野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

『植木等的音楽』がリマスター

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大瀧詠一プロデュースの植木等のアルバムが再発されるという。

そういえば、このコンビでちびまる子ちゃんのエンディングをやっていた。

その「針切りじいさんのロックンロール」も収録されている。

 

これはフィフティーズのカバーのようです。

意外にもオープニングは打ち込み風シンセのベースとイントロメロディで始まる。

コーラス部分には大瀧御大自らの声が聞こえる。

 

youtu.be

 

思えば大瀧詠一も、さくらももこも、植木等もみんな鬼籍に入ってしまった。

「走れ正直者」の西城秀樹もそうだ。

 

当時は昭和レトロがテーマのちびまる子ちゃんを、平成キッズが楽しんでいたのだけど、もう今年、その平成も終わる。

 

 

もう一度建前社会に

近年のネット、メディアでの様々な炎上事件、舌禍事件を見ていると、

もう一度建前社会に戻ればいいのだと思う。

 

昔のテレビやマスコミは今より形式ばっていて、

建前的な表現が多かったが、その分まだ上品だった。

 

80年代以降は、それまで人前で慎んでいたような批判や毒舌を大声で話し、

楽屋話を表に出し、お約束を壊し、形式を越え、建前を駆逐した。

見ているこちらにも一種の快感はあったと思う。

 

40年近く経って、もう一度建前の社会に戻ればよいのかもしれない。

建前と本音を再度分ければよいのだ。

 

それはちょっと窮屈かもしれないけど、もしかしたら成熟かもしれない。

その先はどんな価値観の世界なのか見たいとも思う。

 

*

 

またちょっと別の話。

note.mu

 

このノートを読むと、たしかにその通りだけど、

いまだに他人を嗤うという行為はいまだに世の中にある。

愚かな行為や、劣等な特徴を表立ってあげつらうのは、

マナー違反、人格を疑われるような行為だという時代が来ると思う。

 

上のブログの中で紹介されているCHAIというグループの姿勢を見ると、

こういう人たちが今後の価値観を変えていくのかなと思う。

news.livedoor.com

 

例えばそういう揶揄する言葉も、放送禁止用語みたいに

音や伏字で消される日が来るのかもしれない。

 

しかし一方で、人間というのはポジションでものを考えてしまう。

片方でこの言葉には気を付けようと思いつつ、別の言葉には無関心かもしれない。

はてブではこの数日この文章が話題だ。

anond.hatelabo.jp

現在、他人の容姿を嗤ってはいけないと思う人も、

「性的弱者、恋愛弱者、KKO、精神に問題をかかえた人達」

については煽っていいと思っているのかもしれない。

 

*

 

特徴の優劣で人間を区別するというのは、人のもつ動物に近い本能なのかもしれない。

幼児からして行うことだ。しかしそれは弱さからの欲望だ。

理性が本能に負けてしまっている状態だ。

でもそれを克服していくというのは成熟の機会だと思う。

 

他人の属性や外側での判断、評価を禁じれば、中身を見るしかない。

するとその中身とは何だろうという段階が訪れるだろう。

初めて我々は大人になるのかもしれない。

それは何年後だろう。

 

 

秋竜山:今なお現役でブロガー。昭和のナンセンスマンガ

blog.goo.ne.jp

 

50代くらいの人は覚えているでしょう、この絵柄。

70年代くらいに活躍したナンセンスマンガ家の秋竜山さん。

いまでもブログを更新しながらマンガを描かれているようです。

すばらしい。

中年地獄:お腹が減らない地獄

40過ぎたらお腹が減らない。

けっこうこれは多くの中年の実感ではないか。

 

「いやー、30過ぎると脂っこいものがダメでねー」

なんて話を聞くと、マイナス方面の大人になりっこ競争という感じで

ほんとかよ、と冷めていた。

 

しかし40過ぎると本当にそうなった。

自分は相当の大食漢だったのだが…。

 

まずお腹が減らないので、何がダメとかじゃない。

食事いらない、何を食べるとか考えたくもない、となる。

 

それでも昼休憩だの、夜ご飯だのの時間はやってくる。

その時間に済ませないと、小腹が減ってきたときは

中途半端なタイミングになってしまう。

 

*

 

昔すきだった唐揚げやとんかつなど揚げ物もいらない。

一口目は美味しいかもしれないが、最後には飽きてるしもたれてる。

ラーメンも麺が多すぎる。

 

外で食事しないといけないときは、

焼き魚定食みたいのでよいと思っても、そんなのを出していた

個人の定食屋さんみたいなものは町からなくなってしまった。

そば屋さんすらなかなか見かけない。

 

駅前を見渡せば、牛丼屋、ラーメン屋、ハンバーガーショップ

しょうがないからコンビニおにぎりひとつを

車で済ませたりする営業の人も多かろうと思う。

ああ、お腹がちょうどよく減っていたころが懐かしい。

 

スティングの娘

youtu.be

 

スティングの娘さんて歌手なんだそうです。

初めて知りました。

 

顔だちも似てますが、なんと声もよく似てる。

女声にしては声が低いので、男声ボーカルにも聞こえます。

スティングほどハスキーではないですけど。

 

キリっとしてカッコいい見た目ですが、音楽もシンプルでシャープですね。

上の曲もそうですが、下の曲もポリスというよりも、80年代のU2みたいです。

youtu.be

 

 

マイナンバーカード/e-taxで納税ツライ&納税デキナイ

マイナンバーカードは最大パスワード四つ必要だけど、

e-taxで納税しようとすると利用者識別番号を作ってさらにパスワードが必要になる。

こんなに番号だらけじゃ、普及するわけないよ。

 

UIも分かりやすいわけでもないので、頭に?マークが浮いたり消えたりします。

 

それでも頑張ろうと何度も行きつ戻りつ、やり直しながら

(やり直しはブラウザの”戻る”でスムーズにできる)

何とか申請を完了させて、いざ支払おうとすると、

自分が使っているネット銀行の名前がない。

 

e-taxの問い合わせ番号に電話すると長い時間をかけての回答は、

振込用の画面はイーガブというセンターのホームページにすでに遷移しているので、

そちらに問い合わせて欲しいという。

 

イーガブの問い合わせに電話してこれまでの話をすると

その銀行は取り扱っていないという。

どうしたらよいかと聞くと、e-taxに聴いてほしいという。

 

再度e-taxに電話すると、やはりその銀行は取り扱っていないので、

税務署に行って払ってくれという。

 

これじゃe-taxの意味ないですよ、というと、そうですねー、という。

コンビニ支払いに変更してほしいというと、あーそれもありますよね…と

5分ほど調べてくれて、e-taxとはまた別の国税庁のホームページから手続きしてほしい…ということになった。

イマココ。

 

その申込ページもだいぶ時間がかかりそうなので、

明日税務署に直接払いに行こうと思う。

悲しい。

 

さよならノンフライ麺

カップラーメンはノンフライ麺が好きだ。

かつてのノンフライめんはつるつるプリプリしこしこであった。

しかし最近のノンフライ麺はよくあるタイプの油揚げ麺とさして違いがない。

 

あの透明感のある、キリっとしたノンフライ麺。

たしかに吸水が悪く、なかなか柔らかくほぐれない。

でもあれを鍋で煮るとふっくらして、プリプリのおいしい麺になったのだ。

カップラーメンの意味がないけど。

 

エースコックのわかめラーメンも、いつのまにか油揚げ麺になっていた。

出会いは幼少のころのコーンラーメンだった。

さっぱりしたノンフライ麺は、塩味のスープによくあった。

もう会うことはないだろうか。

 

自分は競争社会の負け犬なの。

ちょっと前の言い方だと負け組ね。

最近だとキモ金ね。

 

この競争社会って、女性から見た男社会とほぼ同義だと思う。

 

男にも権力持った上級男性と下級がいる。

男社会を牛耳ってるのは上の方なの。

下の方は、何にも無いの。

 

でもなんか怒られんのは俺たちなの。

好き勝手してる上の方は責められもせず、

むしろチヤホヤされたりしてんの。

 

これなら10年先も変わらんだろね。

怒りは上に届いてないよ。

それでも良いなら続けようよ。

面白い人

目の前に起こる具体的な出来事、モノ、人について話をすることは誰でもできる。

 

でもそこから何かしらの意味を取り出し、普遍化できる人は少なくなると思う。

 

抽象思考できる人は頭がいいし、話を聞いていても面白い。

カネにならない風習は忘れられる。ヒイラギといわしの頭

関東ではほとんど知られていなかったはずの恵方巻がやたらと広まったのは商業ベースだからだと思う。

 

その反面、いわしの頭を柊の葉にさして玄関に飾るというのは、商売になりにくいので廃れてしまった。

 

 

マイナンバーカードが広がらない理由

の一つは、パスワードじゃないだろうか。

 

*

 

確定申告の必要性から、高齢の近親者のマイナンバーカードを申請している。

そしたらなんとパスワードが最低二種類以上必要だという。

しかも片方は英数混合で6文字以上。

もう一つは四桁の数字。

 

高齢者が覚えられるわけねーだろ。

 

 

 

 

これまで生きてきて、ポールサイモンを好きだという人とリアルで出会ったことがない。

12歳からずうっと好きだけど。35年間。

 

このまま死ぬのだろうか。

 

いやポールサイモンを好きな人はたくさんいるけど、皆、表に出さないタイプなのだろう。

 

そこが良い。

 

そしてよく考えると仮に好きだという人と出会っても、特に会話は弾まなそうだ。

 

そこが良い。

キャロル・キングの自伝を読んでいる

図書館に行ったらキャロル・キングの自伝があった。

分厚いけどなんとなく借りてきた。

おもしろい。

 

*

 

キャロル・キングの特にファンというわけではない。

ライブ・アルバムを持っていて、つづれ織りという有名なアルバムは友達に借りて聴いた。どちらも大好きというほどでもなく、いい曲もあるねくらいだった。

 

*

 

なんとなく読んでいると、実に面白い本だ。すらすら入ってくる。

文章がうまいのか、翻訳が上手なのか、両方か。

もしかして補佐のライターでもいたのかなんて失礼なことを思うほど。

 

冒頭の現在のコンサート開始前の内幕の面白さに惹きつけられ、

時代をさかのぼり産まれてからの話になる。

特にファンではないせいか、初めて知った話ばかり。

以下ネタバレ多し。

 

*

 

父親は消防士。母親も働いていた。

ポーランド系移民の二代目で元演劇指向だった両親の下で育つが

障害のある弟とは離れて暮らす。

両親はくっついたり離れたり、少し複雑な境遇。

 

年上の同級生たちの中で

飛び級したらしいが、アメリカの学制の話がよく分からない)

少し孤独を感じながら過ごした学生時代。

R&RとR&Bが沢山かかるアラン・フリードのラジオが大好きだった。

 

本人も演劇を目指したが挫折。

こちらも大好きだった音楽で芽を出す。

 

*

 

15歳で音楽出版社に持ち込みを開始。

二軒目でレコード化に成功。

 

大学に進むが、ジェリー・ゴフィンと出会い、意気投合。

10代で結婚、二人の子持ちとなり職業作曲家兼主婦となる。

 

以降も若いのにすごいことばかりが起きて、ジェットコースターのような人生。

これ以上は本を読んでください。

音楽を知ら無くても、アメリカの青春小説のような趣もあり、

60年代を舞台にした才能ある少女の冒険譚のようでもある。

いい加減なものも多いミュージシャンのこの手の本としては名作なのではないか。

 

*

 

キャロル・キングはなんとなく大人向けのウェルメイドミュージックという印象だったけど、本人もそもそも表に立つシンガーになろうという気持ちは微塵もなかったらしいくらい、穏やかで謙虚な人柄のよう。

 

どちらかというと、主婦であり、母親でありたいという当時の一般的な女性像に近いと思う。

 

夫のジェリーが、60年代のフラワームーブメントに浮つき始めても、まずは家庭人であろうとした彼女(20歳そこそこなのに!)は、ディランやビートルズの音楽性には関心を持っても、「精神の解放」のような大仰なスローガンには無関心だった。大人ですね。それでいて職人気質の職業人でもあるという真面目な両面性もまた魅力だ。

 

そしてさらになぜかスーパースターの方向に転がって行ってしまうキャロル。

 

ヒッピーブームがすこし落ち着いた70年代に、この人の個人に光が当たり始めるというのも象徴的な話。

 

読んだのはまだここまで。

 

*

 

キャロルの歌で一番好きな曲はこれ イベンチュアリー

 

 

昔買ったライブアルバムはこれだった。1971カーネギーホール

 

*

 

他人の人生を読むというのは面白い。

お気に入りのブログを読むのもどこか似ている。

 

どれだけそれについて沢山考えたかという価値

中学生のころ学校の方針で「家庭学習帳」というノートで、帰宅後の勉強をした。

普段は全くしないけど、テスト前になると勉強した。

 

沢山ノートを使うと、沢山勉強したということで、

先生がそういう生徒をなんとなくほめたりした。

逆にあんまりノートを使わない勉強は、あまりやらなくなった。

 

つまりじっくり教科書を読むという基礎中の基礎は、

どれだけやってもノートに残らない。

だからそれはやらなくなりがちだ。

 

でも勉強においてじっくり元の本を読むというのは、一番重要なことだ。

それを抜きにするとやっぱり伸び悩んだりする。

 

*

 

生きている中で、沢山何かについて考えるということは素晴らしいことだと思う。

 

しかしそれはいいねもつかず、ノートも増えず、誰からも見えず、己すら忘れている。

 

それぐらい一見無意味なことではあるが、それが人の肚を練熟させると思う。

 

沢山考えたんだろうな、という人は信用できると思う。