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限定されてるから、楽しかった、ということはあると思う。
なんでもかんでも、思い通りにできるようになると、心が呆けたようになるのではないか。
なにか足りないものがあれば、工夫してそれを補う。
そこで、試されるのが、創意ではないか。
創造力がある人は、足りなきゃ、アイデアで何とかしてしまう。
それがカッコいい。
そういう人は根本的な生きていく才能がある。
情報や知識やブランド的な価値観のつまらなさの反対にある。
だから条件が悪くても楽しめるし、いきいきしてる。
むしろ高齢者に多い気がする。
知恵と手足を使い、生きていきた人たちだ。それが知性だ。
また限られた条件の中で、工夫したりしてると、思わぬ発見がある。
発見だけでなく、しょうがないから臨時でやってみたやり方に、偶然性が出たりする。
ルーティーンを超えて、偶然性が入ってくると、ちょっとした何かが起こったりする。
偶然性が、妙な奇遇や、奇跡的な結果が呼んだりする。
一度限りの運命的なことが、起こったりする。
コレが面白い。
だから何でもかんでも、良い条件が面白い結果になるわけでもない。それを知っていると、条件が悪くても、もしかしたら「ヒョウタンから駒」かな、と思いながら対応したりする。これが楽しい。
だめなら、ダメ元だから、別にいい。一回性の何かをワザと放り込んだりして試して、楽しんだりする。そう考えると、色々悪いことばかりでもない。誰しも「塞翁が馬」を探して生きていくのだ。