今回のウィルスは、人間関係にひびを入れてしまう。
仲の良い人ほど感染させやすいので、距離を保たなくてはいけない。
その上、人によって意識の持ち方が違う。
情報に良く接していれば、より気を遣うし、
普段からあまり積極的に情報に触れない人は、無頓着だ。
そこで齟齬が生まれてしまう。
身近でもだんだん素っ気ない付き合いになってしまいがちだ。
本当に厭らしいウィルス。
数年後、中国を舞台に「東京裁判」みたいなことになるのではないだろうか。
今回のウィルスは、人間関係にひびを入れてしまう。
仲の良い人ほど感染させやすいので、距離を保たなくてはいけない。
その上、人によって意識の持ち方が違う。
情報に良く接していれば、より気を遣うし、
普段からあまり積極的に情報に触れない人は、無頓着だ。
そこで齟齬が生まれてしまう。
身近でもだんだん素っ気ない付き合いになってしまいがちだ。
本当に厭らしいウィルス。
数年後、中国を舞台に「東京裁判」みたいなことになるのではないだろうか。
コロナ禍は、さながら世界大戦だと総理は言ったらしい。
たしかにそのレベルの危機である。
しかしながら、地球の中の国同士の戦争ではない。
人類対ウィルスである。
だからどちらかというと、宇宙戦争みたいなものだ。
透明なエイリアンが忍び足で増殖しているかのようだ。
その見えざる敵は見えないだけに戦いにくい。
外に出ない、孤独に耐える、清潔を保つ、手を洗う、顔を触らない、マスクを絶やさない、健康を維持、情報を逃さない、ちょっとぐらい・自分ぐらいという誘惑に負けない…などなど具体的には自制するしかない。
つまりコロナウィルスという外的と戦っているようで、自制心を保つという内なる己との戦いでもあるのだ。不思議な敵である。敵のいる窓を覗いているつもりが、映っているのは自分である。まるで人間性を試されてるようだ。
今、医療に負担をかけたくない。
そして将来の日本人に恥ずかしくないようでありたい。
今日の我々の行動が二十年後、三十年後の日本人の生活に影響を与えるかもしれない。
それはただ家にいればいいだけの事だったりする。
*
そう思う一方で、働かなければならない人もいる。
頭が下がる。
休業補償が出れば、家にいられるのにという人もその中には多いだろう。
*
しかし子供のいるご家庭は大変だ。
こんな観念的なこと言ってても何の役にも立たない。
ぐずる子をなだめるのは、苦労だろう。
何か支援はないだろうか。
触らないように、気にし始めると、顔って思っていたより痒い。
しょっちゅう、ちょっと触ってる。
花粉のケがあるからかな。
生活の事よりも、仕事の事を考えると頭が痛い。
この先どう回していけばいいのだ。
*
それはそうと、図書館に借りた本を返さないといけない。
いけないけどまだ読み終わってない。
なので延長貸し出しをネットで手続きしようと思い立った。
だが、図書館自体がクローズなので、そのような処理も進まないようだ。
*
最近、とみに思うのは、もう本が読めない。
昔は集中して読めば、一晩一冊みたいなこともあった。
しかし今は無理。
おそらくちゃんと読むのは、ひと月に頑張って二冊。
大概は一冊だろう。
歳をとるとそれくらいの集中力しかない。
まあ、昔もたいした集中力でもなかったのだろう。
ネットもなかったから、活字しかなかった。
だから惰性で読んでもいたのだろう。
*
しかし仮にきちんと読めるのが一月一冊として、年に12冊。
すると、アラフィフなので、あと二十年くらい読むとしても240冊。
後半は老眼で大して読めないとすると、あと150-200冊くらいじゃないだろうか。
いや70まで生きてる気がしない世の中だ。
60までとして、100冊くらいかもしれない。
*
残りの人生で読める本は100冊くらいか。
*
すると厳選して読んだ方がいいのかね。
それとも、成り行きに任せて出会いを楽しむべきなのかね。
一冊ずつの積読本もいとおしくなる。
大林監督が亡くなった。
自分が好きだったのは、「異人たちとの夏」「青春デンデケデケデケ」の二つ。
「異人たちとの夏」は鶴太郎の役者としての最初のピークであったと思う。
ラストシーンはどうかと思ったが、全体的にとても良かった。
都会の現代人の孤独と少し昔の懐かしい昭和の浅草の対比も見事だった。
「青春…」では、主演のバンドメンバーたちが新鮮だった。
なかでも寺の息子役の大森嘉之が腹の座った高校生を大胆に演じたのが一番印象的。
大森嘉之は子役のころ、夏目雅子主演の「二十四の瞳」でもクラスのガキ大将を演じていたのだが、これもまた素晴らしい当たり役であった。あの子がこうなったのだと思うと胸が熱くなる成長ぶりだった。アクが強すぎるのか、その後、あまり見なくなってしまったのが残念だ。
ヒロインは柴山智加。これもフレッシュでよかった。
高齢親が二人とも高血圧などの薬を病院で定期的に処方してもらうので、これについて電話で先週確認してみた。
まだ政府が遠隔診療についての談話を出す前のこと。
すると電話で診察はできるが、処方箋は取りに来てほしいということだった。代理人でも可能とのこと。あくまでも自分が電話した病院での話。
しかしそれでは、病院に集まる人間を減らすことにはならない。
なぜこんな形なのかなと考えたけど、単に診療費を取りっぱぐれないようにではないだろうか。こういう事態になって間もないから仕方ないけど、遠隔診療というのは、そろそろ煮詰めても良いのではないでしょうか。
また処方箋の有効期間が四日間というのも、ちょっと短いのではないかと考えます。
もし自分にコロナと疑われるような異変が起こったとすると、何を用意しておくべきだろう。重篤なら入院することになるけど、そこまで重症でない場合、自己隔離しなければいけない。
まず食料や消耗品を備蓄しておかないといけない。なるべく調理の手間などが要らないようなレトルト食品やトイレットペーパー、(シャワーが無い部屋にこもるので)身体を拭くものや、着替えなど。それを二週間分買わないといけない。栄養が偏らず、飽きないようなメニュー。結構大変だ。
検査もしてもらえないくらいだから、自己隔離中も公的支援は望めないだろう。他に何が必要かも考えておかないといけない。
検査もしない、支援もないならせめて、自己隔離のためのガイドラインがほしい。熱が続いても市販薬で投薬して良いのかなども知りたい。
いつまでも支持率が高いから、調子に乗り続けている。
先日支持率不支持率が逆転した途端、(その内容が適切かどうかは別として)一斉休校という大胆な対策を打ち出した。
支持率が万年高ければ、自然、増上慢となる。
低ければ焦る。焦ってこっちに顔を向けてくる。
(支持率調査自体の内容が変なのかもしれないけど)
*
今の選挙制度では与野党伯仲するような選挙結果にはなりづらいようだ。
また投票率もなかなか上がらない。選挙自体が数年に一度だ。
しかし支持率というのはいつだって、国民からアピールできるのだから、これを活用したい。
言ってみれば投票のようなものなのだから。
*
さてどうやって下げさせられるのか。
どうなんでしょうねえ。
数回読んだことのあったワニ漫画が最終回を迎えた。
さり気ない生活描写を結構気に入ったが、読んだのは5回くらいだろうか。どんな最終回になるのか気になって読んでみた。
納得感はあった。これがトンデモナイ死に方であっては、これまでの日常を淡々と描写した99日間の意味が無くなってしまう。
取り立てて深いメッセージもないのかもしれない。あるとしたら、無常観のようなものだろうか。
*
本当に大きなメディアの企画としたら、確かになんとなく鼻白むけど、まあいいんじゃないでしょうか。大方嫌われているマスメディアが、ネット民から一本取った、くらいの話ではないでしょうか。彼らにとってはキャラクターの死などこれくらいの価値なんでしょう。
まったく白紙の状態から始まって途中から乗っかってきたのか、最初から企画されたものなのか、そこは大きく違ってくると思いますが。
衛生用のマスクが売り切れだったけど、作業用のマスクを余らせていたことを思い出した。どれだけ効果あるのか分からないけど、無いよりいいと思って使用してる。
カップ型でプレスされた紙繊維製なんだけど、普通の衛生用より会話しやすくてよい。言ってみればドーム状の固形なので口元の邪魔をしない。
樹脂製のマスクがいいのではないかと前に書いたのだけど、今でもそう思っている。
http://el-bronco.hatenablog.com/entry/2020/01/31/132505
ナノレベルの穴を空けた樹脂マスクならウイルスも侵入せず呼吸できないだろうか。耐熱性ならいつでもお湯で洗浄することもできるはず。何度も再利用できて普及すると良いと思うのだが。
他人の自慢話や近況報告は、聞いていてもあんまりピンと来ないが、他人の思い出話というものはいいなあと思う。
高齢の人と顔を合わすことが多いのだけど、思い出話の宝庫だ。だけどあんまり立ち入ってもいけないし、なかなか引き出すのは意外と難しい。その上、自分の話など誰も興味ないと思っている人が多いのだ。
いつも自慢話バリバリのやり手のオジサンが、遠い目をして子供のころや、若いころの出来事を振り返るのも良い。
歳を経るたびに、人は未来よりも、今よりも思い出に生きていると思う。
「犬を連れたルネとジョルジェット」
ポール・サイモンの音楽の舞台のほとんどは思い出の中にあるようだ。
この歌の題名を直訳すると「戦争の後で、犬を連れたルネとジョルジェット」。
画家のマグリット夫妻が犬の散歩をしているスナップ写真から着想した。
アメリカが不思議なのはトランプが勝ったり、粗雑な力技の人が多いのかと思う反面、こういう人が支持され続けたり不思議な国だ。
ボブ・ディランに続いて、この人がノーベル賞とってもおかしくないと思う。