野良馬ヒンヒン

思いつきを記録しています。下らぬものです。

今週のポッド許可局:キモイ論

マキタスポーツの十代の娘二人は何かというとキモいの連呼。何をしてもキモいといわれてしまうマキタ。カメラのファインダーから目を外し、娘たちが可愛いなあという思いで見るとキモイと言われてしまう。

 

その反対はカワイイらしい。老眼鏡を頭に載せてテレビを見ていたら、今度はカワイイと言われた。娘たちは毎日キモイとカワイイをさえずっている。

 

かつて批評性のある笑いを求め、談志・たけし・爆笑問題浅草キッドに影響を受けていたころ、ネプチューンの笑いでウケている妻が理解できなかった。

 

感覚で生きている娘たちに対して、論理を突き詰めたいマキタは、そのせいで失った感性があるのかもしれないと危惧を抱く。キモイ/カワイイ感覚を取り入れていこうと考え始めた。

 

プチ鹿島曰く、我々にとっての「キモイ」はウエスタンラリアットのように強力だが、彼女たちにとってはそこまで重い意味はないのかも。キモイ、とオジサンが言ってしまうとネガティブすぎるので「カワイイ活動」をしていった方がいい。まだ娘が小さいので、今を大切にしたい。

 

サンキュータツオが言うにはマキタはオジサンの中では、かなりカワイイほうだ。頑張っている。「キモイ」は、男にとっての「うるせぇな」に近い気がする。キモイもカワイイも、主導権の主張なのではないか。売れてる人ってカワイイ。

 

*

 

 25歳だったコーナーの女性リスナーからのメール。

 

何者かになりたい、成し遂げたいという空回りの日々。

しかし勢いで結婚し、25歳で女の子を産むと一変。

何度も心が折れかけたが、いつの間にか何者かになりたいという欲求がなくなった。

何物でもない自分を求めてくれる赤ちゃんのおかげ。

生きていくのが楽になった。

25歳で子供を産んだのが一番のターニングポイント。

 

 マキタ「子供が親にしてくれるんだ」

タツオ「あんた子供が生まれた時、バンド組んだろ」

鹿島「いい”老害”でました」

 

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牛乳パックの開け方。

牛乳パックの正しい開け方を知らず、はじめて説明書き通りに開けたらこんなに簡単なんだと感動したというメール。

 

マキタは、高校まで家族全員力づくで開けていた。東京出てきてから始めてやったかも。

 

鹿島は、今日初めて正しい開け方を知った。「初めて見た」。

 

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静岡のおじがシラスをくれて、おすすめの食べ方を教えてくれた。

刻んだニンニクとシラスをごま油でいためてしょう油で味付け。

水分が飛ぶまで火にかける。

 

 

 

youtu.be

 

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今週も楽しい話、いいハナシが聞けた! 許可局有難う。時間が変わっても聴き続けます。同世代のこの三人と一緒に歳をとっていける幸せ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週のポッド許可局:キモイ論

マキタスポーツの十代の娘二人は何かというとキモいの連呼。何をしてもキモいといわれてしまうマキタ。カメラのファインダーから目を外し、娘たちが可愛いなあという思いで見るとキモイと言われてしまう。

 

その反対はカワイイらしい。老眼鏡を頭に載せてテレビを見ていたら、今度はカワイイと言われた。娘たちは毎日キモイとカワイイをさえずっている。

 

感覚で生きている娘たちに対して、論理を突き詰めたいマキタは、そのせいで失った感性があるのかもしれないと危惧を抱く。

 

プチ鹿島曰く、我々にとっての「キモイ」はウエスタンラリアットのように強力だが、彼女たちにとってはそこまで重い意味はないのかも。

 

サンキュータツオはマキタはオジサンの中では、かなりカワイイほうだ。

 

 

料亭政治は聞かなくなったけど

昔は料亭政治と言われ政治家が揶揄されたので、最近は皆遠慮しているのか政治家が料亭に出入りする話を聞かなくなった。聞かないだけかもしれないけど。

 

そのせいかここのところは官僚の会食接待のニュースの方がにぎやかだ。

 

官僚がいくら不祥事や違反を起こしても、名前と顔がほとんど表に出てこないので、実質やり放題に見える。

 

権力があるから接待を受けるわけで、それでいて私人だからさほど深く追及されるわけでもない。退職でもしたら私人のカーテンに阻まれ、その後の待遇なども分からない。

 

ある程度の高級官僚はもう私人ではなく完全な公人としたらどうだろう。それが嫌なら退けばいいと思う。

差別と個人的な好き嫌いの差

属性を嫌悪すれば差別だろうけど、個人的に嫌いなのだという体にすれば、差別もまかり通ってしまうかもしれない。この差はどうしたらよいのだろう。差別の定義も変わってくるのかもしれない。

今週のポッド許可局:見方が変わった論

今週の許可局も面白く、深かったので初めて要約で覚書にしてみた。もしかしたら聞き違いがあるかもしれません。

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最近見方が変わったモノは何? というタツオの問いから始まる。

 

タツオ:ドラえもんの登場人物の中で芸人に向いているのは屈折した感性のスネ夫だと思っていたが、現在は出木杉君だと思う。なんでもそつなくできる。芸人像がアップデートされてきた。

 

鹿島:見方も状況も変わった。見方が変わったモノと言えば、一休さんと将軍の関係。殿様側からみると、殿様の懐の深さが印象深い。

 

マキタ:タイムボカンの悪役三人組が負けて帰っていっていったのが、現在は悪役も生き生きとのびのびしてる感じがする。

 

マキタ:ボクシングの観戦の見方が、ディフェンスベースで見るようになった。かつてはタイソンのような攻め型が好きだったが、防御のうまい方に惹かれる。撃たれず生き残る。ボクシングは攻撃ではなく、防御なんだと思うようになった。

 

タツオ:バスケットボールもそうで、日本人の渡辺雄太がNBAで活躍してるが、防御が上手い。NBAの華はオフェンスで最近は特にそうだが、意外に得点王のいるチームは勝てない。優勝チームの監督はディフェンスの専門家。渡辺が日本で取り上げにくいのはディフェンスの名手だから。得点シーンを切り取りにくい。カナダで大人気。ディフェンスのいいチームは相手の得点を抑えて勝つ。ロッドマンがすごかったのもディフェンス。それだけリバウンド獲れたのは位置取りがいいから。

 

タツオ:落語家のお年玉はあった人に直接渡すが、立場の離れている人との接触するためにそのシステムがあるのではないか。

 

鹿島:ベタ=古さと隣り合わせに感じるようになった。

 

タツオ:ベストテンとかを見ると安心するのは、古いものを古いものとして出してくれるから。

 

鹿島:クドカンの俺の家の話のプロレスシーンを見てると、その丹念さを感じる。するとドラマの本筋である介護についてのリサーチも深いはず。最初はプロレスシーンに惹かれたが、そこから本題に目が向くようになった。プロレスをこれだけ書ければ、本題も信用できるだろうと思った。些末なディティールから本質へ目が向いた。

 

タツオ:ディティールが書けてれば、本題も書けているはず。

 

マキタ:スポーツも細部が見えてこそ。

 

鹿島:攻略本を見てからゲームを進めるひとや、ミステリー小説を後ろから読む人を信じられない思いだったが、そのほうが細部や複線をより楽しめるという。

 

タツオ:二回目以降の落語と同じ。最初の物はすべてがディティールなのですべてを「全集中」で見ちゃう。筋じゃなくて細部を楽しむやり方。

 

マキタ:最近のテレビはディフェンス力が高い。かつてはオフェンス力がすごかったが、ロスも多かった。いまはロスを減らす方法がある。

 

タツオ:対してネットはオフェンシブ。迷惑youtuberなど。ルールもまだ甘い。徐々にディフェンシブになるだろう。

 

マキタ:自分も配信をやってみてテレビってすごいディフェンシブな論があると思った。

 

タツオ:見ている人に突っ込ませないような。うまいことラッピングしたり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元AOL民はどこにいるのだろう。

anond.hatelabo.jp

 

これを見てたら、自分のネット上の来し方はどうだったかと思い返した。入口はAOLだった。あの頃どのPC雑誌や一般情報誌にもAOLの開始CD-romが入っていて、多くの人が手にしたのではないかと思う。

 

チャットルームが売りで会員同士で会話していた。直に会うことはなかったけど、仲の良いアカウントが幾つかできたりして、チャットルームに出入りするのが毎晩の楽しみだった。またこのころはチャット≒出会い系というわけでもなく、のんびり趣味やテレビの実況みたいなものをしたりして過ごした。「昭和47年会」みたいな生まれ年ルームを最初に作ったのは自分だった。

 

今のSNSが提供しているサービスの根本的な楽しさみたいなものは、すでにここにあったと思う。その後にであった後発サービスは単にバリエーションが増えたというだけに思えた。

 

そんな元AOL民の自分だけど、自分以外の人がAOLの楽しかったこと、つまらなかったこと、何でも良いのだけど、どこかで語っていたのを見たことがない。本当にあれは存在していたのだろうかと思ってしまうほど、見かけない。

えひめ丸の事件は丁度二十年前の2月10日であった。その対応をめぐり森喜朗は総理を辞任。そして二十年後の2月4日に今回の失言があった。嫌な奇遇である。結局国民軽視が過ぎた。身の回りの身内だけを大切にするのだろう。

 

森喜朗えひめ丸事件の対応を批判されたのに、なぜかその後二十年の間は主に森派の隆盛が続いた。小泉・福田・安倍と三人の総理を出し、うち二人は長期政権だった。わいろも含めて利益分配主義だった田中派の流れは絶たれ、緊縮主義の福田派(森派)に流れがきた。よってこの二十年の間、消費税を上げ、法人税を下げた。社会保険料を上げ、還元を下げた。国債は株の買い入れに当てられ、その責任は国民にあるという形に巧妙に洗脳した。結果可処分所得は大幅に下落した。つまり国民は貧乏にされた。

 

森派王朝の最高の栄華を極めんとする五輪は棚ぼただったかもしれないが(そういえば小池百合子も元々森派であって小泉政権で活躍した)、その果実を目の前にしてコロナという槌で夢は砕かれた。安倍総理は辞任し、森会長も辞任する。

 

何かが変わるのかもしれないという予感はするが、与党野党を見ても任せたいと思える人はいない。しかし我々のその無関心こそが森派を支えた原資だったのだ。この二十年で投票率は約6割から5割に下がっている。

今日も我が家族はコロナを発症していない。

ということは5日前までの生活に不備はなかったということだ。五日前までさかのぼって安心できる。だがその後の五日間はどうだろう。心休まる日がない。初めて胃炎になった。胃カメラしんどかった。

【ジュリー】あんまり語られない沢田研二の凄さ【ジュリー】

news.yahoo.co.jp

 

この中に書いてあるようにジュリーは毎年ツアーをやってきたらしい。

これだけでもすごい!

 

しかもwikiをみると、もっとすごいことが判明。なんとザ・タイガースでデビューしてから2008年までほとんど毎年オリジナルのアルバムを発売している。その数50枚以上。編集盤ではなくオリジナルですよ。日本記録じゃないのかな、コレ。

沢田研二 オリジナルアルバム - Wikipedia

 

さらに1975年から2017年までの42年間に舞台を49本出演してる。平均したら年一本以上。

沢田研二 ステージ- Wikipedia

 

そうするとデビューしてからこれまでほとんど毎年、オリジナルアルバムを発売し、全国ツアーをやり、舞台に一本以上出演してるって、スーパーマンじゃないの! 

 

この上、ベストテン歌手として全盛期は毎週のようにテレビの歌番組やバラエティー番組に登場していたのだから、もう褒める言葉が見つからない。

 

 *

 

昨年岸部シローさんが亡くなったけど、タイガースというのは京都の音楽少年たちのバンド物語だった。関西のライブシーンで活躍していた彼らは東京の内田裕也に直談判し、デビューが決定。しかし最後はいかにもな芸能界的事情に翻弄され、人間関係を引き裂かれ空中分解という寂しい末期を迎えたグループだった(数年前のスマップ騒動のような所属事務所による主導のもの)。

 

独立後、ソロで栄華を極めたリードシンガーのジュリーも時代が変わり売り上げが低迷したころ、なにが原因になったのか事務所と物別れとなり、以降テレビでは見なくなった。

 

だが近年六人そろってのステージを成功させ、その友情の復活がかつてのファンの心を打った(しかしながらあんまりテレビでは大々的な報道は見なかったが)。

 

しかしこうして50年経っても活動を緩めることなく続けたジュリーは反骨の人として輝き続けている。バンド物語としては大河的なスケールの日本音楽史に残るグループだった。(もう少し経って事情が変われば)やがて三度彼らに光が当たるだろうと思う。

東京ポッド許可局員たちの青春

1/11のTBSラジオ「東京ポッド許可局」の放送がすごく良かった。

 

マキタスポーツプチ鹿島サンキュータツオのそれぞれが25歳のとき何をやっていたのか。

 

マキタは国士館大卒業後に勤めた山梨の親戚経営のモスバーガーの店長をやめたのち、葛飾区に移り住んでいた。バイトをしながら小劇団に入り漫才の相方を探していたが上手くいかず、毎日文化放送志の輔梶原しげる吉田照美ニッポン放送高田文夫を聴いて過ごしていた。

 

PKは大阪で大学時代を過ごし、チェックユアマイクのラップ大会で日本一になったものの、なんとなくラップをやっていただけだったので、東京の高円寺に出てきてバイトとテレビでのナイター観戦の生活。お笑いで何かをやりたいけど大川興業に入るまで五年ほどの間は、高田文夫のラジオを聴くだけで無為に過ごしていた。

 

サンキュータツオは大学生活しながら漫才をはじめ、浅草お兄さん会で二人に出会う。就職活動は上手くいかず、院進するもなかなか卒業できず留年しているうちに25歳。

 

みなそれぞれ鬱屈した二十代前半を過ごし、どうにかせねばという年齢だった。彼らと指向や素性が似てる自分としては懐かしく共感し続けた一時間だった。あっというまの二十五年。あのころ三人に会いたかった。友達になれたのではないかと妄想してしまう。

 

youtu.be

 

その他、桑田佳祐は25歳の時どうだったか、落合博満は、ユーミンは…という話も。

ユーミンが16歳のころ、市ヶ谷にあったはっぴいえんどの事務所で、後の夫の松任谷正隆松本隆とともに市ヶ谷記念館のバルコニーで演説する三島由紀夫を生で見ていたというのが事実だったらしく、衝撃を受けた。

 

bunshun.jp

 

実はユーミンも三島も良くは知らないのだけど、戦後の昭和の前半の文化における寵児の三島と、その後の世代のの代表選手のユーミン

 

戦後から60年代くらいまでの文化は、まだ教養主義的で発信側も受信側も男性中心という(あくまでも自分の中の勝手な)イメージだったのだけど、70年代以降というのは感覚的で発信も受信も女性の割合が高くなっていったと感じていた。

 

その両側を象徴するような二人が、ここで偶然ながら、数十メートル(数百メートル?)の距離を置いて交差していたというのは、何ともシンボリックな事件だと思う。

 

しかも一緒に見ていた松任谷正隆は、実は愛国者の大物の血筋の人間なのだから、運命というのは何とも不思議だ。

 

gendai.ismedia.jp

 

元ジョージア・サテライツのダン・ベアード、引退していた。

en.wikipedia.org

 

On November 2, 2019, Dan Baird announced on his website that he is retiring. "I won’t quit making music, but it’ll be in my basement, at my home, where I can walk my dog, go to the gym 4 times a week, shave on Friday and go to sleep with my sweetie beside me every night."

 

2019年11月2日、ダン・ベアードが自身のウェブサイトで引退することを発表した。"音楽を作ることは辞めないけど、地下室にある自宅で、犬を散歩させて、週に4回ジムに通い、金曜日に髭を剃って、毎晩横にいる恋人と一緒に寝ることができる場所になるだろう"

 

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もう一年以上前になるんですね。Gサテライツのファーストは興奮したなぁ。ダンス音楽とメタルばかりだったシーンに、ザックザックとルーズなリズムギターで切り込んでいきました。ベストヒットUSAで流れた、ピックアップトラックに乗って移動するKeep Your Hands to Yourselfのプロモビデオが楽しかった。ソロの一作目も良かったですね。

 

才人だったと思いますが、何かのめぐりあわせがズレてしまったのでしょうか。大ヒットしたソロ二作目以降はあまり記憶に残っていません。この人、他のメジャーアーティストとの交友みたいな話を聞いたことがなかったな。むしろバンド時代の相方のリック・リチャーズは、元ガンズのイジー・ストラドリンと組んだりしてましたが。リックとのコンビはまた見てみたかったです。

 

その後も、音楽活動を続けていたようですが、燃え尽きてしまったのでしょうか。それにしても引退のコメントがカッコ良すぎる!

 

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サテライツがデビューのころのライブがyoutubeに多いです。今見てもカッコいいな。

 

運転免許センターに行ってきた

他人の用事の付き合いで、幕張の運転免許センターに行ってきたんですけど、凄い混雑。

 

更新組の人は兵隊さんみたいに表にならばされて、順に一列入場していた。気の毒。警察官のみなさんはこういうの指導するの慣れてるみたいで、ちょっと面白かったけど。

 

それにしても、密になるなと半年言い続けて公の施設がこの状態なのはいかがなものだろうか。

 

超特例で、この一年は免許の更新や講習などは、免除したらどうだろうか。この国の行政はそういう臨機応変、柔軟さが無さすぎる。都合の悪い文書を隠したり、事実を捻じ曲げたりは、超柔軟なくせにね。

核家族と理想主義

自分の母方祖父祖母は明治生まれの働き者で、子供五人を育て黙々と酒屋の自営業で働いた。子供や孫の世話も手を抜くことなく、かつ甘やかすこともなかった。とにかく昔の人は生きていくのにインフラ的条件が今よりも過酷なので、現実主義だ。甘っちょろいやさしい言葉は聴いたことがない。

 

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先日夜に放送されていた「石田さんチが大変だスペシャル」のお父さんお母さんを見ていてもそう思う。生活がとにかく大変だ。稼ぎが少ないというのではなく、家族が多いから、全てにまず現実的対応が優先される。なんにせよドライな判断が必要になる。ここには甘い理想なんて入る隙間がない。ここのお二人の対応は、同世代の家庭よりもドライで堅実だと思う。(そんな二人が好きだ)

 

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翻って自分は二人の子供で育った。つまり核家族だ。ウチの親はむしろ同時代の他の家庭より質素で厳しい方だったが、それでも前世代の家庭よりもやや子供に甘い。二人しかいない子供に期待したり、甘めにみたりした。自分たちのできなかったことを託したとも言える。

 

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ネットや新聞や自分現実の狭い観測範囲では、若い世代が高い理想を語る。元来若者とはそういうものかもしれないが、意識高い系なんていう存在や言葉は、20年前には無かったと思う。年々高まる理想主義というものを感じる。やがてがんじがらめになってきていないか。

 

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なんとなく核家族が二代目、三代目と代を重ねるうちに、理想が高まってきたのではないかという気がする。余裕ができた生活は、現実よりも未来を見つめるのが当たりまえになったのではないか。その末に、我々の社会は子供や若者に将来の夢を尋ねすぎてきたのではないか。それがプレッシャーとなってきたのではないだろうか。成功者の輝きにばかり目を奪われ、敗者への想像力を萎えさせなかったか。そして己の首を絞めていないだろうか。若い世代の自殺が多いというのは、理想に輝く意識の高さの裏返しではないか。

 

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理想とは素晴らしいものだ、という常識をもう一度見直してもいいころかもしれない。理想には影もある。そういえば「夢とは呪いである」という言葉が数年前に流行った。夢と理想を入れ替えてもいい。

NHK筒美京平特集のCCB

中学時代に洋楽にかぶれ始めた自分は、同時期の日本のアイドル歌謡曲をどうも好きになれなかった。でも今聞くと懐かしいし、ああ職人が高度なことをやってるんだろうなーと感心したりする。

 

先日NHK筒美京平特集を視ていた。80年代には筒美京平はやっぱりアイドル歌謡で名曲を連発していて、特に関心のなかった自分でもすべて口ずさめるほどの大ヒットばかりだった。

 

おそらくチェッカーズでヒット曲を連発した芹澤廣明に触発されたのだと思うが、筒美もCCBに曲を書き実質的プロデュースをした。番組の中で詞を提供した松本隆も、筒美さんはおそらくバンドのプロデュースをしたかったのではないかと話していた。松本が引き合いに出したのは、最新機材のシンセサイザーサウンドを前面に世界を席巻した同時代のイギリスのニューロマンティック系のバンドだった。

 

フィフティーズのロカビリー/ロッカバラードをベースに愛くるしいチェックの揃いの衣装のチェッカーズに対し、最新サウンドとクールなビジュアルで対抗したかったのかもしれない。

 

その件りでCCBのライブ映像がチラッと映っていたのだけど、これが瞬間にグルービー! と思ってしまった。たしかその中ではドラムもエレドラではなく通常のセットのようで、このドラムと渡辺氏のチョッパーベースが絡むと何とも言えずカッコいいボトムだった。それも二人ともかなり歌いながら。ギターもキーボードも上手い。

 

おそらくフュージョンに憧れた世代の若い人たちが、企画上アイドルバンドをやっていたんだろう。そこに笠氏のピッチが抜群な高音の美声が筒美メロディーに載って完成したのだと思う。自分の好みからは遠く離れた音楽だったけど、今思うと職人たちがシーンに向けて、敢えて下世話に盛り上げたという価値が分かる気がする。

 

そう思うとデュラン・デュランより、フュージョンっぽくて演奏も上手いということでカジャグーグーっぽい。