中学校くらいの国語の時間に、少しですが、修辞というものを習いました。
その中に比喩技法のひとつで暗喩というものがありました。カタカナでいうとメタファーです。
なぜかこれに惹かれるものがあります。
直接伝えればいいものを、なぜにわざわざ置き換えるか。
直接例える直喩というものは、分かりやすいです。
目的が見えやすい。
「〇〇のように××である」というのは、直接イメージを結び付けることで説明しやすくなっているわけです。
しかし暗喩というのは最後まで明かされず、下手すると伝わってないまま終わるということもあります。それなのになぜに比喩に置き換えるのか。
思えば表現の多くは「置き換え=暗喩」なのかもしれません。
情感やテーマを連続する音に置き換えれば、音楽に。
色や形を与えれば絵画や立体表現に。
直接、言葉にして伝えず、何かに置き換える方が、伝わるということなのでしょう。多くは無意識にそちらを選んでいるのかもしれません。
ではさらに言葉なら心情を感覚を直接伝えているのでしょうか。
感覚や感情というのは、本来は言語によらないもので、赤ん坊でも持っているものです。言葉を覚えるにつれ、気持ちや感じを適当なそれに置き換えて、確認します。
すると人間は感覚を言葉に置き換え、表現する際にさらに暗喩に置き換えてるわけです。
特段結論はないのですが、置き換えるというのは、表現の肝の一つなのでしょう。