自分は競争社会の負け犬なの。
ちょっと前の言い方だと負け組ね。
最近だとキモ金ね。
この競争社会って、女性から見た男社会とほぼ同義だと思う。
男にも権力持った上級男性と下級がいる。
男社会を牛耳ってるのは上の方なの。
下の方は、何にも無いの。
でもなんか怒られんのは俺たちなの。
好き勝手してる上の方は責められもせず、
むしろチヤホヤされたりしてんの。
これなら10年先も変わらんだろね。
怒りは上に届いてないよ。
それでも良いなら続けようよ。
自分は競争社会の負け犬なの。
ちょっと前の言い方だと負け組ね。
最近だとキモ金ね。
この競争社会って、女性から見た男社会とほぼ同義だと思う。
男にも権力持った上級男性と下級がいる。
男社会を牛耳ってるのは上の方なの。
下の方は、何にも無いの。
でもなんか怒られんのは俺たちなの。
好き勝手してる上の方は責められもせず、
むしろチヤホヤされたりしてんの。
これなら10年先も変わらんだろね。
怒りは上に届いてないよ。
それでも良いなら続けようよ。
の一つは、パスワードじゃないだろうか。
*
確定申告の必要性から、高齢の近親者のマイナンバーカードを申請している。
そしたらなんとパスワードが最低二種類以上必要だという。
しかも片方は英数混合で6文字以上。
もう一つは四桁の数字。
高齢者が覚えられるわけねーだろ。
12歳からずうっと好きだけど。35年間。
このまま死ぬのだろうか。
いやポールサイモンを好きな人はたくさんいるけど、皆、表に出さないタイプなのだろう。
そこが良い。
そしてよく考えると仮に好きだという人と出会っても、特に会話は弾まなそうだ。
そこが良い。
図書館に行ったらキャロル・キングの自伝があった。
分厚いけどなんとなく借りてきた。
おもしろい。
*
キャロル・キングの特にファンというわけではない。
ライブ・アルバムを持っていて、つづれ織りという有名なアルバムは友達に借りて聴いた。どちらも大好きというほどでもなく、いい曲もあるねくらいだった。
*
なんとなく読んでいると、実に面白い本だ。すらすら入ってくる。
文章がうまいのか、翻訳が上手なのか、両方か。
もしかして補佐のライターでもいたのかなんて失礼なことを思うほど。
冒頭の現在のコンサート開始前の内幕の面白さに惹きつけられ、
時代をさかのぼり産まれてからの話になる。
特にファンではないせいか、初めて知った話ばかり。
以下ネタバレ多し。
*
父親は消防士。母親も働いていた。
ポーランド系移民の二代目で元演劇指向だった両親の下で育つが
障害のある弟とは離れて暮らす。
両親はくっついたり離れたり、少し複雑な境遇。
年上の同級生たちの中で
少し孤独を感じながら過ごした学生時代。
R&RとR&Bが沢山かかるアラン・フリードのラジオが大好きだった。
本人も演劇を目指したが挫折。
こちらも大好きだった音楽で芽を出す。
*
15歳で音楽出版社に持ち込みを開始。
二軒目でレコード化に成功。
大学に進むが、ジェリー・ゴフィンと出会い、意気投合。
10代で結婚、二人の子持ちとなり職業作曲家兼主婦となる。
以降も若いのにすごいことばかりが起きて、ジェットコースターのような人生。
これ以上は本を読んでください。
音楽を知ら無くても、アメリカの青春小説のような趣もあり、
60年代を舞台にした才能ある少女の冒険譚のようでもある。
いい加減なものも多いミュージシャンのこの手の本としては名作なのではないか。
*
キャロル・キングはなんとなく大人向けのウェルメイドミュージックという印象だったけど、本人もそもそも表に立つシンガーになろうという気持ちは微塵もなかったらしいくらい、穏やかで謙虚な人柄のよう。
どちらかというと、主婦であり、母親でありたいという当時の一般的な女性像に近いと思う。
夫のジェリーが、60年代のフラワームーブメントに浮つき始めても、まずは家庭人であろうとした彼女(20歳そこそこなのに!)は、ディランやビートルズの音楽性には関心を持っても、「精神の解放」のような大仰なスローガンには無関心だった。大人ですね。それでいて職人気質の職業人でもあるという真面目な両面性もまた魅力だ。
そしてさらになぜかスーパースターの方向に転がって行ってしまうキャロル。
ヒッピーブームがすこし落ち着いた70年代に、この人の個人に光が当たり始めるというのも象徴的な話。
読んだのはまだここまで。
*
キャロルの歌で一番好きな曲はこれ イベンチュアリー
昔買ったライブアルバムはこれだった。1971カーネギーホール。
*
他人の人生を読むというのは面白い。
お気に入りのブログを読むのもどこか似ている。
中学生のころ学校の方針で「家庭学習帳」というノートで、帰宅後の勉強をした。
普段は全くしないけど、テスト前になると勉強した。
沢山ノートを使うと、沢山勉強したということで、
先生がそういう生徒をなんとなくほめたりした。
逆にあんまりノートを使わない勉強は、あまりやらなくなった。
つまりじっくり教科書を読むという基礎中の基礎は、
どれだけやってもノートに残らない。
だからそれはやらなくなりがちだ。
でも勉強においてじっくり元の本を読むというのは、一番重要なことだ。
それを抜きにするとやっぱり伸び悩んだりする。
*
生きている中で、沢山何かについて考えるということは素晴らしいことだと思う。
しかしそれはいいねもつかず、ノートも増えず、誰からも見えず、己すら忘れている。
それぐらい一見無意味なことではあるが、それが人の肚を練熟させると思う。
沢山考えたんだろうな、という人は信用できると思う。
十二月にクイーンの思い出を書いたのだけど、
丁度一月後に劇場で見ました。
前半はちょっとご都合演出という感じもあったけど、
ライブシーンは最高にかっこいい。
とくに最後のウェンブリーのライブエイドは最高。
やっぱり音楽の力が強かったのだろうと再確認。
クイーンというのは、フレディのキャラクターがちょっとマンガ的でもあるので、
なんとなくコミカルに見えなくもない。
それでも、圧倒的な音楽で最後は感動してしまうという二重構造があって、
それで感動もより深く、存在感も強かったのだと思う。
***
そして調べていて後から気づいたのだけど、ボヘミアンラプソディーをシングルカットすることに大反対したEMIの重役レイ・フォスター役をやっているのは、コメディアンのマイク・マイヤーズ。
この人は90年代半ばに「ウェインズ・ワールド」というロック系コメディ映画を脚本・主演で大ヒットさせた人。実はこの映画で挿入歌としてボヘミアンラプソディが使われており、フレディ亡き後にあの曲のリバイバルにひと役買った人。それが今回の映画では「ボラプ(劇中でロジャーが発音)」の邪魔をするという逆展開。洒落た配役ですね!
(↓の映像の黒いシャツとキャップの人)
ちなみにウェインズワールドは地下でケーブルテレビの音楽番組を製作放送していた二人組が、大手テレビ局に引き抜かれるという、昔のyoutuber夢物語的なお話でした。
80年代の終わりくらいに、クロスビートという音楽雑誌が創刊されて、好きで読んでた。
その雑誌にはCMJチャートという、アメリカの大学でのラジオの人気曲をチャート化したと物が載っていた。
カレッジチャートとも呼ばれていて、ビルボードの売れ線チャートとは違って、
各地の地元インディーバンドや、シンプルで普段着のロックバンドがよく受けていた。
カレッジロックとも言われた。
メインストリームの音楽と違う傍流の音楽。
後のオルタナティブロックの走りだと思う。
たとえばREMなんかはカレッジチャートから生まれたスターだったし、
他にもリプレイスメンツやグリーン・オン・レッドなどが代表的なバンドだった。ペイズリーアンダーグラウンドというのも、その中の一派だったように覚えてる。
CMJをにぎわせたグループのひとつがザ・スミザリーンズで、自分も結構気に入っていた。
親しみやすいメロディでビートルズ系のシンプルなアレンジ。
パワーポップの原型みたいなバンドだった。
ルックスは完全なオジサン四人組で、
ボーカルはでかくて禿げててひげ面だった。
みんなライダースの革ジャンを着ていてなんか面白かった。
カリスマ性はないけど、実力派というイメージ。
「グリーン・ソウツ」「イレブン」というアルバム辺りはちょっと注目されたけど、
ブレイクしきれずトーンダウン。
でもずっとバンドを続けていた。
初期のアルバムはニルバナのカート・コバーンも気に入っていたらしい。
しかし昨年の今頃、ボーカルでメインソングライターの
パット・ディニジオが亡くなっていたという。
近年の写真では、かなり身体が膨れていて病的にも見えていた。
しばらくずっとけがで右手が動かず、ツアーもキャンセルされていた。
同じニュージャージー出身のジョン・ボン・ジョヴィは彼の死を
「悲劇的」と悼んだ。
誰も思い出さないかもしれないけど、才人だったと思う。
知的で頼もしい雰囲気のある人に見えた。
なんだか寂しい。
今年の四月、彼のふるさとのニュージャージー・スコットプレインズの通りの一つが、
彼をしのんで「パット・ディニジオ通り」と名づけられた。
地元で愛されていたのかなと思う。
今聴いても楽しい曲をいくつかどうぞ。
与党も野党も緊縮財政では、実体経済が上向くことはないでしょう。
特に日本のリベラルは「稼げるリベラル」と目指すべきだと思う。
もっと言うと「もっと稼いで、もっと分配するリベラル」。
どんどん景気を回復させる手段を訴えて、
その再分配を公正にどんどん行う。
そういうのが現代が求めるリベラルではないか。
いやいやこれは本来与党のやるべき本来の自然経済か。
よくわからなくなってしまうけど、
与党の政策がなぜか悪い社会主義みたいになってきているのだから
ひっくり返って野党は、上記のようなポピュリズムでやってみたらよいのにと思う。
もう右・左の分断ではなくて、上・下の分断になっている。
であれば、保守も革新もない。
少数の上流のための経済か、否、多数の(相対的に)下を持ち上げる経済か、
という対立軸だと思う。
↑こんなニュースになっているけど、実質賃金は下がっている。↓
経済が上と下で分離して、二重経済になっているのは明白だ。
一つの国に二つの経済。
来年はこの辺りにどんな風にアプローチするのだろうかと思う。
ある人から封筒を預かって、これを郵便局でエアメールで出してほしいと頼まれた。
数百円はかかるだろうなぁと局に持っていくと、なんとスイスまで110円。
びっくりした。
1986年に中二だった自分は、その年初めてクイーンの音楽を聴いた。
カッコよいと思ってベストアルバムを手に入れて繰り返し聴いた。
そのベストアルバムの曲はそのころすでに十年以上前の曲も多かったのだが、
全く古く聞こえなかった。
これは今も同じだ。現行盤はきっとリマスターを繰り返してもいるのだろうけど、
クイーンは古さを感じにくいと思う。
なんでだろう。
洋楽好きの友達に貸したら、ボヘミアンラプソディーのオペラパートを聴いて、
なにこれへんなの、という反応で悲しかった。
リアルタイムのオリジナルアルバムでいうと、
カインドオブマジックの後、ライブマジックというライブ盤が出た頃だと思う。
その年はすでにクイーンは活動休止状態だったので、
巷ではあまり存在感はなかった。
少なくとも日本では特に話題になることもなかったはず。
その後、復帰し三枚のアルバムを発売したが、
内容も話題性もかつての黄金期(これも体験していないけど)には
ほど遠い感触だったと思う。
ただフレディがどうも重い病気だということが少し伝わったくらいだろうか。
1991年のフレディの死も日本では、音楽ファンが話題にしたくらいだった。
マイケルの死からしたら、何十分の一というところだろう。
こんなことを比べるのは不謹慎かもしれないけど。
その後、二十年ほど経って、やたらとCMやドラマなどで彼らの音楽を耳にするようになった。やはり普遍的な魅力が強いのだろう。時代を超えてフレディの声は届いている。
***
追記 一月後に劇場で映画を見ました。