野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

キャロル・キングの自伝を読んでいる

図書館に行ったらキャロル・キングの自伝があった。

分厚いけどなんとなく借りてきた。

おもしろい。

 

*

 

キャロル・キングの特にファンというわけではない。

ライブ・アルバムを持っていて、つづれ織りという有名なアルバムは友達に借りて聴いた。どちらも大好きというほどでもなく、いい曲もあるねくらいだった。

 

*

 

なんとなく読んでいると、実に面白い本だ。

文章がうまいのか、翻訳が上手なのか、両方か。

もしかして補佐のライターでもいたのかなんて失礼なことを思うほど。

 

冒頭のコンサート開始前の内幕の面白さに惹きつけられ、

産まれてからの話になる。

特にファンではないせいか、初めて知った話ばかり。

以下ネタバレ多し。

 

*

 

ポーランド系移民の二代目で元演劇指向だった両親の下で育つが

障害のある弟と離れて暮らす。

両親はくっついたり離れたり、少し複雑な境遇。

 

年上の同級生たちの中で

飛び級したらしいが、アメリカの学制の話がよく分からない)

少し孤独を感じながら過ごした学生時代。

ラン・フリードのラジオが大好きだった。

 

本人も演劇を目指したが挫折。

こちらも大好きだった音楽で芽を出す。

 

*

 

15歳で音楽出版社に持ち込みを開始。

二軒目でレコード化に成功。

 

大学に進むが、ジェリー・ゴフィンと出会い、意気投合。

10代で結婚、二人の子持ちとなり職業作曲家兼主婦となる。

 

以降も若いのにすごいことばかりが起きて、ジェットコースターのような人生。

これ以上は本を読んでください。

音楽を知ら無くても、アメリカの青春小説のような趣もあり、

60年代を舞台にした才能ある少女の冒険譚のようでもある。

いい加減なものも多いミュージシャンのこの手の本としては名作なのではないか。

 

*

 

キャロル・キングはなんとなく大人向けのウェルメイドミュージックという印象だったけど、本人もそもそも表に立つシンガーになろうという気持ちは微塵もなかったらしいくらい、穏やかで謙虚な人柄のよう。

 

どちらかというと、主婦であり、母親でありたいという当時の一般的な女性像に近いと思う。

 

夫のジェリーが、60年代のフラワームーブメントに浮つき始めても、まずは家庭人であろうとした彼女(20歳そこそこなのに!)は、ディランやビートルズの音楽性には関心を持っても、「精神の解放」のような大仰なスローガンには無関心だった。大人ですね。それでいて職人気質の職業人でもあるという真面目な両面性もまた魅力だ。

 

そしてさらになぜかスーパースターの方向に転がって行ってしまうキャロル。

 

ヒッピーブームがすこし落ち着いた70年代に、この人の個人に光が当たり始めるというのも象徴的な話。

 

読んだのはまだここまで。

 

*

 

キャロルの歌で一番好きな曲はこれ イベンチュアリー

 

 

昔買ったライブアルバムはこれだった。1971カーネギーホール

 

*

 

他人の人生を読むというのは面白い。

お気に入りのブログを読むのもどこか似ている。

 

どれだけそれについて沢山考えたかという価値

中学生のころ学校の方針で「家庭学習帳」というノートで、帰宅後の勉強をした。

普段は全くしないけど、テスト前になると勉強した。

 

沢山ノートを使うと、沢山勉強したということで、

先生がそういう生徒をなんとなくほめたりした。

逆にあんまりノートを使わない勉強は、あまりやらなくなった。

 

つまりじっくり教科書を読むという基礎中の基礎は、

どれだけやってもノートに残らない。

だからそれはやらなくなりがちだ。

 

でも勉強においてじっくり元の本を読むというのは、一番重要なことだ。

それを抜きにするとやっぱり伸び悩んだりする。

 

*

 

生きている中で、沢山何かについて考えるということは素晴らしいことだと思う。

 

しかしそれはいいねもつかず、ノートも増えず、誰からも見えず、己すら忘れている。

 

それぐらい一見無意味なことではあるが、それが人の肚を練熟させると思う。

 

沢山考えたんだろうな、という人は信用できると思う。

映画ボヘミアンラプソディでシングルカットを拒んだ重役は、かつてウェインズワールドの「ボラプ」でヘッドバンギングをしていたあの人

十二月にクイーンの思い出を書いたのだけど、

丁度一月後に劇場で見ました。

 

前半はちょっとご都合演出という感じもあったけど、

ライブシーンは最高にかっこいい。

とくに最後のウェンブリーのライブエイドは最高。

 やっぱり音楽の力が強かったのだろうと再確認。

 

クイーンというのは、フレディのキャラクターがちょっとマンガ的でもあるので、

なんとなくコミカルに見えなくもない。

それでも、圧倒的な音楽で最後は感動してしまうという二重構造があって、

それで感動もより深く、存在感も強かったのだと思う。

 

 ***

 

そして調べていて後から気づいたのだけど、ボヘミアンラプソディーをシングルカットすることに大反対したEMIの重役レイ・フォスター役をやっているのは、コメディアンのマイク・マイヤーズ

 

この人は90年代半ばに「ウェインズ・ワールド」というロック系コメディ映画を脚本・主演で大ヒットさせた人。実はこの映画で挿入歌としてボヘミアンラプソディが使われており、フレディ亡き後にあの曲のリバイバルにひと役買った人。それが今回の映画では「ボラプ(劇中でロジャーが発音)」の邪魔をするという逆展開。洒落た配役ですね!

 

(↓の映像の黒いシャツとキャップの人)

www.youtube.com

 

ちなみにウェインズワールドは地下でケーブルテレビの音楽番組を製作放送していた二人組が、大手テレビ局に引き抜かれるという、昔のyoutuber夢物語的なお話でした。

パット・ディニジオ

80年代の終わりくらいに、クロスビートという音楽雑誌が創刊されて、好きで読んでた。

 

その雑誌にはCMJチャートという、アメリカの大学でのラジオの人気曲をチャート化したと物が載っていた。

 

カレッジチャートとも呼ばれていて、ビルボードの売れ線チャートとは違って、

各地の地元インディーバンドや、シンプルで普段着のロックバンドがよく受けていた。

 

カレッジロックとも言われた。

メインストリームの音楽と違う傍流の音楽。

後のオルタナティブロックの走りだと思う。

 

たとえばREMなんかはカレッジチャートから生まれたスターだったし、

他にもリプレイスメンツやグリーン・オン・レッドなどが代表的なバンドだった。ペイズリーアンダーグラウンドというのも、その中の一派だったように覚えてる。

 

CMJをにぎわせたグループのひとつがザ・スミザリーンズで、自分も結構気に入っていた。

親しみやすいメロディでビートルズ系のシンプルなアレンジ。

パワーポップの原型みたいなバンドだった。

 

ルックスは完全なオジサン四人組で、

ボーカルはでかくて禿げててひげ面だった。

みんなライダースの革ジャンを着ていてなんか面白かった。

カリスマ性はないけど、実力派というイメージ。

 

「グリーン・ソウツ」「イレブン」というアルバム辺りはちょっと注目されたけど、

ブレイクしきれずトーンダウン。

でもずっとバンドを続けていた。

初期のアルバムはニルバナカート・コバーンも気に入っていたらしい。

 

しかし昨年の今頃、ボーカルでメインソングライターの

パット・ディニジオが亡くなっていたという。

近年の写真では、かなり身体が膨れていて病的にも見えていた。

しばらくずっとけがで右手が動かず、ツアーもキャンセルされていた。

 

variety.com

 

同じニュージャージー出身のジョン・ボン・ジョヴィは彼の死を

「悲劇的」と悼んだ。

 

誰も思い出さないかもしれないけど、才人だったと思う。

知的で頼もしい雰囲気のある人に見えた。

なんだか寂しい。

 

今年の四月、彼のふるさとのニュージャージー・スコットプレインズの通りの一つが、

彼をしのんで「パット・ディニジオ通り」と名づけられた。

地元で愛されていたのかなと思う。

 

今聴いても楽しい曲をいくつかどうぞ。

 

        

 

与党も野党も緊縮財政では、実体経済が上向くことはないでしょう。

 

特に日本のリベラルは「稼げるリベラル」と目指すべきだと思う。

もっと言うと「もっと稼いで、もっと分配するリベラル」。

 

どんどん景気を回復させる手段を訴えて、

その再分配を公正にどんどん行う。

そういうのが現代が求めるリベラルではないか。

いやいやこれは本来与党のやるべき本来の自然経済か。

 

よくわからなくなってしまうけど、

与党の政策がなぜか悪い社会主義みたいになってきているのだから

ひっくり返って野党は、上記のようなポピュリズムでやってみたらよいのにと思う。

 

もう右・左の分断ではなくて、上・下の分断になっている。

 

であれば、保守も革新もない。

少数の上流のための経済か、否、多数の(相対的に)下を持ち上げる経済か、

という対立軸だと思う。

 

www3.nhk.or.jp

 

↑こんなニュースになっているけど、実質賃金は下がっている。↓

www.fnn.jp

 

経済が上と下で分離して、二重経済になっているのは明白だ。

一つの国に二つの経済。

来年はこの辺りにどんな風にアプローチするのだろうかと思う。

高輪ゲートウェイが不評です。

そもそも近隣の再開発構想「グローバル ゲートウェイ 品川」がダサい。

 

名前でやたら箔を付けたがるというのは、
却って劣等感の強さを感じさせる長い名前のマンションと同じ発想だと思う。

 

長い名前のマンションのせいで、クロネコヤマトの伝票ソフトが止まるので勘弁してほしい。

 

 

エアメールって思っていたより安い

ある人から封筒を預かって、これを郵便局でエアメールで出してほしいと頼まれた。

数百円はかかるだろうなぁと局に持っていくと、なんとスイスまで110円。

びっくりした。

1986年に中二だった自分は、その年初めてクイーンの音楽を聴いた。

カッコよいと思ってベストアルバムを手に入れて繰り返し聴いた。

 

 

そのベストアルバムの曲はそのころすでに十年以上前の曲も多かったのだが、

全く古く聞こえなかった。

これは今も同じだ。現行盤はきっとリマスターを繰り返してもいるのだろうけど、

クイーンは古さを感じにくいと思う。

なんでだろう。

  

洋楽好きの友達に貸したら、ボヘミアンラプソディーのオペラパートを聴いて、

なにこれへんなの、という反応で悲しかった。

 

リアルタイムのオリジナルアルバムでいうと、

カインドオブマジックの後、ライブマジックというライブ盤が出た頃だと思う。

 

その年はすでにクイーンは活動休止状態だったので、

巷ではあまり存在感はなかった。

少なくとも日本では特に話題になることもなかったはず。

 

その後、復帰し三枚のアルバムを発売したが、

内容も話題性もかつての黄金期(これも体験していないけど)には

ほど遠い感触だったと思う。

 

ただフレディがどうも重い病気だということが少し伝わったくらいだろうか。

1991年のフレディの死も日本では、音楽ファンが話題にしたくらいだった。

マイケルの死からしたら、何十分の一というところだろう。

こんなことを比べるのは不謹慎かもしれないけど。

 

その後、二十年ほど経って、やたらとCMやドラマなどで彼らの音楽を耳にするようになった。やはり普遍的な魅力が強いのだろう。時代を超えてフレディの声は届いている。

 

***

追記 一月後に劇場で映画を見ました。

 

貴乃花が相撲の語源はヘブライ語と言っていたけど、

国粋主義的なところと合わせると、スメラ学に凝っているのかもしれない。

新興神道に凝っているのもつながっているのかも。

 

 

ボーイジョージが復活してた。かっこいいわ

カルチャークラブのドラマーが脱退したというネットニュースを見て、

まだやってたのかとびっくりしましたが、元恋人だったドラマーと一緒にいるのが無理、というボーイジョージ側の理由からだそうです。

いやいやドラマーは家族と過ごしたいからだという情報も。

www.barks.jp

 

最近のボーイジョージの様子を見ると、結構現役ぽくっていいですね。

19年ぶりの新作を出したところだそうです。

キーは下がっていますが、ゴスペル風の曲に説得力があります。

 

 次の曲もめちゃめちゃかっこいい。

イントロでハープを吹いている人が件のドラマーのような気がする。

 

 やっぱり天才なんですね。

 

そのボーイジョージがお母さんにカミングアウトしたときの歌と言われているのが、下の曲で、とても良い曲です。これの収録されたアルバムは30年ほど前に大ヒットした名作です。カーマは気まぐれだけじゃなくて、全曲とても良いです。中学生のころ友人にカセットを借りたのを覚えています。中でもこの曲はやはりゴスペルライクで素晴らしいですね。 

 

 

今思うとドラアグクイーン的な存在を初めて知ったのはこの人だったかもしれません。

こういう時代にボーイジョージが復活するのって、なんだか象徴的な気もします。

売れるとおもしろいなぁ。

サッポロ一番はサンヨー食品

サッポロ一番カップスターサッポロ一番そーすやきそばなど、

誰でも知ってるあの銘柄のインスタントラーメン。

 

しかし作ってる会社は知らなかった。

サンヨー食品というんだって。

 

元々は前橋出身の会社。

ロスジェネの原罪

自分もロスジェネ。痛い思いもしてきた。

元はと言えば戦後のベビーブーマーの2代目世代だ。

戦後高成長の中育ってきたので20歳前後までは押せ押せの世代だった。

人数も多く、競争も激しかったが、それに見合う未来を期待されていた。

 

がしかし、バブルは弾けた。

三重野日銀はハードランディングを選び、衝撃は巨大で未だに尾を引いている。

あつものに懲りた財務省は景気回復の抑制を過剰に行ってきたが

逆にこれに味をしめ自家中毒を起こし、国民から搾取し自己保存する方向へ進んだ。

その結果、景気が回復することは無く、やがて失われた30年となる。

 

現在我々世代はスケープゴートのようにあちこちへ突き回されている。

梯子を外され、そろそろ未来の厄介者だ。

まさにおとなしい山羊だ。

何も考えず乳や毛や子を毟られ、飼い主や犬に追われ、

僅かな宛てがい扶持を貰うのに鳴いて頭を下げている。

 

 

防げなかったか?

過去最大の人口層を得ていれば、選挙投票の中核になり得たのではないか。

それは行使されなかった。30年。

投票率は大体半分前後だ。

じゃあ、こういう扱いも半分は自業自得だ。しょうがない、あきらめろ。

 

今まで幾度とあった投票日。

自分達はなにをしていた?

友人や恋人、家族と出かけたり、ただ休日を楽しんで終わっていなかったか?

惰眠を貪り、夕方の選挙速報を無意味と冷笑し、バラエティ番組で時間を潰していなかったか?

その日2、30分、投票に割けなかったか?

自分の一票など意味がないと知ったクチをきかなかったか?

どうせまた今度も行かないんだろう?

その結果が今の我々だよ。

 

権利は与えられている。

なのにそれを20年30年行使してこなかった。

その結果がコレ。

これを自己責任という。

 

たしかに労働運動は敷居が高いだろう。

しかし投票は数年に一度、家の近くの投票所に行くだけだ。

それすらしてこなかった。

そしられても仕方ない。

 

以前はよくこういうことが言われた。

日本の民主主義は与えられたものだ、

血を流して勝ち取ったものではない。

 

だから、そのせいか今でも権利を粗末に扱う。

己の権利なのに。

これは己を粗末にしてることと変わりない。

投票日が来る度に、自らゴミ箱に飛び込み続けた四半世紀だった。

 

自分だけじゃない。自分の家族も捨て続けた。

明日、家族の首を絞めるのは自分だよ。

 

自分の一票では何も変わらないという浅はかは間違っている。

一票でも投票率は上げられる。

投票率の高さが大事なのだ。

一方に大勝させないことが大事なのだ。

 

官僚を選ぶことはできないが、政治家は選べるのだ。

次の選挙の当落が不安定であれば、それが緊張感を生み、

正しい仕事を目指すことにつながり、やりたい放題を防止する。

国民の存在感を主張することになる。

 

 

まずは自分には権利があるということを思い出そう。

それを忘れてることがまず我々の罪なのだ。

自立した野生の山羊は気高く断崖を登り、自らの草を食むではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハロウィンと反社会性

渋谷のハロウィン騒ぎを見てると

これが武器を持った暴動だったら、渋谷の警察は抑えきれないのではと思った。

 

5時に夢中!で、平山夢明も現代のええじゃないか騒動のようだ、

何か不満が溜まってるのか、と語っていた。

 

*

 

ハロウィンが盛り上がるのに対照的に、町の祭りやクリスマスは鎮まっている。

 

古来からの祭りには、昔は農村生活からのカタルシスがあったかもしれないが

今はむしろかつての日本の面影を追うノスタルジーが強いかもしれない。

そしてクリスマスは家庭や仲間、恋人同士の平和のイベントだ。

 

*

 

ハロウィンの独自性は不穏な事だろう。

モンスターの仮装や、お菓子という利益と引き換えに攻撃を避けるようなギミック。

生きているものではなく、死者の祭りである事。

 

渋谷でのそれは、不気味なメイクやコスプレを大人が纏うという形に発展し、

中には強い暴力性や直接的に死をイメージさせるものもある。

また性的に解放された衣装もあり、意図せずも全体に本来の道徳や社会通念を越えた感がある。

 

つまり平和と愛のクリスマスは鳴りを潜めたと同時に

無意識のうちに反社会性を帯びるようになったハロウィンが勃興したと言えないだろうか。

 

*

 

これが現代日本を象徴した出来事でないことを願いたいと思う。