野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

人が倒れていた

今日少し散歩をしていたら、うつ伏せで倒れているおばあさんが視界に入ってきた。周りには心配した通行人が、立ち止まり始めていた。

 

本人が歩いていたのか自転車に乗っていたのかはわからないが、男子学生の自転車とぶつかって倒れたらしい。

 

うつ伏せのままではあまりに気の毒だったから声をかけようと思ったが、ピンクの服を着た70くらいのおじさんが、もうすぐ救急車が来る、このままの体勢のほうがいいんだ、と不機嫌そうに言い出したのに気押されて何もしてあげられなかった。

 

幸い近所の人などがタオルを持っていたり介抱し始めていた上、人が集まりすぎるのも良くないようにも思え立ち去った。おばあさんも質問に答えたり、会話をしていたので大事ではなかったと思いたい。

 

その時周りの人を見回すと、緊張感と不安感でなんとなく殺気立ったように皆で顔を見合わせたりした。突然の出来事に親切心や不安な気持ちを持ち寄って輪になっていたのに、どうにもお互いに同調しきれず、信じきれない、居たたまれない空気。その不穏な雰囲気がまだ少し残っている。こういう時はどうするべきなのだろう。

 

 

令和新選組の政策読んだら経済の部分にその通り! と思えたので候補者はどうなるのか注目していたが、どちらかと言うと多様性に寄せた人選に見えた。

 

まずは経済の反緊縮政策に向けて若い経済学者とか揃えるのかなと思っていたので、ちょっと拍子抜けである。そんな簡単に優秀な人材は集まらないか、という嘆息も出た。

 

ブレずに緊縮経済の矛盾をドンドン突いたほうが正攻法だと思うのだが、豈図らんや、これら候補者が経済政策にすごく強かったりするかも知れない。そこまで見透した人選なら天晴れだけど。

 

 

CDって無くなるのかな

一年半ほど前にノートPCを買い替えた。

 

その時、光学ドライブ付きはやけに高くなってしまうので、外付けドライブを一緒に買った。二千円位なので、この方が安上がりだし、近年はあまり出番もなくなっていたので、充分だろうと思った。

 

でも時折古いCDをPCに取り込んでいたので、便利だった。それが購入後一年でオシャカになった。安いから早く壊れるのもしょうがないと買い直した。今度は5千円位。それが半月ほど前認識されなくなった。

 

イイヤツ買ってもダメだったのでちょっとショック。高いのかっても意味ないならもう一度、毎年買うつもりでもいいように安い2400円位のを買った。認識しなかった。

 

オヤオヤ…これはPCの方の問題か…とイロイロ調べるとBIOSから直さないといけないらしい。そんな面倒と危険は嫌だ。

 

どうもMSみたいな上流の巨大メーカーはもうディスクの時代じゃないよ、認識すらする気ないよ、という流れだという説を読んで、なんかもう、諦めがつきつつある。

 

もうCDという形態はディスコン間近なんでしょうか。なんか恐ろしくなってきた。

なぜか世の中にはなんでも質問したら必ず答えてもらえると思ってる人がいる。

そういうのに限って、出会い頭に聴き倒し、碌に礼も言わず、自分のサイドの話は明かさず、聞いた話は自分の物にして、許可なく他所でペラペラ話す。

 

コロンバイン高校の事件から今年で20年。

今年の四月二十日でコロンバイン高校の事件から20年経ったという。

 

その二人の犯人の同窓生だった人の書いた本を読んだ。彼から見ると主犯と見られるエリックはトラブルメーカーで困った存在だったが、従属的であった共犯者のディランは近年までは親友だった。

 

事件の起こる少し前、エリックは自ら起こしたトラブルを起因に、著者とその家族を逆恨みし、凄惨な方法での殺害予告をネット上で行っていた。著者家族は20回以上通報したが、警察は動かないという緊張状態が続いた。それなのに若者ゆえの気まぐれか、二人はひょんなことから仲直りする。この関係修復を両親は訝っていたが、結果として著者を救うことになる。

 

事件当日、著者は屋外でタバコを吸っていると、仲直りをしたエリックが大きなバッグを運びながら「お前の事を好きだから、ここを離れろ」と言うので、これに従い一命をとりとめた。バッグには武器が入っていたことを後から知った。

 

エリックとディランの行動の原因は高校でのいじめに対する反撃行為であったとされている。

 

*

 

事件後、警察は著者も共犯ではないかと疑い、メディアで実名を度々挙げた。著者はエリックから殺されると20回以上も警察に通報していたのに。それでいて自分たちは捜査もしなかったのに。その時点で捜査していたら、事件を止められていたかもしれないのに。警察のこの行為により著者家族は、近隣住民や被害者遺族から長く白眼視を受けた。

 

犯人グループ二人は銃器を三人から調達していた。ピザ屋の同僚の一人から購入し、もう一人の同僚には代理購入を依頼した。さらにディランを慕っていた女性にも代理購入を依頼した。彼女を通じて手に入れた銃器が最強の威力をもっていたが、ピザ屋の二人のみが罪に問われ刑に服した。

 

*

 

さらにネットを見てみると、ある男性の名前が登場する。

 

スクールカーストのトップグループのジョック(運動部)の中心であった男。この男が凄惨ないじめを犯人グループの二人にのみでなく、校内で広く行っていたという。この男の存在がなければ、この事件は起こらなかったのではないかという感もある。

 

元々アメリカの学校は、スポーツ優秀者を過剰に賛美し特別扱いする文化があるらしいが、殊更コロンバインではその傾向が強く、レスリングとフットボールの有名選手であったこの男の行為をとがめる教師もいなかったらしい。

 

この男の事を調べると、コロンバインに入る前にすでに警察沙汰を複数回起こしていた様子もあり、またDV家庭で育ったような記述もある。さらに事件後雲隠れしたこの男を指弾し、探し出そうというサイトもある。だが、なにせ全て英語なのでこちらの読解力ではこの男に関する情報の正確さは心もとない。

 

またなぜこのような選手が幅を利かすのかというと、アメリカの教育界では好結果を出すスポーツの監督や顧問が出世しやすいという事実があるためだという。であれば出世を狙う上司の秘蔵っ子を注意し指導する教師は少ないのだろう。スポーツ偏重主義の結果による惨劇とも言えなくない。

 

*

 

ただ、これだけはっきりネット上で非難されているものの、著者の本の中にはこの男の存在は現れない。ネット上での都市伝説やミームのような類なのかもしれないが、これ以上は分からなかった。

 

 

あの着物の広告。何が悪いのだろうか考えてみた。

 

まずハーフの子を望むことも、年収の高いパートナーを望むことも、悪いことではないと思う。

道が開くというのは何を指してるのかよく分からないが、歩きやすさを望むのも別に悪くないだろう。

これが悪いというなら、ネット上に良く見かけるこれらに類する欲望も否定されるべきか。

むしろ現代では個人の欲求として認められていることではないだろうか。

 

では装いと欲望を結びつけることが悪なのか。だとしたらその理由は何か。結びつけ方か。

 

着物とそれらの欲望を結んではいけないのか。

 

もしかして着物は高尚で、これら欲望は低俗なのか。

 

批判してる人も、この広告の中の何が悪いかまでは整理していることは案外少ないと思う。

 

直観的に腹立たしかったのか。

 

それはなぜなのか。

個人事業主の保険の不思議 と最低賃金

身近に個人事業主が多い。

 

個人事業主が仕事中、ケガをしたとする。

すると一般の健康保険は使えない。

 

そこで労災に入ろうとしても、事業主は入れない。

法律で決められていて被雇用者のみしか入れない。

 

しかしなぜか裏技があって、「労災組合」なる組織に加入するか

社会保険労務士を通してだと、事業主でも労災に加入できるらしい。

でも、保険料が結構高い。毎月5000円からだという。

年で6万円だ。安くない。

 

金額はまあいいとしても、なぜ組合や労務士を通さないといけないのか。

なぜそれらに業務を独占させないといけないのか。

その意義が分からない。なぜ自分でやることが認められないのか。

 

こんなのは簡単だ。複数の被雇用者のための労災手続きは書き込むのは一枚だけ。

毎年同じような計算を繰り返す。だから事業主本人でも簡単にできる。

これとたった一人の保険料を計算することが、どれだけ違うというのだろう。

なんか胡散臭い。天下りだの、裏側の話がありそう。

 

そもそも個人事業主本人が国の災害保険になぜ入れないのだろうか。

そこが間違っている。

 

*

 

今、会社に雇われている多くの人には遠い話かもしれないが、今後はどうだろう。

 

ウーバーイーツで働いている人はみな一人親方だという。

こういう形で一人親方制をうまく使って企業は人を雇い始めるかもしれない。

今までは特殊な技能を持った人たちをプロとして一時的に雇っていたかもしれないが、

今後は現在アルバイトのような人たちを「雇用」するのではなく、

一人親方として「契約」していくかもしれない。

すると労災にも入らなくてよい。

 

最低賃金が上がれば、「雇用関係」は減って「契約関係」が増えるかもしれない。

そうすれば「時給」に縛られることが無くなる。

時給以下の契約を結べばよいのだから。

 

果てして「時給」だけの問題だろうか。

じゃあ「月給」は?

 

「契約関係」なら厚生年金や労災保険料を会社は払わなくても良いのではないか。

すると将来的にはどうなっていくのだろう。

 

今後、一人事業主が増えていくかもしれない。

その時、労災はどうなるの?

20代は新しい文化を産んだり、享受したりする現役最前線世代だと思う。30代は少し落ち着いて、でもまだ新しい文化を受け入れ、理解し、楽しめると思う。しかし40代になると、もう新しい文化が分からなくなった。

 

20代の感性からすると40代は、ひと世代どころか、ふた世代以上先の世代になるだろう。

 

隣の世代はまだ理解できても、ふた世代先になると感性的に接点がない感じになった。もう新しい文化の現役世代ではないのだなと思う。

 

 ブログやツイッターあたりまではなんとなく理解していたつもりだが、それ以降のSNSやyoutuberあたりからはもう感覚的に何が良いのか分からない。流行ってるタレントや音楽はずいぶん前から分からない。

 

それでいて、古い物への思慕や興味は年々深まる。街を歩いていても古びた建物や商店へ目が行き、無くなれば嘆く。いつもそこにあり続ける寺社を頼もしく、ありがたく感じる。

 

古いものはすでに評価が定まっているし、当然自分が子供のころから見ている変わらない物でもある。だから安心感があるのだろう。大げさだけど、むしろここへ帰っていくのだという輪廻みたいなものを感じたりする。こうやって年寄りは古いものを愛していくのだなあと思う。まあ元々そういうタイプなんだけど。

 

 

 

薄いノートがほしい

30枚つづりのよくある大学ノートだと、

後ろの方はあまり使わないで終わってしまう。

それが数冊あるとかさばってしまう。

 

そこで「薄いノート」で検索すると、

紙自体が薄いノートは出てくる。

 

普通のノートで紙の枚数が少ないもので良いのだ。

10枚つづりで半額くらいならどうだろうか。

そのほうが、手軽に新しいノートをおろせて、場所や紙の無駄にならない。

 

またノートを買うのが好き、という層もいると思う。

デザインや色の違うノートを、何種類も買いたいという文具好きにも受けないだろうか。

カセットの歌詞カードのにおい

中一くらいの時、カセットテープに吹き込まれた音楽テープを買った。

CDはまだなかったし、レコードは針が摩耗するのが財布に痛かったので。

 

最初に買ったのはビートルズのバラードベスト20。

イラストが魅惑的なジャケットだった。

一曲目のイエスタデイで、完全にノックアウトされて夢中になった。

次に買ったのはやっぱりビートルズの青盤というベスト。

シビレまくった。

 

思い出すのは、そのカセットの中に入っていた緑色の歌詞カードの紙。

油紙のような手触りと薄さ。印字してある活字も含めて、

なんとなく上品で好きだった。

その紙が独特にいい匂いだった。

その後、あれに似たにおいにまだであったことがない。