい。
しかし触ると動かなかった。
あまりに健やかな寝顔は、死んでいるとは思えなかった。
眠るように逝ったのだろうか。
家族と泣いて悲しんだ。
昨日はエコー検査のために少し遠い動物病院に行った。
そこでの結果から、もうすこし頑張れるね、と話したばかりだった。
治療の仕方がまだありそうだった。
もう少し、この犬の面倒を見れることに幸せを感じていたのに。
検査から帰って疲れた様子もなく、元気だった。
ただ夕食時、いつもよりこちらに近づきたい様子だった。
皆のそばにいたかったのかもしれない。
いつも通り、夜中に起きて欲しがる水を飲ませて寝付かせた。
腹ばいだと息苦しいようなので、
横にしてポンポンと体をさするとすっと静かにおとなしくなった。
少し寒いように思えたのでタオルをかけた。
それが最後だった。
もう人間なら90代くらい。
いわば寿命、老衰と思いたい。
*
さいごまでわがままを言わず、静かに耐えて一人で旅立っていった。
無駄吠えもなく、だれとでも仲良くできて、賢くきれいでお茶目な最高の犬だった。
双子の妹はブリーダーに残され、コンクールの入賞犬になったという。
焼き場に運び、かわいがってくれた近所のおばさんと共に、お別れした。
棺に好物とさくら草をいっぱい入れてあげた。
*
犬を飼っていて、年を経て、
脚も立たず、目も耳も鼻もダメで、おむつをするなんていう状態になったら、
もう絶望だろう、と思っていた。
しかしそうではないよ、と思い始めていたところだった。
そういう状態でも愛犬はかわいいし、抱き上げると昔に戻ったような顔をした。
抱えて、外の排水溝におしっこをさせるのも、骨折りどころか楽しみだった。
上手にできればこちらもうれしいし、犬も気分よさそうだった。時折は笑顔になった。
こういう状態にならないのが一番良いのだけれど、
こういう状態でも幸せだと思えはじめていた。
生きてるだけでかわいい。
生きてるだけでいい。
このままずっと続くといい。
もっと面倒を見てあげたい。もっともっと面倒を見たい。
だからペットを飼っていて、老化や介護が怖いと感じる人も
そう心配しなくていいよ、それでもずっとかわいいよ、と伝えたい。
それをあの犬が教えてくれた。
絶望のようで、そうでもない。
それでもなんとなく幸せな日常は続いていくのだ。
*
ペットを飼えば、幸せになれる。
確かにかわいいから、その通り。
でも世話はあるし、なにせ亡くなると悲しい。
しかしそれは仕方がないこと。
幸せの外注というか、ドーピングをしたのだから、反動やツケの払いは巡ってくる。
だけどいいのだ。
それに耐えられれば。
だから耐えないといけない。
この苦しさは、それだけあの子がかわいかったということ。
それだけ僕らは幸せだったということ。
だからこそ逃げずに、一旦受け止めなきゃいけない。
静かに戻っていけばいい。
ポリコレ的な話で、あまりやりすぎるとつまらない世の中になる、という。
確かにそうだと思う。
笑いは逸脱してた方が刺激的だ。
攻撃的なブラックユーモアというのも人間の中にはある。
でももう成熟すべき時が来たということだと思う。
だれかをからかったり傷つけたりすることが、刺激的なコンテンツだった時代は終わりだ。
70年代から、建前より本音の時代へ移行してきて、80年代以降極まった。
が、また建前の時代にもどるのだ。
それは大人の世界だ。
大人の世界はつまらない。
つまらないけど重要なことだ。
それを受け入れるのが成熟だ。
昨年からちょっと面白いアイデアだなという思いつきをスケッチして、説明文をつけたりして遊んでいた。
仮に権利が取れたらお金になるのだろうかとウキウキで調べたら、そんな簡単なものじゃないらしい。
特許だと申請するだけで何だかんだ20万円近くかかるようで、登録まで行けばさらに10万。しかし審査は大変厳しく素人申請ではほぼ無理。ということで弁理士さんに頼むと申請で十万、登録まで行けば十万が最低ライン。さらに審査が一度で通る事は滅多になく、再審査にかければ、回数かけること審査料数万円。
ザッと50〜60万以上はかかる。登録まで行かなければ、それまでの費用も努力も全てパー。登録されれば、年間登録維持費が年数万円。しかも商品化されずに、登録費用の回収もできずに終わる特許は沢山あるという(というかそれがほとんどみたい)。それでは個人じゃまず無理な世界。一か八かのギャンブル性も高いし。
大きな企業のハイテク新案と違って個人が考えるようなローテク新案は、審査内容もシンプルだと思うので審査料もう少しやすくしてほしいなぁ。
確かに審査はすごく大変そうだから費用はかかると思う。しかし費用と厳しさでふるいにかける面もありそう。
でもそうすると、ハードルの高さから権利化を諦めた個人発の小さなアイデアが溢れないか。それがいつの間にか国内外の大きなところに、権利を持って行かれたりしないのだろうか。
もう少し手軽な実用新案は取得にあまり旨味がないらしい。いい塩梅で上手いこと権利化できる仕組みはできないだろうか。
こういうスキマが上手く埋まって、素人でも楽しいアイデア生活ができると面白いと思うのだけど。