この記事やツイッターでの反応などを読んでいて思ったことがいくつかある。
まず年金だけじゃ暮らせないという自営業者の年金制度の問題。
掛け金が少なかったのである程度しょうがないと思うけども
やっぱり受給額が低すぎる。
先日、二歳の坊やを助けたボランティアの高齢男性が話題であったけど、
彼もまた月55,000の生活費で暮らしながらの活動であった。
生活保護と比べても低い。
つまり生活を保護できない額しかもらえてない。
だから商売を続けざるを得ない。
その商売に対して、きついコメントが多い。
内容は「こういう高齢者が相場を崩してるんから、早く撤退しろ」というもの。
元記事に同じ内容の一意見があり、それをほぼ丸々パロッティングしたもの。
じゃあ、死ねというのか。
(パロットとはオウムの事。
parrotingとは他で聞いた言葉を深い理解もなく受け売りし、
まるで自分の意見のように繰り返し話すこと。ネットオウムですね)
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また年金者が働く世代を支えている例は他にもあると思う。
働く母親をその両親が孫の面倒を見て支えていたり、
若い世代が年金世代の持ち家の実家で暮らしていたり。
こういうものも、年金便りの安い労働力だ、不公平だというのだろうか。
ここまでくるとむしろ社会が年金世代に支えられているのではないだろうか。
市場ではきっと少数派で古い技術だろう年金世代のダンピングに負けてしまう、
若い世代の事業っていうのもなんだか最初から頼りないと思うのだが。
打ち負かしてやるのではなくて、このままだと負けちゃうから
出て行ってくれというのも解決法としてどうなんだと思う。
国際競争に比べたら、よっぽど緩いと思うのだけど。
そして現在居丈高に高齢年金商売は退場しろと述べる人は
自分の番が来たらキレイに消えてくださいね。
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自分も似たようなことを書いたことがある。
けれどこれは余裕のある道楽商売の事だ。
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農業漁業の世界だって同じようなものだろう。
では彼らに廃業しろ、と言えるのか。
そもそも
とんかつ屋、そば屋、定食屋、町中華など昭和世代の営業する飲食店や小売店と
競合する商売を経営している若い世代が、果たしてどれくらいいるのか。
長年働いてきた高齢者への尊重も感じられない。
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こういう話題になると「つぶれた」「つぶれろ」という言葉が飛び交うこともある。
やはり数日前に放送のテレビ東京の「ありえへん世界・つぶれた店が大変身」という
番組でも、やたらつぶれたという表現を使っていた。
つぶれたという表現は、倒産したという意味であったと思う。
しかし今は閉店したものは全てつぶれたという。
長く営業して、倒産もせずに廃業した場合は、
これは店にとってのゴールイン、天寿全う、大往生である。
だから、マイナス表現を使うのはどうかと思う。
閉店したでよいのではないか。
なんでもつぶれたっていうのは雑で凄く嫌いな使い方。