野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

小沢健二の代表曲の複数がパクリである、というのは25年前から知られていることだけど、なぜか看過されてきた。小沢の現役当時、擁護派の建前はこれはリスペクトである、分かった上での剽窃である、という見方が多かったと思う。それが最近一部ツイッター上などで見直されている向きがある。

 

パクリだと指摘するのは野暮かもしれないが、25年前に自分は、なぜ皆手放しでほめるのかと不思議だった。だって編曲が丸パクリなのだ。著作権が厳しく注目されがちな詞や曲ではなく、緩めのアレンジの部分というのが、また狡からく思えた。

 

リスペクトや故意での本歌取りというのは表現上での理由になるから一向にかまわない。しかしそう言うのであればクレジットを分けたり、相応分の権料を払ったりするべきだと思う。これは大瀧詠一なんかもそういう責はあるのではないか。

 

そもそも自分は小沢の一枚目は大好きだった。いまでも名作だと思う。パクリは無かった、もしくは自分には気づかない程度だったのだろう。

 

70年代のようなアナログチックでシンプルな乾いたロックと素直なメロディーに、アメリカ文学的な詞を乗せた素晴らしい曲ばかりだった。でも確かに地味だった。ポップでキュートでちょっといじわるなフリッパーズギターとはかなり違っていた。最初に伝わったビジュアルはアリスクーパーのロングTシャツを着た小沢が、渋いテレキャスターを下げた姿で、みんなびっくりしただろうと思う。

 

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これを小山田は尾崎豊みたいと評した。それが影響したのか、しないのか分からないが、二枚目以降は華やかな日本語ポップソウルとなった。そしてパクり始めた。数枚発売し、ある時、音楽をとめた。

 

思えば、大瀧も小沢もまだ早いうちに、まだ求められているうちに、なぜかキャリアから自ら降りている。

 

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もしかしたら小沢健二にもう一度あのシンプルなアメリカンロックをやってほしいのかもしれない。